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塔島ひろみ

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2020年9月30日

ひょっとこ爺さん徒然の記 伍

曽根原純

十五年前 買った時計に 惚れ直す

 六十歳代後半、たまにではあるが人生の終わりということを意識するときがある。そして、そのときには、私は何か一つ、それなりに高級なものを身に着けていたいと思っている。それには、そのときにそれが特別にお世話になった人へのお礼の一部になればというような意味も含まれている。
 そのようなことも意識しながら、私は昨年あたりから腕時計を購入したいと思いはじめ、新聞やネットの広告に関心を持つようになった。狙いをつけたのは国産の実用クラスの最高級品。価格的には三十万円から五十万円前後であろうか。舶来であれば、それ以上の価格のものはいくらでもあるが、恐らく私の細めの腕には似合わないであろう。
 候補を三種類程度に絞ることができたので、私は今年(二〇二〇年)に入って、少し暖かくなったら、新宿の量販店に行って現物を確かめて購入することを予定していた。しかし、三月ごろから新型コロナの感染拡大が報じられるようになって、私としては電車を利用することが怖く感じられるようになった。十年前のように電動車いすを使って歩いていく気力はもはや私にはない。ネットで購入することもできないこともないが、ベルトのサイズ合わせのために一度は新宿へ行くことが必要になる。以前であれば、小学校(普通校)の同級生が近くの駅前で時計屋を営んでいたので頼むこともできたのであろうが,だいぶ前に店を畳んでしまっている。

 「電車に乗ったり、公衆トイレを利用することが怖いので、新宿へは当分行かれないだろう」と思い、考え込んでいると、近いうちに高いものを購入するからということで、日常的にある意味無造作に身に着けるようになっていた腕時計のことに気づいた。
 その腕時計は、十七年前の頸椎の手術の二年後、電動車いすで一人でどこにでも行くことができるようになり、勤務先への週一回程度の出勤にもメドがついたので、自分としての全快祝いという意味も含めて購入したものであった。
 その腕時計(シチズン エクシード H110)は、ビジネスにもフォーマルにも使うことができるとされている国産メーカーの上位実用クラスの機種シリーズの中でも比較的高価格のものであり、量販店でのそのシリーズのショーケースの中では一番上に置かれてあった。標準小売価格は十五万円。それをその店では,ポイント分を割引に含めて計算すると十万円弱で販売していた。ムーブメントはソーラー電波式なので、光に当てることを多少意識すれば、電池交換や時間合わせは不要である。また、文字盤には白蝶貝があしらわれているので、真珠のようにキラキラと輝き、それなりの高級感がある。私は即決の現金払いでそれを購入した。
 その後八年、勤務先を定年退職するまでは、私は出勤などで外出するときには必ずその腕時計を身に着けるようにしていた。退職後には時間を気にしなければならないような外出が減り,ソーラーということを忘れて光の入らない引き出しに一年間以上しまい込んでしまったために全く動かなくなったこともあった。
 その腕時計を再度日常的に使用しようと思ったときに意識したことは傷の状態であった。その辺を虫メガネを通して確認すると、腕時計本体の金属部分には多少の擦り跡があったが、幸いなことに、中古市場ではほぼゼロ査定となると言われているガラス部分の擦り跡や傷はなかった。ネットの中古専門店ではその程度のものを三万円前後で売りに出していた。その値段であれば、高級とは言えないまでも、まともな機能のしっかりとした腕時計を新品で購入することができるであろう。私は、客観的な価格評価にも納得して、現在その腕時計をいつも身に着けることを心掛けている。
 そして、私は、新型コロナの感染が終息してからも、ずっとその腕時計を身に着けていたいと思うようになってきている。もちろん、生き延びることができればの話ではあるが。

 少し社会的なことになるが、十五年前の説明書には、「時計の文字板や針には、放射性物質などの有害物質を一切含まない、人体や環境に安全な物質を使用した蓄光塗料が使用されています」と書かれてあった。今の時代であれば、放射性物質について、ここまでストレートに「有害」と記述することは憚られるのかもしれないと私は思っている。

曽根原 純(そねはら・じゅん)

一九五三年二月生。都立武蔵丘高等学校から一浪後、早稲田大学政治経済学部経済学科入学・卒業。金融機関の在宅嘱託として三十四年間実務系の翻訳に携わる。退職後、フリー研究者(バリアフリー旅行、障害学)。翻訳家。

2020年9月23日

1万年生きたこども〜統合失調症の母を持って〜 第八回

ナガノハル

震える唇

 牛歩の歩みでも母は外出ができるようになりました。幻聴の通りに行動することもほとんどありません。
 本当にゆっくりとしか歩けないので、一目で普通でないことがわかります。私はそれが嫌でした。
 母も自分の体や様子が他と違って見えることが自覚できるようになりました。
 唇が震えてしまう母に向かって、「唇が震えているよ」と何度も注意します。そのたび、母は冷や水を浴びせかけられたように怯えた顔をして、ぎゅっと唇を結びなおすのです。
 「ハルちゃん、これで、震えてない?」
 「うん、大丈夫だよ」
 けれども、意識している内は震えが止まっていても、数分立てばまた震えだします。私はその唇を見るのが嫌でたまりませんでした。
 でも、それはすごく残酷な指摘です。今思い返すと本当に申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいになります。唇が震えてしまうのは恐らく薬の副作用なのです。でも、私は何度も注意しました。
 私は「健全で清く正しい普通の人」の目線の防波堤のような気持ちでいっぱいでした。私は「狂った」といわれる世界に住んでいました。「狂った」世界を断罪しようとする「普通の人」たちのふりをして、「狂った」世界を隠そうと必死でした。複雑でした。体は常に恥に引き裂かれていました。恥ずかしくて、恥ずかしくて、息を吸うたびに恥ずかしくて。
 私は母が統合失調症であることを差別する人かそれ以外で人を分けていました。自分が安心してそこに存在できるかに関わっているし、母を差別する人たちが許せませんでした。母が統合失調症であることを差別しないのは病院の医者くらいしかいませんでした。それ以外の大人は総て敵でした。
 私は今でもその癖が抜けません。この人が統合失調症の母に会ったらどんな反応をするのだろうと考えてしまうのです。今も友達やパートナーはその基準で選んでいます。母が友達やパートナーにあって、友達たちが馬鹿にしたり、普通と違うことを笑ったりしないこと、それが重要なのです。精神病者たちを差別し、笑う人には悪気というものが一切ありません。それが当然のことのようにやるのです。普通と違うことは嘲笑の対象なのです。
 私も1万年のこどもでありながら、その意識を内面化しました。それは世間が恐ろしくてならないからでもありました。私は精神病の母を持って、世間から助けてもらった経験は一度もありません。これはきっぱりいえます。事実です。
 そして、私は懸命に敵たちから母を隠すために、母に普通に見える方法を教えるのです。早く歩くこと、唇が震えないようにすること、痩せること。それは母にとってはどれもどうしようもなくできないことでした。でも、母を敵から守るためには仕方ないのです。そして、自分を守るためにも。
 「頭のおかしい人」とか「異質な人」という視線をたくさんうける側にいながら、振る舞いは普通でなければいけません。普通の人を演じるのはしょうがないことです。そうしないと、生きておれるような世界ではありません。でも、自分のいる「おかしい」世界と「普通の」世界を行ったりきたりするのは、とっても疲れます。それに何か、攻撃されるべきエイリアンなのに、人間のふりをしているようで、いつも恐ろしい思いをしていました。
 母から「もう、普通に見えるよね?」って確認されることほど、苦しいことはありませんでした。
 私は「あなたは普通に見えないから、普通に見えるようにしてよ!」っていつも怒っていました。「あなたが普通に見えないと、私も普通に見えないんだから!」って。なんて、ひどい。母が「オカシイ人」に見えないように、「普通の人」のふるまいを強要するなど。でも、それはできないことなのに。しかし、「普通の人」のふりをする私にとっては生存にかかわる問題です。

 その頃から私は同じ夢を見ました。
 周りは全員ゾンビで、腐った姿をしているのですが、自分だけが唯一人間なのです。ゾンビたちは人間を食べるのが好きです。私は食われないようにはらはらしながら、ゾンビのふりをします。ゾンビが「人間の臓物のおいしい部分」の話題で盛り上がると、私はあわせて、「わたしは、心臓などが好きだ」と言ってみます。「心臓?そんなに、うまくはない。筋ばかりではないか、一番よいのは肝臓だ」とゾンビたちは不審がります。「いや、私はちょっと好みが変わっているから」と必死に話をあわせるのです。「そうだ、君、どうして靴などはいているのだ」と隣のゾンビが言い出します。ゾンビの道には蛆虫があえぐ池ばかりで、私は蛆虫を踏み潰す感触だけは我慢ならず、赤い運動靴を履いているのです。「いや、足がいたくてね」「そんな、人間みたいなものはやめたほうがよいよ、何しろ、足が熱くてたまらないじゃないか」そして、最後はゾンビたちに気づかれないように少しずつ歩調をゆるめて脱走するのです。
 愉快な夢ではありませんでした。
 夢は血の赤、深い緑、黄色の光、だけがじとじととした闇に際立つものばかりでした。逃げている内に私はゾンビでないことがバレて襲われて殺されるのです。
 目を覚ますと、ゾンビの中で必死に取りつくろう気苦労ばかりが体に残っています。
 目が覚めても、その気苦労は変わりませんでした。
 ただ、母にゾンビのまねをするように強要すること以外は。
 人間はゾンビで、正常で健康はゾンビで、ゾンビは人間が好物で、好物は人間をバカにすることで。でも、私は自分に人間の資格があるとは思いませんでした。学校も、スーパーも、バスも、電車も、道という道、空間という空間とは、ごまかしつづけなければならない場所でした。「キチガイ」をごまかしつづけなければならない場所です。
 背中も足の裏もつむじも、小指も空間にふれるとびりびりと怯えています。体の中心は体温をなくして、氷柱にうずめられた胃が縮こまります。

 ある日、同級生から公文に誘われていったものの、あまり行きたくなくなりました。でも、同級生にどうしてもそれが言い出せず、母に断るように頼んだのです。
 母は私を公文に誘いに来た同級生に何事か応対して追い返してくれました。
 次の日の学校で、同級生はみんなに大きな声で話をしていました。
 「ハルちゃんのお母さんって、すっごい牛みたいなしゃべり方するんだよ。ハールぅはー、もうぅ、行きまーせーんとかって」
 「あたしもみた、すっごい、変なの」
 同級生の揶揄は怒るべきところでしたが、愛想笑いで過ぎました。母親をバカにされた怒りよりも、恥ずかしさが勝ちました。世界に存在するとは恥ずかしいことなのです。生きるとは恥ずかしいことなのです。ただ、びりびりと苦しいことなのです。
 私はその同級生がそもそも好きではありませんでした。けれど、誘われると断れないのです。それは、人からどう思われるかいつも気にするという性質のせいです。1万年生きるこどもをやっているといつの間にかそうした性質が身についてしまいます。それは、いつも母と世間との軋轢を回避するために人の顔色ばかり伺うからです。自分で行動するのではなく、世間と母をコントロールすることが使命となっているのです。そうすると、同級生の誘いも同級生の顔色を伺うようになり、同級生の機嫌を伺って、行きたくもない公文の誘いにのってしまったのです。
 母を嘲った同級生。それはこどもらしい残酷さなのでしょう。私は1万年生きるこどもでしたから、そうされて恥ずかしいという気持ちも本当にありましたが、どこか、こどもの考えなしの行動を超越的に見ている自分もいました。やっぱりという思いとともに。やはり世界とは敵なのだ。少しでも油断したら、ひどい目にあうのだと。
 1万年のこどもである私にこどもらしさは必要ありません。どんな大人よりも大人で、冷静で、論理的に、そして世間を上から観察できる能力があるのです。
 1万年生きるこどもの生き延びる方法は母の妄想や行動を先読みして世間との軋轢を最小限にすることです。私は今回それを見誤りました。
 私は同級生の誰にも母の病気のことは言いませんでした。もちろん、先生にも。それは彼らには統合失調症が理解できないことがわかりきっていたからです。精神病は差別の対象であり、自分は「キチガイ」ではなく「頭がおかしく」なく「気が狂って」いない側の人間であることを証明するためにもそれらは差別しなくてはなりませんでした。そして、彼らはそれらを無意識でやってのけるのです。会話の端々に、「そんなの頭がおかしい人のすることだよ」とか「それは気が狂ってる!」とか「お前はキチガイみたいだ」とか出てくるたび、私は絶望するのです。ああ、この人たちに母の病気のことは決して理解できないのだと。そして1万年のこどもである私は戦う覚悟をします。母の病気を決して悟られてはならないし、理解されようと期待してもいけない。私は世間と母の病気をコントロールして差別の軋轢を避けなくてはと。そんなこと不可能なのに。私は1万年のこどもである頃、ずっと、失敗にしか終わらない試みが成功すると信じてやってきました。母を差別する世間が許せないと同時に屈服していました。世間から差別されることが恐ろしくてたまりませんでした。みな、本当に精神病者には残酷なのです。その残酷さを受けるのが嫌で、私だけは普通のふりをしていました。私だけは差別されたくない。そういう自分勝手な思いがありました。差別されるというのは本当に辛いことなのです。同じ人間だと認めてもらえないことなのですから。目の前にいても、どんな話も聞いてもらえない。モンスターのように言葉が通じないと思われる。そして、嘲笑って良い対象と思われる。白い目で見られる。そこにいないかのように扱われる。差別されたい人間なんていません。でも、私は差別されたくないと自分だけが思うことに罪悪感を感じていました。母は差別されているのに自分だけはされたくないし、自分が差別されないために、母の唇が震えないようにし、速く歩くようにせかし、痩せるように注意する。私のやっていることそのものが差別とどこが違うのでしょう。本当に泣ける思いがします。差別が連鎖しているのです。それも母子の関係で。こんなこと許されていいはずがない。誰か誰でもいい、助けてほしい。そう思っていました。
 でも、誰も助けてはくれません。
 私のこども時代、私たち家族の状況を理解して助けてくれる存在はいませんでした。安心して母を預けられるのは医者と新興宗教の人だけでした。姉は「キチガイ」の世界に安住して、世間に恥ずかしいとかいう思いはあまりないようでした。世間がおかしい。姉の見方は正しいものでした。だから、姉はあまり私の頼りになりませんでした。私はむしろ「常識を気にするおかしな人」という扱いでしたから。常識を気にせずおれたらどんなに楽だったかと思います。
 でも、1万年のこどもであった私にはそれができなかったのです。

ナガノハル

1979年、神奈川県横浜市生まれ。
統合失調症の母親を持ち、双極性障害Ⅱ型という病を抱えながら、日々の苦労をまんがやエッセイにしている。
著書に「不安さんとわたし《当事者研究的コミックエッセイ・総ルビつき》」山吹書店がある。

2020年9月16日

介護施設の現場から 第3回

三本義治

〜コロナうず〜

 昔、デビッド・クローネンバーグの映画で、臓物みたいな異物が、意志を持ち出し、人の体を突き破って暴れまくるのがあって、心をゆさぶられていたんだけれども、それは人の側に立っていたんではなく、臓物の側、そっちに感情移入して、現状をブッ壊したいというか、自分を解放したいといった、気持ちがあったんだと思う。
 細菌やウイルス、ガン細胞だって、人の側からは悪かもしれないけれど、生きていたい。繁殖を目指す。でも、社会でよそ者意識というか、自分がガン細胞みたいな意識がないと、そっちに肩入れする、共感するって出来ない事だと思う。
 高校の時、試験が嫌で何も考えずに近くの工業高校に推薦で入ったら肌に合わず、毎日暗い気持ちで過ごしていた。そのはけ口が、RCやスターリン等の音楽(ラジオを含む)を聴く事や、『ガロ』(現在その流れをくむのは『アックス』)等のマンガを読む事で、それに自分は救われた。学校なんかに行くのがどうでもよくなって、共働きの両親が朝早く出掛けた後もずっと家にいて、大幅に遅刻して学校行ったり、サボりまくっていた(よく卒業出来たと思う)。自分にとって価値のある物がこっちにあるのに、何で自分よりバカな人間に教わらなくちゃいけないんだと思っていた。こういう奴が世の中をダメにするんだと思う。
 自分は今、介護の仕事をしている。自分から入った職場。である以上、そこに従わないと自分が納得出来ない。幸いな事に、現在の所、働いている施設で、利用者や職員に新型コロナの感染者は出ていない。でも、もし集団感染が起こったら...病院ですぐ全員受け入れてくれれば良いのだけれど、実際にあった他施設等の事例をみると、そうはいかないみたいだ。発熱があった時点で本当は個室隔離なのだけれど、それも足りなくなるだろう。最悪、多床室(4人床等)でもベッドは2m以上離れていてカーテンで仕切られているので、そこにいてもらうとしても、食堂には来られない。すると食事の介助をする人が足りない。もしその時、職員も感染していて欠員していたら...フロア内で感染している人達、感染疑いの人達と、それ以外の人達を転室して分ける必要もある。自分達の施設は、デイサービス、入所(宿泊)、リハビリ等がありそれぞれ階が分かれている。利用者が宿泊しているフロアも階をまたがっているけれど、場合によっては、例えば1つの階をコロナ専門にして、階の行き来が出来ないようにしなければいけないかもしれない。利用者は、半年程、面会も外出も制限されている。当然ストレスもたまっているだろう。センサー(自分で呼び出しボタンを押せない利用者の動きを感知して、音楽等が鳴り出す仕組み)が付いているとはいえ認知症の利用者。「隔離なので寝ていて下さい」といっても必ずしも大人しくしてくれる訳でもない。その他にも、入浴はどうするのか?清拭(ホットタオルで体を拭く)だけで皮膚状態を保てるか。あと、今手袋1つとっても備品が足りない。インフルエンザでもノロウィルスでも排泄物の処理、陰部洗浄等の際に着ける袖付きエプロン等は利用者ごとに使い捨て。防護服など豊富にあるのだろうか?ただでさえ基礎疾患を抱えた高齢の利用者が多い。その時になってみないと分からない事だらけだ。戦場の様な状態になる事は間違いない。一般の家庭や会社等でも、自分ではなくても、身近に感染した人がいて、外出や出勤を制限された人や、体調不良でPCR検査を受ける人等が(特に都市部では)珍しくなくなってると思う。特にこれから冬場を迎えて、ますます感染の確率は高くなっていく。先の事は全く分からない。施設では変わらず消毒などを徹底し、職員も(神経質になりすぎない程度に)公私共に感染に気を遣い続けている。  

 細菌やウイルス、ガン細胞の方が人間を滅ぼし、生き残るならそれが自然界の選択。こっちが選ばれなかっただけの事。そんな事を思っていた時期もあった。でも今は、何年かに一回、内視鏡検査を受けて、ポリープをとる。矛盾している。
 他の物を淘汰してきた人間。様々な物を犠牲にして生き延びている。1度きりしかない人生、なんていうけれど、じゃその人1人生きるのに、どれだけ他の生物の命を奪って来ているか?!トビッコやしらすなんか、これまで何億匹殺して来ているのだろう?野菜だけ食べてればいい人なんて理屈が通らない。いい人ぶるな。悪い。でも、だからこそ生きなければならないのだ。

なんかこういう感じだったと思う

三本義治(みつもと・よしはる)
三本義治

 
 
1969年北海道生まれ。マンガ描き。
単行本に『マンガの本』『順風』(青林工藝舎ホームページhttp://seirinkogeisha.com/「アックスストア」で買えます)『テロル』『ガンジス河で平泳ぎ』がある。
"紙芝居No,1決定戦"『紙-1グランプリ』https://kami1gp.jimdofree.com/主催。
現在、高齢者施設スタッフとしても就業中。

2020年9月11日

沈没家族での記憶と記録 第三回

加納土

母・穂子さんと祖母・実紀代さんの話

僕の母、加納穂子さんが僕を育てる共同保育人をよびかけて始めた「沈没家族」について、これまでこちらのコラムで書いてきた。昨年映画を公開して、「沈没家族」が今の社会でとても驚きを持って捉えられると同時に、お客さんから様々な質問を受けた。その中でも特に多かったのが、「穂子さんはどんな家庭で育ったんですか?」という質問だった。どんな家庭で育ったらあのような判断ができるんだろうという意味も込められていた。

穂子さんは、川崎に生まれ父親と母親、そして兄と姉がひとりずつという形態として多くある家族で育った。ただそういった形態というよりも、穂子さんの母、そして僕の祖母の影響が穂子さんにあったのだと思う。僕の祖母、そして穂子さんの母は加納実紀代という人だ。先ほどの質問を受けて、こう返すと一部の人からはとても驚かれた。僕にとっては小さい頃から「みんば」と呼んでいた優しいおばあちゃんだったが、彼女は同時に著名な女性史の研究者だった。だから彼女のことを知っている人からすると、穂子さんとのつながりを知って驚いたのだろう。確かに「沈没家族」を穂子さんが思いついた背景には「加納家」の存在は大きい。しかし、二人の「つながり」は少し複雑だった。

僕と二人でいるときに、穂子さんが話していたことで印象的なことがある。それは「10代のころは生きてる感がなかった」という言葉だ。沈没家族をはじめたときも、そこから離れて僕とふたりで八丈島に移り住んだときも、彼女は生きてる感が強かった。というか、僕は生まれてから彼女と付き合ってきた中で、「生きてない感」はあまりなかった。だからこそその言葉を聞いたときは驚きだった。そして穂子さんにとっての生きてる感があまりない状態というのは、母からの抑圧からくるものでもあった。「自分の子どもなのに、なんでこんな勉強ができないんだ」というようなみんばからの発言は、ぞわっとするようなものだったと穂子さんは語っていた。たしかにそれは、僕も言われたらぞわっとするなと思う。家族の殻というものから、飛び出したくて様々な人を巻き込んで子育てをした穂子さんにとっては、自分の育った家族自体が強い殻の中にあったのだと思う。

ただ、穂子さんが沈没家族をはじめたのは、育った家庭に対するネガティブな思いだけではない。女性史の研究者だった実紀代さんの娘だったからこそ、得られたことはたくさんある。穂子さんは、若い頃をすごした川崎の家にいて、「女性の解放みたいなタイトルの本が大量にあることで、ああ女性は縛られているんだみたいなことをすごく早い段階で何となく感じることができたよね」と話している。確かに、あの家には大量の蔵書があってジェンダーやフェミニズムに関する本も大量にあった。女性、そして母親になったときに、自分のしたいことができないというのはおかしいという前提がまずあの家で「醸造」されていたのだと思う。そしてもっと直接的に、穂子さんが「共同保育」という方法をヒントとして得られたのも、家にある大量の蔵書の中に70年代のウーマンリブの動きの中で共同保育を実践し、それを記録に残した本を穂子さんが読むことができたからだった。

オトナになってからの人生の判断の全てに育った家庭の影響があるとも思わない。でも、全くないとも思えない。穂子さんにとっては、実紀代さんとともに語られることが嫌なときもあるかもしれないが、彼女の判断は、実紀代さんの影響が大きくあったのだと思う。

昨年2月、映画の公開直前に実紀代さんは亡くなった。映画の中で、彼女は一切出てこないが、僕の作った映画、そして娘が出ている映画として公開を心待ちにしてくれていたが、劇場で観ることは叶わなかった。僕の中では、みんばが亡くなってからはじめて彼女のこれまで研究してきたことや穂子さんとの関係について知ることが多かった。そんな折に劇場で映画を観てくれた編集者の方から沈没家族の書籍について話をいただいた。それがちょうど昨年の4月。一年以上かかってしまったが僕は著者として本を出すことになった。タイトルは『沈没家族 子育て、無限大。』筑摩書房から発売される。90分の映画の中では描けなかった沈没家族の生活のディテイールや集まってきた「保育人」ひとりひとりのこと、映画を公開する過程で感じたことなどもう一度深く沈没家族の記録と記憶を整理した一冊だ。そして、そこには穂子さんと実紀代さんのことについても、じっくり書いている。亡くなった人のことを自由に僕が書くのもなんだかずるい気もするが、実紀代さんも喜んでくれていたら嬉しい。

穂子さんは、僕が作った映画「沈没家族 劇場版」を全国で公開することについてどう感じるかと聞いたときに「私が共同保育とかを知ることができたのも、それを70年代とかにやって記録に残した人がいて、それをたまたま読めたからだしね。だから、誰かにとって沈没家族がヒントになったらそれはいいことだよね」と話してくれた。継承という言葉は大袈裟かもしれないが、僕が書いたこの本が、今、そして2、30年後の誰かにとって「生きている感」が持てるきっかけになればとてもとてもいいなと思う。

『沈没家族 子育て、無限大。』 加納土 筑摩書房 発行日:2020年8月31日 定価:1600円(税別)
 目次
  はじめに 15年ぶりの答え合わせ
  第1章 沈没家族(土=8ヶ月〜2歳半) 
  第2章 加納家のこと(土=誕生前)
  第3章 土の発生(土=0ヶ月〜8ヶ月) 
  第4章 戦友、めぐ(土=2歳半〜8歳) 
  第5章 八丈島(土=8歳〜18歳) 
  第6章 父・山くん(土=腹の出た20代) 
  第7章 保育人たち(土=子どもから大人へ) 
  第8章 劇場公開(土=監督になる) 
  第9章 人間解放(土=これから)
  あとがき 

加納 土(かのう つち)

1994年神奈川県生まれ
自らの生い立ちを追ったドキュメンタリー『沈没家族』を武蔵大学社会学部メディア社会学科の卒業制作として制作。その後、劇場版として再編集したものを2019年全国20館以上の劇場で公開。現在も全国各地で自主上映会が続いている。
『沈没家族 劇場版』公式HP:http://chinbotsu.com/
『沈没家族 子育て、無限大。』(筑摩書房)発売中

2020年9月2日

ごみの匂い 第2回

塔島ひろみ

貝の人

『応用生態工学』という学術誌に発表された「海岸生態系研究におけるアマチュアリズムと保全活動―希少貝類を例として―」と題する論文の冒頭部に、次のような記述がある。

 保全生物学の基本的な思想のひとつである「生物の多様性は「善」である(Soule1985)」という考え方は、実は科学のみならず哲学的にも革命的なものであり、人類の思想史・人類の思考の発展段階における大きな事件と考えねばならない。なぜなら、その思想は人類にとって「害」をなすかもしれない生物の生存権も明かに保証するものだからである。人類は自然との戦い、科学の発展という道程を経て、「汝の敵を愛せよ」という境地へ理論的にやっとたどり着いたのである。それは究極的には「敵」というものが実は存在しないのだということであるのだが、生物多様性の意味を知る者には、その理解は容易なはずである。・・・(中略)・・・生物多様性という言葉は、人間が生物であることを思い出させるものに他ならない。

 この文章を読んだとき、いろいろな事柄が私の頭(文系)を巡った。戦争、ホロコースト、出生前診断、ヘイトデモ・・・
 生態系について言われていることが、私たち人間社会にもそのままあてはまるような気がした。

 人はいつも線ばかり引いている。「男」と「女」、「障害者」と「健常者」、「日本人」と「外国人」、「一市民」と「犯罪者」…。自分のいる「私たち」側と、いない「あの人たち」側の間に、線を引く。そして自分にないものを持つ異質な「あの人たち」の数が増え、自分たちの領域が侵されるのを、恐れ、嫌う。
 だけれどもしそんな「あの人たち」がいなくなって、「私たち」が「私たち」だけになったとき、果たして私たちは生き続けることができるのか・・・? そんなことを思ったのだ。

 この論文を書いた山下博由さんは、物言わぬ貝の、細かいひとつひとつを徹底して調べ、環境の変化が生態系に及ぼす影響について警鐘を鳴らす、貝の代弁者のような研究者だ。「山下由」という名でとても美しい詩を書き、ギターを弾き、歌う、アーティストでもある。

 冒頭の論文は、干潟の開発で絶滅傾向にある海棲貝類の保全に、アマチュア研究者や地域住民との連携が重要だと訴える内容なのだけれど、とりわけ次の一文に目を引かれた。

 「希少種のいる貴重な生態系を守ろう」と言っているのであって「希少種だけを守ろう」と言っているのではない。

 とある漁村の湾部の開発時、希少種保全のためにとられた「移植」措置に対する、山下さんの主張・・・。
 すごく、感動してしまった。

 「多様性」という言葉をとてもあちこちで耳にする。
 「多様性を進める」「多様性に取り組む」「多様性のある人材確保」…、そんなフレーズを、毎日のように耳にする。

 だけれども、多様性は、「進める」とか「採り入れる」もの、いろんな人を集めて作り上げるものではないことを、この、山下さんの文章は教えてくれる。
 自然環境同様、人間社会も本来は、多様だ、ということ。
 もし多様でなければ、人為的に、ある特定の集団だけが生きやすい社会、ある特定の「あの人たち」が生きにくい社会に、「私たち」が社会を改変した結果だと、気づかせてくれる。

 「希少種のいる貴重な生態系を守ろう」

 線を引くこと、ある「あの人たち」を、排除すること、隔離すること、抹殺すること、そして「優良」な種を特定し、それだけを生かし、再生産すること。同一の「私たち」ばかりをコピー&ペーストすること。それは、きっとその社会自身を危うくすることになるのではないか、と、この貝の論文を読んで思うのだ。

 REASEプロジェクト時にインタビューを行った車いす区議の村松勝康さんは、秋田の小村での子供時代、歩けないため四つん這いで他の子に混じって遊んでいた。それが学齢期、小学校入学を許可してもらえず、一年遅れでやっと入学できたそうだ。
 お母さんの奮闘でバリアフリー設備の整っていない小学校に苦労して通い、なんとか卒業した経験を、村松さんは著書『80センチに咲く花』に綴っているが、その学校でのエピソードからは、「村松君」という歩けない子の存在が、同級生たちを確実に成長させている様子が、伝わってくる。
 就学前の自然な友人関係を「入学拒否」という余計な差配で引き割いた当時の教育行政が、「村松君」から教育を受ける権利を奪っただけでなく、歩ける子たちが「村松君」と接する権利、歩けない「村松君」と接することでたくさんの大事なことを学ぶ権利をも奪っていたのだ、ということが、伝わってくる。

 「富山型」と呼ばれる共生型デイサービスの生みの親である惣万佳代子さんは、著書『笑顔の大家族 このゆびとーまれ』でこんなことを語っている。
「むかしは老人学などなかった。学問で老人のことを教えなくとも、いつも老人がそばにいたから肌でわかっていたのだ。年を取れば歯が抜け、頭が禿げ、腰が曲っていくことを。今はそれを文字で学習しなければわからない。」

 去年の春、山下さんにこのサイトへの寄稿をお願いした。

 第1回:生物学の視点からの「多様性」
 第2回:貝類の多様性、生息環境の多様性
 第3回:貝類と人間
 第4回:人間社会の多様性
 こんな感じに書いてもらうことになっていた。
 だけれど彼はそのあと抱えていた病気が重くなり、直らないまま、執筆に取りかかる前に、亡くなってしまった。

 実はその寄稿をお願いした折に、私は山下さんに、「大江健三郎氏に原稿を頼むことを考えている」と、当時密かに思っていた計画を打ち明けたところ、こんな風に言われた。
「大江さんはすでにいろいろなところに文を書いて、たくさんの人が大江さんの考えを知っている。もっと、その人が普通に感じ知っているけど誰にも話していないこと、その人が死んでしまったら誰も知らなくなってしまうこと、そういう話を聞くのが大事なんじゃないか」

 また一つ、大切なことを教えてもらった。

 山下さんの詩をひとつだけ、紹介したい。

美しいもの

僕が出会った美しいもの
地球の全ての花々
季節は一時に流れ
昔はいつまでも優しかった
今夜もホーボーが歌う

僕が出会った美しいもの
地上の全ての動物たちが
お話を作った
僕は君を探して旅をした
今も旅をしてる

僕が出会った美しいもの
全てのものは美しく 
完全だった
僕は火を呼吸して歩き
丸まって眠る獣

血の虹がかかる日
未来は波打ち際で
泡のように笑っている
僕は僕の貝殻を
拾うことができるかしら

1 March, 2002

*ホーボー(Hobo)は,アメリカ大陸を旅する自由生活者.

(地下オンさんの許可を得て全文を掲載させていただきました。他にも山下由さんの詩、歌詞の多くが、地下オンさんのサイトで紹介されています)

引用文献:

2020年8月19日

障害当事者と学校 第5回

冨田佳樹

養護学校の環境、車椅子の作製

平成9年4月、私は名古屋市内にある養護学校・中学部に入学した。 小学部、中学部、高等部と合わせて約200人の生徒が在学していた。スクールバスが学校に到着する登校時間。玄関ホールでは慌ただしい朝を迎えていた。多くの生徒、教職員たちが行き交う、賑やかな光景があった。見学で知っているつもりだったが「車いすの生徒がこんなにいるのか」と驚いた。

中学部の時間割は45分1コマ、最大6コマの授業(土曜日は2コマ)が組まれていた。生徒は個人の能力、病状によって

  • Aスタディ(Aスタ)
  • Bスタディ(Bスタ)
  • 重複障害(重複)

のカリキュラムに振り分けられる。Aスタでは一般中学の教科授業を行う。一般中学に近い内容で、中間試験、期末試験も実施される。在校時Aスタには、私と女子生徒1名の計2名が在籍していた。教室でAスタ生徒2名が各教科担任の授業を受ける形式だった。
Bスタは知的障害、身体障害向けの教科(数学、国語、音楽)を習う。社会生活を送るのに必要な知識、技能(金銭管理、公共交通機関の利用、買い物の仕方など)も取り扱う。
生徒の区分の中に重複障害がある。「学校教育法施行令第二十二条の三」が規定する障害区分(知的障害者、肢体不自由者、病弱者)を複数持つ生徒のことである。障害の程度にもよるが、体調の変化に対応できるよう、担当教員が付きっきりで見守る必要がある。車椅子移動、車椅子への移乗、食事、おむつ交換など身の周りのケアも行う。また、教員とともに生徒の介助をする「介助員」と呼ばれる職員もいた。誤嚥に注意が必要な生徒、けいれんを起こしやすい生徒など、症状が重い生徒が大半を占めていた。
私の在籍していた学年は男子生徒5名、女子生徒8名、計13名。担任、副担任が組を受け持っていた。2名がAスタ。6名がBスタ。5名が重複に分けられた。

中学部合同で行う授業もあった。Aスタでは図画工作、音楽、が合同授業だった。Aスタ・Bスタ合同で行われる授業もあった。体育、機能訓練の授業である。体育では野外(グラウンドや敷地内の歩道)・屋内(体育館)での障害者競技(車椅子マラソン、ゴロバレー、風船バレーなど)、温水プール水泳を行う。機能訓練は生徒の運動機能の維持・向上を目的とした運動、訓練を行う。校外宿泊、社会見学、修学旅行などの校外学習も行われる。生活面での指導もあった。生徒の問題点、要改善点を見つけ次第指摘された。私の場合、介助を頼むときの気づかい、他者との接し方、自立に向けた心構えなどを教えられた。日頃から「人の話をちゃんと聞け」「周りをよく見てから助けを呼ぶようにしろ」「忘れ物は(親ではなく)お前のミス」と注意された。

自宅から学校まで1時間以上かかる距離のため、最寄りの停留所からスクールバスで通学した。入学直後は教員の補助で辛うじて歩行できていた。この時点では車椅子を持っていなかった。長距離の移動、バスの乗降など、自力でできない場面が増えていた。教員のおんぶ、(キャスター付きの)オフィスチェアに乗って押してもらう、といった方法で対応した。車椅子生活を勧める教員の声もあったが、当時の私は頑なに拒んだ。まだ「車椅子には頼りたくない」「障害者になりたくない」気持ちでいた。 しかし、いつまでも車椅子に乗らず、その場しのぎの学校生活を送るわけにはいかなかった。1学期末に、教員から「そろそろ車椅子を作られてはいかがですか」と強く推された。市の児童相談所に相談したところ、「車椅子を作製するには身障者手帳を申請した方がいい」「車椅子作製費用の補助が受けられるから」と言われた。区役所で手帳を発行してもらい、2学期に入る頃に車椅子ができあがった。私の中では、立位・歩行への未練は依然としてあった。車椅子の生活が始まってみれば、歩けないこと、身体障害者になったことを、徐々に受け入れていった。

2020年8月12日

言語の多様性 第3回

森 壮也

世界に急速に拡がるもうひとつの「新型コロナ」

 前回、次の回では、二言語間の通訳などを通じて、手話に関わる多様性について述べると予告した。つまり、音声言語や手話言語同士の間での通訳という複数の言語が介在する空間での問題を取り上げる予定でいた。しかし、世は今、新型コロナ一色の状況である。加えて新型コロナについて臨床的なことは少し分かって来たものの、コロナをどう社会的に制圧するのかについては依然として有効な方法が見つかっておらず、一部の国を除いて世界的な蔓延状況はさらに拡大しつつある。そこで、手話に関わるこの複数の言語間の話をする前に、少し新型コロナと手話の話をしておきたい。通訳の話はまた次回にということでご寛恕願いたい。

 まず新型コロナで興味深いのは、次の事実である。インフルエンザ以上にこれが大変なスピードで世界的な問題になったのはご存知の通りであるが、このウィルスを表す手話がこれまた猛烈な速さで世界中に拡がり、当初、いくつかの変種があったものの、あっという間にほぼ同じものが使用されるようになったということである。

 筆者の知る限り、当初の段階では、
① 電子顕微鏡で見えた太陽の外層大気(コロナ)に似たウィルスの形を示すCLの諸変種
② 指文字でC・O・R・O・N・Aと綴りのアルファベットを示すもの、またはC・Vと頭文字を示すもの(動画1、ニュージーランド手話)
③ 武漢+肺+感染症のような地名を記したもの(動画2、台湾手話)
の三種があり、結局、今現在も多く使われているのは①なのだが、①もまず大きく二種類に分かれる。利き手と非利き手の接触箇所が
α手の甲側か(動画3,チュニジア手話)
β掌側か
の二種類である。
その上で、βタイプについては、
①-1 利き手のパターンとして手話のはじめから終わりまでずっと5手型のもの(動画4,アメリカ手話A)
①-2 始めはS手型で5手型に変化して終わるもの
と二種類の変種が観察されている。さらに手の動きで、
A利き手を非利き手の上でこすりつけるように繰り返しの動きが見られるもの(動画4
B利き手の動きは非利き手の上で花びらが開くように動かすが動きは1回だけのもの(動画5,アメリカ手話B)
C両手に副次的なひらひらした動きが共に起きるものがあり(動画6、フィリピン手話)、動きの様子についても①-1がこすりつけ動き(動画5)、①-2ではA(動画4)かB(動画5)というパターンの配置が見られる。

 それぞれを系統樹の形で書くと以下のようになる(図1)。

世界の新型コロナの手話の主要諸タイプ
図 1(筆者作成)

 新型コロナという手話が新しく出現し、世界で共通して関心事になっているものの、このように手話が瞬時にして新しい手話として出現し、さらにひとつのみでなく様々な変種が出現しているさまは手話語彙の発展という意味でも非常に興味深い。手話という新しい言語は、変化速度が音声言語に比べると著しいと言われているが、ここでのこうした変化はそのことも証明していると言える。同時に発展のパターンがそれほど自由なわけではないことも示している。①から③の種別は、文化圏の影響が強いだろう。用いられている地域で、アルファベットが用いられていないと②は生じないし、漢字圏でなければ③は生じない。①はどちらの地域においても発生しうるパターンであり、このCLと呼ばれる手話に特徴的な形態素の形は、多くの手話で観察されている。CLとは、Classifier類別辞と呼ばれているもので、元々は北米先住民言語の研究の中で発見されたものであるが、東アジアの言語でも観察されている。日本語の本、頭、匹などは、数詞に付けることで、数えているものの形や大きさが分かるCLである。これと同じようにアメリカ先住民のひとつである南部アサバスカ諸語を使用する部族(日本ではアパッチやナバホなどがこれに属する部族として知られている)のものが著名である。ここでは、カナダのブリティッシュコロンビア州のハイダ語の事例を紹介しておく(堀 2017)。

(1) c'aanəwaay ɬgi-Gaaw-tlľəχa-gən.
 the. log CL LIE-to.destinaton-PAST
 'The log drifted ashore.'
(2) c'aanəwaay=ʔəsəŋ  t'alaŋ kid- ɬgi-daal-sGa- gən.
 the.log=too     we by.poking-CL-MOVE.ALONG-to.centre-PAST
 'We rolled the log out.'

(1) はGaawを語根とする自動詞節で、CL(類別辞)ɬgiが、その節の主語c'aanəwaay=’the log’(丸太)の物理的特性、すなわちこれが、筒状の大きい物体(彼等が作るトーテムポールなども同じ形状)であることを表している。
一方、(2) は、動詞語根daalに手段接頭辞kid-が付加されてできた他動詞で、(1) と同じ類別接頭辞ɬgiが今度は、その他動詞節の目的語c'aanəwaayの意味的特徴を表している。

 この事例に見られるように、ここで言う「物理的特性」、つまり形の面の特性のみを表し、そのものを特定しない(太い筒状の何か)語彙がこれらの(音声)言語にはあるが、同じような性質を持つ語がアメリカ手話(ASL)には見られることから、手話にもCLがあるという発見が1970年代にあった(Frishberg 1975)。その後、CLについての多くの研究と論文が出され(Supalla 1986など)、日本手話でもCLの存在が確認されている(佐伯 2016など)。

 冒頭でも述べたように、新型コロナウィルスの持つ様相を示したCLで表すことによって、このウィルスを意味するに至った手話の新語の形成は、世界各地のろう者自身のコミュニティの中で、(何かの委員会での協議等によるのではなく)自然な形で生み出され、そしてここで述べたような様々な発展を遂げている。それは例えば、手話の言語上の利き手の動きの上での変化のみであることは、いわゆるBattisonの優位性規則と呼ばれる(Battison 1978)手話の音韻規則にも適っている。Battisonの優位性規則というのは次のようなものである。

Battisonの優位性規則(Battison 1978)
両手が異なる手型の場合、片手は動き、もう一方の手は受け身(あるいは主体的に動かない)でなければならない。かつ、受け身となる方の手型は、次の手型(図2)に限定される。

非利き手
図 2 (出所:原大介(2009)「手話」今井邦彦編『シリーズ 朝倉<言語の可能性>2 言語学の領域(II)』朝安倉書店, p.82)

 この規則をさらにソフィスティケイトし手話のプロソディック(韻律)状の制約にも言及したEccarius and Brentari (2007)にも適った変化である。

改訂優位性規則 (Eccarius and Brentari 2007)
(a) もし両手の手話を意識して表示される手指と関節双方の組合せ(手型)が同じではないなら、
(b) 一方の手の動きが能動的である一方で、他方の手は受け身でなければならない。
(c) そしてこの手話の形(両手の意識して表示される手指と関節)では両手全体(両手の意識して表示される手指と関節の組合せの組)で、そこに見受けられる有標な音韻的構造は2つまでであり、この構造のうちのひとつは、受け身である方の手に属するものである。

 手話のWell-formedness、言語的適格性がこうした変化でも保たれていることは興味深い。人工的に意図を持って作り出すのではなく、コミュニティ内での自然な発生と分化がここでは見られる。さらに最近では、アメリカ手話の中で、COVID-19 Virusと①-2Bの後、利き手の掌が非利き手を包み込むという新たな接辞が付加されるという変化も観察されている(動画7)。この新たな分化がどれだけ広まるのかはまだ分からないが、興味深い言語の発展である。

引用文献

  • Battison, Robin (1978) Lexical Borrowing in American Sign Language. Linstok Press, Silver Spring, MD (Reprinted 2003. Linstok Press)
  • Eccarius, Petra and Diane Brentari (2007). Symmetry and dominance: A cross-linguistic study of signs and classifier constructions, Lingua 117(7), pp.1169-1201.
  • Frishberg, Nancy (1975). "Arbitrariness and iconicity: historical change in American Sign Language". Language. 51 (3), pp.696–719.
  • Supalla, Ted (1986) The Classifier System in American Sign Language. Craig. (ed). Noun Classes and Categorization, Benjamins. Pp.181-214.
  • 佐伯敦也(2016)「日本手話におけるアスペクト : 語の内在アスペクトと運動形式の関連を中心に」『言語情報科学 (14)』, 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻, pp. 1-17.
  • 堀 博文(2017)「ハイダ語の類別接頭辞と名詞類別」『人文論集 : 静岡大学人文社会科学部社会学科・言語文化学科研究報告: annual reports of Departments of Social & Human Studies and Language & Literature 67(2)』、静岡大学人文社会科学部, pp. 159-185. 

動画
動画1 ②


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.health.govt.nz/our-work/diseases-and-conditions/covid-19-novel-coronavirus/covid-19-novel-coronavirus-resources-and-tools/covid-19-accessible-information/covid-19-novel-coronavirus-new-zealand-sign-language )

動画2 ③


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.facebook.com/eduyungho/videos/2792201127677019/?v=2792201127677019)

動画3 ①α


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://youtu.be/Pk2IintJZGA)

動画4 ①β-2B


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.facebook.com/eduyungho/videos/2792201127677019/?v=2792201127677019)

動画5 ①β-1A


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.youtube.com/watch?v=qlX2GlQgFuA)

動画6 ③


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.facebook.com/359890838200978/videos/589191258618875/)

動画7 ③


(出所:以下のサイトより該当手話部分切り出し。https://www.facebook.com/359890838200978/videos/589191258618875/)

(森 壮也 日本貿易振興機構アジア経済研究所 主任調査研究員)

2020年8月5日

フェミニズムとディスアビリティの交差点 第4回

飯野由里子

ディスアビリティの視点と交差させる

 第3回のエッセイの最後で、女性労働の「デバリュエーション(devaluation)」理論にふれた。これは、男女間の賃金格差が生じる原因を探る中で出てきた考え方で、女性労働の価値が引き下げられる要因を次のように分析する。公私二元論のもと、市場で支配的な位置にいるのはこれまでも、そして現在においても男性(実際には、特定の男性集団)で、彼らは自身の優位性を維持する方向で市場のルールを設定したり書き換えたりできる特権をもつ。このため、より多くの女性が市場活動に参加するようになったとはいえ、市場のルールは女性に対して不利に働きやすい。また、他者のケアを含む家事労働に低い社会的価値しか与えられてこなかったことも相まって、女性が行う労働は、とりわけそれが家事労働に近い要素を持っていればいるほど、市場において低く価値づけられてしまう(*1)。
 したがって、女性労働の価値を適正なものにしていくためには、市場のルールを多様な参加者の存在をふまえた、より公平なものへと変更するとともに、女性が携わってきた労働(家事労働を含む)の価値が社会において適切に認識される必要がある。このように整理すると、ダラ・コスタらによって主張された「家事労働に賃金を!」運動の狙いは、後者に狙いを定めることで、女性労働の価値を、家庭内と市場の両方で高めていこうとしたものだったといえる。第3回のエッセイで記したように、ダラ・コスタの議論は、当時のマルクス主義フェミニストから批判された。しかし、両者の目的はいずれも、家庭内で働こうが市場で働こうが、両方の場で働こうが、資本主義社会のもと、女性が不利な位置に置かれやすくなっている構造を変えていこうという点にあったのだ。
 さて、ここまでダラ・コスタらを擁護する形で議論を進めてきた。だが、ディスアビリティ(障害)の視点を加えると、彼女たちの議論の前提に憂慮すべき危険があることが見えてくる。このエッセイの後半では、主に2点を指摘したい。
 ひとつは、労働力を再生産しない家事労働をどう位置づけるのかという点に関わる。ダラ・コスタとジェイムスの議論は、女性の家事労働が、現在と将来の労働力を生み出すという点で、資本主義にとって不可欠なものだという前提に立っていた(第2回のエッセイを参照)。しかし、家事労働の中でもとりわけケアに関わる労働には、高齢者や病者の介護、障害者の介助など、資本主義が必要とする労働者になることが期待されていない人たちへのケアも含まれる。こうした人たちに対して行うケアは、先の議論のロジックに沿って考えると、労働力を再生産するものではないので「労働」ではなく、したがって対価を支払わなくてもよい、ということになってしまう。このように、ダラ・コスタとジェイムスのロジックのみに依拠して女性労働の価値を高めていこうとすると、資本主義にとってどの程度有用性があるのかを軸に、女性労働の内部に新たな階層秩序が作り出されかねない。さらに危険なことに、そうした階層秩序は、能力主義や優生思想と結びつくことで、特定の人びとの生存を著しく困難にしたり、彼ら/彼女らの存在を否定する傾向に手を貸してしまうことがある。
 ダラ・コスタらの議論に対するもうひとつの違和感は、家事労働(とりわけケア労働)の負担をめぐる議論の仕方に関わる。「家事労働に賃金を!」運動は、女性たちが家庭内での無償労働と市場での低賃金労働によって大きな負担を抱えていること、それにより資本家が利益を得る一方で、女性たちが不利な位置に置かれていることを問題にした。この問題提起の重要性が過小評価されるべきではない。だが、家事労働やケア労働の負担をめぐる議論では、労働を担う側の負担にばかり焦点があてられ、それら労働を直接受けとる側が経験している負担が不可視化されがちだ。その結果、負担をめぐる議論は、他者によるケアなしでは生活・生存の維持が著しく困難な人たちの存在を欠いたままなされる傾向にある。
 ケアする側である女性がそうであるのと同様、ケアされる側も既存の社会構造や社会規範によって不安定かつ脆弱な位置に置かれ、さまざまな負担を抱え、我慢させられている。しかも、ケアされる側は、ケアする側との関係を容易に退出できないという点で、より不利な位置に置かれやすい。この点をふまえると、ケア労働を担う人たちの負担をどう減らすかという課題は、その労働を通して提供されるケアの量や質をどう担保するかという課題とあわせて議論されなければならない。後者の視点を欠いた議論は、誰かの生存の不安定性・脆弱性を加速させる可能性があるのだ。その暴力性に意識を向けること。それは、社会保障制度改革のもと緊縮削減政策が進められている昨今において(*2)、これまで以上に重要なものになってきている。

  1. 女性労働の「デバリュエーション(devaluation)」については、以下の文献を参照してほしい。Reskin, Barbara F. ‘Bringing the men back in: Sex differentiation and the devaluation of women's work,’ Gender & Society, Vol. 2, No. 1, 1988, pp. 58-81.
  2. 生存権に関しては、現在、2013〜15年の生活保護費の引き下げをめぐり、全国で訴訟が起きている。障害の領域でも、2005年10月に成立した障害者自立支援法に対して2008年10月になされた全国一斉提訴において、生存権が主張された。詳細は、障害者自立支援法違憲訴訟弁護団編『障害者自立支援法違憲訴訟−−立ち上がった当事者たち』(生活書院、2011年)等を参照してほしい。

2020年6月24日

発達障害とわたし 第1回

Pafupafu Flower analchang

コロナと就職活動(前半)

発達障害なんて他人事と思っていた。
自分とは全く関係のないものだとずっと思っていた。
いまだにおかしな感覚に囚われる。
自分は発達障害なのだろうか。
私が発達障害であろうとなかろうと
私は変わらない同じ人間なのに。

発達障害の診断を受ける前も受けた後も
私自身は変わらない。
振り返れば、自分の様々な困難は発達障害の特徴によるものが多い。
幼い頃から長年ずっと苦しんで来たことが、感覚過敏によるものであると、最近になってやっと気づいたり。できることができなかったりすることも発達障害のせいだったりする。自分の抱える様々な困難や特徴が発達障害から来ているものだと、今更解ってもどうすれば良いのか。解りたい知りたいとは思うが、解ったところで困難が解決する訳ではない。
障害者である自分を知ったり周りに知ってもらうことで、何かメリットがあるのだろうか。本当にわからない。

自分にとってはデメリットしかない。

コロナウィルスに対しての
緊急事態宣言、自粛要請で困難になった就労活動について綴ろうと思う。

正社員で務めていた会社で仕事中、膝を痛め休職し転職を考え、昨年から就職活動をしていた。
やっと就職活動に本格的にうごきはじめられた。矢先。
履歴書や職務経歴書を数カ所送って、やっと現実的に動き始めた矢先のコロナウィルスによる緊急事態宣言。
就職活動がかなり困難になってしまった。

就労支援で相談に乗ってもらったり支援頂いていた機関は施設自体が利用禁止。
ことごとく直接面談中止になる。
電話相談電話対応に変わる。

東京都の自粛要請で
会社も自粛が多いが公共機関も、できる限り接触を避けるようにと、ほとんどの就労支援などの施設が電話相談に切り替わって、施設の利用は不可。職員は交代で出勤。
働いているが施設自体閉じてしまった。

対面での面談も受けられず
電話相談の予約も受けてもらえなかったり。
施設により対応はまちまちだが、
出来れば次の予約を入れたくない。来ないでくれと言われる。
しかし、相談が必要なら断りはしない。みたいな対応が多い。
電話しても担当職員も他の現場に駆り出され、いなかったり。交代制の勤務になって、担当者がいなかったりする。

国の緊急事態宣言による自粛体制がさらに5月末まで延長。いつコロナが終息するのか。先が見えない。 自粛がいつまで続くかわからない。

4月1日二次面接予定だった会社は二次面接先延ばしになり、障害者雇用の合同面接会は中止になり、トライアル雇用の受け入れもコロナウィルスの終息を待ってから受け付けると言われ、ハローワークは開いているものの
求人は減っているし、応募しても返信がない会社も多く。
ハローワークは開いてはいるもののハローワークの電話はつながるまで1時間待ち。繋がらない・・。
求人自体も減っている。
求人取り下げたり、求人の更新をしない会社が増えていると。ハローワーク窓口からも言われた。

更に、この状況で今人が欲しいという企業・・。いま、求人を出している企業が、
ブラックな企業である可能性が高そうで気が重い。

身動き取れなくなって。途方にくれる、
でも、その中でどうにかやってゆかなくてはならない。
これが、現在。5月

3月末
就活中の生活費としてつなぎでやっていた結婚式場の皿洗いのバイトが無くなる。
4月の仕事がゼロ
つなぎでやっていた結婚式場の皿洗いは1月2月3月とだんだん仕事がなくなり、とうとう4月にゼロになる。今月だけゼロではなく、だんだん減って、と言うのが辛い。5月もゼロだし6月7月もないだろう・・。
結婚式も宴会もこの状況では当分ないだろう。

就活どころではなく、まず明日の食糧、今月の電話代のために、何か仕事をさがさねば、
電話が切れたら、就職活動がさらに困難になる。とりあえず収入がなければ生活できないので、スーパーのバイトの面接を受ける。

返事が来てとりあえず短い時間だが雇ってもらえる。
スーパーのバイトは週20時間からのスタートだから、多くて月8万ぐらいだが、ゼロよりまし。4月はもう半ばなので
4月の収入は多くて2万ぐらいかもしれない。いや・・2万もらえないかも。もしかしたら、もっと少ないかも。
2万でどうやって。暮らすか・・。
電話代と親の会社で働いた際にきちんとした給与が支払われなかったために負った借金の返金を返したらお金が残らない。

社会福祉協議会に電話すると
コロナウイルス対策の
上限20万円の貸付金の話をされる。
最悪、本気でどうしようもなくなったら、
お金を借りるしかないが、仕事が決まってるわけではないのに、借金を重ねるのは、
恐怖だ

給付金30万の話は無くなったが、
自分は、みんながそんな奴はいないと
騒いでいた、給付の対象であったのではないかと。ちょっとがっかりする。
住民税の非課税対象にまで落ちた人間、少ないだろうが、現実に対象者はいて、厳しい訳で、
一律10万円に反対なわけではないが、

そこで、救われなかった人たちに対しての
救済手段は、考えて欲しい。

お金が本当にないので、昨年、秋ぐらいからフードバンクも利用しているが、フードバンクに登録できるまでが、もう本当に本当に大変で大変で、何度も何度も区の困窮支援窓口に行くが登録させてくれない。
現状と困難ぐあいは説明したが、
フードバンクの利用を希望すると
その場で少し食べ物はくれるが、フードバンクの登録はさせてくれないし、フードバンクの説明もあまりない。
登録は財布の中身が1000円以下になったらと言われ、何度も何度も、何回も何回も 通って、そのたびに、財布の中身の金額を職員の前で数えてそれを行くたびに、何度もやって
フードバンクの登録を渋られ、断られ

本当に精神的にも肉体的にも追い込まれた状態まで追い詰められてから、精神的疲労から眠ることもできなくなり、とにかく少しでも休まなくては、きちんとご飯を食べて、きちんと睡眠をとって、当たり前のことだけれど、それもままならないくらいに追い詰められる。もう限界となって体調をさらに崩したのが、昨年11月21日
要は、仕事などできないレベルまで追い込まれないと、登録させてくれない。
現実それ、ですよね。区困窮支援窓口の対応は

削れるところは、食費、となるので、食費を削ったがために、体調や精神状態を崩す。
その状態でバイトにゆき、先が見えない就職活動と職業訓練校の受験
もともと、状態がいいわけではない。
収入が安定していれば、
食事と睡眠時間の確保を優先するが・・。

何故、ここまでならないと、登録させてもらえないのか・・・。
電話口で、どれくらい危機的な状況なのか、訴える。とにかく、食糧の援助をもらえれば、生きては行ける。最低限のところまで、バイトを減らすこともできるから、ここでさらに肉体的にも精神的にも働けないレベルまで追い込まれては、きつい。フードバンクの登録をさせてくれと、電話口で必死に捲し立てて、
その状況でも、生活福祉課困窮支援窓口職員は、
財布のなかのお金を数えろと言う。
もうこれまでに、何度も数えているし、
現状は以前から話している。
財布の中お金が1000円以下、それがフードバンク登録のための基準なのか。
これは、全国的にそうなのか?X区だけか?本気で切羽詰まって、ギリギリの状態で
やっと、
電車移動の交通費がない、状態で
やっと登録できた、

しかし、登録したら
生活が充分できるだけの食料がもらえるわけではない。だったら、何故、もう少し早い時点から、登録させてくれないのか・・。
このシステムは何なのだ??と、思う。

少しでも食料がもらえるのは本当にありがたいが、
生活するのに十分な食料がもらえるのでないのなら、なぜもっと早い時点で、登録させてくれないのか・・・。
こうやって、かなり前から生活が厳しくなったところから困窮支援窓口に相談していても、本気で経済的にギリギリに追い込まれるまで、フードバンクの登録はさせてもらえなかった。せめて、もっと早い段階で、登録させてもらえれば、
ここまで追い詰められない。ここまで、追い詰められなかったのに。

精神的にも肉体的にも追い詰められ、
障害者就労支援センターに2箇所、都と区とに登録し、東京しごとセンター、ハローワークのキャリアカウンセリング、生活福祉課の就労支援、区の就労支援センター
あちこち就職の相談をしているのに
なにも進まず、先も見えず

☆☆☆

今まで一般の就労しかしたことがなく。
障害者就労をしたことがなく、一般の普通の仕事普通の会社で問題なく働いてきた。
クローズで問題なく働いてきている。
今後のためにも、障害者就労も視野に入れて
オープンとクローズ両方で探そうと思った。

☆☆☆

障害者就労も視野に入れて、オープンとクローズ両方で仕事を探そうと、散々動いた末
手間も時間も 労力もお金もかけた末、
結局、一般就労(障害者就労ではないという意味)をするかもしれない。現在。
そしてその過程の困難。
グレーゾーンといえばグレーゾーンなのか・・?
自分は所謂グレーゾーンなのか
それとも障害が重いのか、
それって、何で決まるのかな。
困難度合い??医者の診断書??
この、偏りはどこから来るのです??
あと、そもこれ、障害じゃないでしょ。
特徴なので、脳の機能の偏りだし・・。
障害になってるのは、この社会のせいですよね。私と同じタイプの人間が世の中の多数派であれば、いま、健常者とされている人間達がむしろ障害者ですよ。

発達障害も
自閉スペクトラム症も障害ではあるけれど、
人口に対する割合そんなに低くもないのです。何故こんなに苦労しなければならないのか。
障害を隠し、一般就労を初めから目指していれば、こんな苦労をしなかったかも、ですし、経済的にここまで、追い込まれることはなかったかもしれない。

障害者就労支援が言うことは正しいのかもしれない。「一般就労でいいんじゃないですか?」

けれど、違和感を感じる。
障害者エリートでなくては、就労が難しい現実。
障害者就労が一般就労より困難。と言う部分。

発達障害支援法 とか、ありますが、
発達障害支援してもらえるのでしょうか。
どう支援してくれるの??あの法律なんなの??と思う。
世の中、発達障害について、差別ばかりで、マイナスばかりですよね。と。 支援受けていないとは言いませんが、
確かに、支援してもらえているのかもですが。どうなの??と、思う・・。
そんなに支援受けられてはいないぞと。

結局表面的な部分のみ
一部の人間が支援されれば、それで良し。

法律で社会が大きく変わっていく
発達障害にとって生きやすくなるわけではない・・。

世の中がそんなに、発達障害について
優しい世界には思えない。
理解もほとんどない。
偏見や差別は強くても理解は薄い。浅い。

障害者差別防止法とか
字面だけ並べて、当事者は苦しむしかない。

かえって、しんどくなる現実。
今、この世の中で、
発達障害だと、名乗らなくて済む人は
日本では特に名乗らない方が良いのではないかと思う。
発達障害だけでなく、精神障害についてもそうだ。
障害者を差別しない。理想や建前はいいよ。
勝手に語ってくれ。と思う。
福祉の表面的な理想論的な建前の話と、
現実。の対応。その差。

Pafupafu Flower analchang(ぱふぱふ・ふらわー・あなるちゃん)

フラワーランドから来たお花の妖精
未来人のメッセージを伝える使者として
パフォーマンス活動を続けている。
うたっておどれる陶芸家

陶芸家 国立国際美術館 作品集蔵

インディーズアイドル
(キララ社発行インディーズアイドル名鑑の大鳥)

パフォーマンス活動
LUFF (Lausanne underground film and music festival) ローザンヌ国際アンダーグラウンドフェスティバル2016年日本代表アーティスト

音楽イベント主催
『大宇宙ロックフェスティバル』
『凶人解放治療』
『こたつライブ』
『音詩空間』

ゆるキャラデザイナー
南新宿商店会・南新宿町会公式キャラクター『ミナミー』をデザイン

イラスト・デザイン
東急デパート『福祉ものづくり展』ポスター製作
国会議事堂セブンイレブン障害者の販売スペースありがとうショップのPOP製作
関東ウェーブの会 アイコン製作
ペイディフェ pays des fees
ヤドクガエルコレクション Tシャツデザイン

2020年6月08日

十人十色 第三回

村上愛

科学と隔離

 今回のコロナ対策では、罹患していることが判明した場合に、一時的であれ隔離措置をとられ、日常生活に大幅な制限を加えられる状況です。科学的主張に基づく平時では考えられないような人権にかかわる処置がなぜ容易に生じたのでしょうか。また、このような人権にも関わるような事態をなぜ平然と社会が受け入れたのでしょうか。

 この問題を考えるために、日本の比較的近い歴史をみてみましょう。かつて日本では戦前からハンセン病患者の隔離を行い、1996年まで強制隔離を継続した過去があります。現在ではハンセン病の感染力は非常に弱く、全く隔離は必要ないことが知られていますが、当時はそう考えられていませんでした。なぜならハンセン病の専門家が隔離は必要と主張していたからです。日本で隔離政策を推し進めた光田健輔という医者はハンセン病の感染力を非常に強力だと考えており、そのため隔離政策を進めることだけがハンセン病を根絶するための唯一の方法だと信じていました。光田の主張に従い、政府は患者を強制的に隔離しました。それだけでなく社会全体でハンセン病隔離のためのキャンペーンを行い、患者狩りも行いました。いったん隔離されると、多くの場合患者は終生を施設内で過ごさねばなりませんでした。医者という専門家が「科学的知識」に基づいて隔離は必要だと言うと、それを覆すことは他の専門家にしかできません。さらに、社会の中に一度隔離が定着すると、今度は患者に対する差別や偏見まで社会に広がってしまいました。

 ハンセン病の場合、現在の視点からすれば誤った理由によって隔離政策が長引いていた点はよく強調されます。では、仮にハンセン病の感染力が実際に光田の主張したように強かったならば、病気を根絶するために個人を一生涯隔離したことは正当化されるのでしょうか。

 コロナウィルスに対する現在の様子をみると、他人に伝染させる可能性がある場合は一時的であれ厳しく社会から個人を隔絶しても構わないと思われているようです。

 このように医学は時として人間を非人間的に扱うようですが、これは、自然科学というものの対象が物質であり、人間ではないからだということが指摘できます。自然科学的な発想でいると、コロナウィルスという物質の隔離をしようとするとき、物質への対処方法を優先して考えてしまいます。しかし、ウィルスの宿主が人間である限り、それは社会的な問題を必ず伴います。そして、社会的な問題については、自然科学とは別に、人間を対象とした社会科学で分析する必要があります。単なるコロナ対策の経済効果を試算するといったことや、経済回復政策にとどまらず、個人の人権の問題として隔離政策の是非を社会科学的に考えることが今求められています。

 また、人々が隔離政策を素直に受け入れている要因ですが、これは科学的体系に対する信頼があるからです。私たちの多くはコロナウィルスを見たことはありませんし、まして感染する現場をその目で見たことなどありません。しかし、私たちは(あるいは政府は)感染症の専門家の主張を信じ、隔離政策をとっているわけです。この点において科学信仰もひとつの宗教に過ぎません。

 科学信仰が宗教の様相を呈しているからといって、反知性主義や反科学主義に陥る必要はありません。経済史の専門家であるJoel Mokyrによれば、そもそも科学とは、それ以前の哲学や宗教に根差した知識体系と異なり、過去の専門家の言説を覆すことが許された体系です。つまり現在主張されている内容は専門家と呼ばれる人々が相互に認め合うという仕組みによって信ぴょう性を担保しており、誤りを指摘して修正することで科学は発展しています。科学信仰における根本的な信頼は、相互に批判し認め合うPeer Review System そのものに根差しているわけです。そして科学信仰は、無批判で受け入れるべきものでは全くなく、絶えず批判にさらしてこそ信じられるものなのです。

 今回のコロナに関しては、すでに個人の行動を制限するという事態が進行しています。科学体系は批判を歓迎する体系であるからこそ、人権の抑制が進むようであれば批判の声を学問的にあげる必要も当然出てくるでしょう。患者の位置情報の追跡など、今後も個人を制限、監視するような政策が「科学的知識」に基づいて提案されていくと思われますが、社会全体でコロナに罹患する患者数を減らすという公益のために個人がどこまで譲歩すべきなのか、慎重に検討すべき時期と思われます。

村上愛

Northwestern University 経済学博士課程に所属する学生。ゲーム理論と経済史を勉強中。

2020年4月24日

バタバタ公園バタフライ 第6回

小川てつオ

結局、ホームレスはコロナ10万円、貰えるのか?

10万円。野宿者にとって、この額はでかい。直截的すぎるタイトルにしたのは、そのためだ。多くの野宿者にとり、3ヶ月〜半年の生活費に相当する。平均的な俸給生活者のレートに直せば、50万から100万くらいの感じだ。炊き出しは減り、アルミ缶の値段が下がり、仕事がなくなっている現在において、否応なしに期待は高まる。
コロナ給付金のことを考えると夜も眠れないという人もいるくらい、現在、野宿者の一大関心事だ。もちろん、金額だけではない。「すべての住民」に自分たちは入っているのか、という問題でもあるからだ。
20日高市総務大臣の記者会見をうけて、メディアは路上生活者も給付が受けられると一斉に報じた。しかし、住民登録している市区町村の役所で申請給付と聞いて、あきらめ顔の人やがっくりしている人がほとんどだ。
報道とは裏腹に、現行のやり方では、多くの野宿者には10万円が給付されないことは明らかだ。もし、このままで政府が押し通すならば、もっとも困窮している一群の人に生活保障のお金は渡らず、すべての人に給付というのはかけ声だけの空約束に過ぎなくなる。

ホームレスにとってのコロナ給付金の問題点

①住民票のある場所に住んでいない
だからホームレスなのだ。また、住民票が抹消されている人、どこにあるのか分からない人もいる。政府は住民票を復活させれば支給する、と言っているし、住民票は戸籍の附票によって判明するが、無戸籍者にも対応するらしいが、それらの手続きについてサポートがなければ出来ない人はかなりいる。
②申請書が郵送では受け取れない
(ほぼ)全ての野宿者は郵便受けを持っていない。現行では、マイナンバーカードを持っていない人の申請書は郵送することになっている。住民票のある役所から転送などによって申請書を取り寄せようとしても郵便受けがなければ受け取ることが出来ない。
③世帯主との関係が良くない
世帯主が自分でなく、親・兄弟や配偶者である方もいる。世帯主にまとめて給付されるので、世帯主とやりとりできる関係でなければ、給付を受けられない。
④本人確認書類がない
現在有効な免許証・パスポートなどの顔写真付きの身分証明書がない人、保険証や社員証などもない人がほとんどだから、本人確認の提出ができず、給付が受けられない。

野宿者に給付するためには

①について
「今いる場所」の役所で申請・給付をする。DV被害者について、一定の要件を満たせば、このようにすると総務省は説明している。当然の事だ。しかし、DV被害者のみではなく、野宿者も含めるべきである。
②について
実は野宿者であっても郵便受けを作れば郵便は届く(現にぼくがそうである)。郵便法において、何人も郵便の利用について差別されることがない(第5条)と規定されている。しかし、このことは周知されていないし、定住していない野宿者にとっては現実的な話ではない。現状として、郵便受けを持たないのだから、それに対応した方法で申請書が受け取れなければならない。1つは郵便局留めだろう。2009年定額給付金の時には出来たようだ。また、すべての役所の福祉課などで受け取り可能にすべきだ。
そもそも申請書を役所窓口で入手できるように工夫すれば、この問題自体がなくなる。
③について
これもDV被害者のケースに準じて考えればいいと思う。世帯主とは別に給付を受けたい人は「今いる場所」の役所に申し出を行い、申請・給付が受けられるようにする。その場合は、世帯主からの申請があってもその人の分は支給をしないようにすれば良い。
④について
顔写真付きの地方公共団体の機関が発行している身分証明書ならいいはずだ。とすれば、最近は渋谷や新宿でも東京都の特別就労対策事業(公園の清掃など軽微な内容の日雇い労働者向けの仕事)の求職受付票、通称ダンボール手帳を持っている人がそれなりにいるので、まずは、これを身分証明書として認めれば良い。ダンボール手帳も持っていない人については、職員の聞き取りなどで対応すれば良い。

コールセンターとのやりとり

これらの問題点について、総務省が設置しているコールセンター(0356385855)に質問してみた。しかし、この3日間に結構かけたが、回線が現在混雑しています、というアナウンスが流れるのみ。100回目くらいに奇跡のように繋がってびっくりした。
しかし、自分の電話が10分無料で、うっかり10分たつと切れる設定になっていたため、もっと聞きたいこと言いたいことはあったが、あわてて質問することになった。
以下、野宿者のことを聞きたい、として

 申請書が郵送だと受け取れない、身近な役所窓口で申請書をもらえるのか?
 やむ得ない場合に限り、役所窓口で申請給付が受けられる。詳細が決まっていない。各自治体と相談して決めたい。
 申請書が窓口で貰えるように検討はしているということですね。
 さようです。

 身分証明書は、ダンボール手帳が使えるか?
 現段階では本人確認書類が決まっていない。身分証明書がない方もいるので、いろいろ検討しているところ。

 世帯主にアクセスできない人について、今いる場所の役所での申請給付を、DV被害者だけでなく、考えているのか?
 住所不定者に対する救済処置は検討している。
 それは、住民票が抹消されている人については4月27日以降に住民登録しても給付されるという話のことですよね。
 さようです。
 さきほどの点については検討しているのか?
 お声としてあげている。補正予算案が決まらないと固まらない内容。総務省にあげて今後検討していく。

 申請書を「今いる場所」に送る場合、郵便局で転送設定をお願いすることになるのか?
 郵便形式については転送可能になるのか、転送不要になるのかまだ決まっていない。
 場合によっては、住民票のある役所から直接、今いる場所に郵送されることになるのか?
 そうですね。もしくは、住所に届かなかった場合、転送がきかなかった場合は、役所に戻ってくるので、お近くの自治体に確認・相談して、自治体の方から何らか手続きをする形になると思います。

むろん、申請書は役所窓口などで入手できるように、ダンボール手帳を本人確認書類にするように、現在地での申請給付をDV被害者だけでなくひろげるように、意見させてもらった。

今いる場所が生活の本拠である

2006年、大阪の公園に住んでいる野宿者が、テントへの転居届を受理しなかった大阪の区長を相手に裁判を起こした。つまりは公園のテントを住所にして住民登録できるように求めた。地裁は、生活の本拠、が住所であるとし、区長は転居届を受理しなければならない、とする画期的な判決を下した。しかし、高裁は、「健全な社会通念」に基づいて請求を退ける逆転判決を下し、最高裁は高裁判決を支持した。法律の判断を司法が投げ捨てたことを認めたとも言える異様な判決であった。
また、2007年には支援団体の事務所などに置いていた日雇い労働者・野宿者などの住民票を大阪市が2000名以上職権削除するという出来事があったし、簡易宿泊所に泊まれず住民票を移動できない野宿者については、何の代替処置もしなかった。住民票がなければ、選挙権もなくなる。野宿者に好意的な政治家があまりいないのも、選挙の数に入らないせいかと勘ぐりたくもなる。
また、最近、運転免許証の住所とテントの場所がちがうとして、免状不実記載の疑いで家宅捜索をうけた人がいる。この場合、免許証がテントの場所(居所)で取得できるのか、と言えば、それは簡単ではないだろう。
野宿者は、今いる場所、に住民票も置けないし、それを補完するような権利も確立されていない。
今回、コロナ給付金で浮き彫りになってきているのは、野宿者の、今いる場所=生活の本拠、における権利がそもそも剥奪されているということである。
今いる場所に基づいて、10万円を支給すること。DV被害者に対する考え方を適用すれば、困難な事ではないはずだ。
野宿者にとっては、10万円は生活保障というより生命保証だ。野宿者のことに関わる人たちや世間の声を結集して政府に要求していくべきだし、非力ながらぼくもその列に加わりたいと思う。
行政はすぐに本気で取り組んでいただきたい。

※この原稿は4月24日現在の筆者が触れ得た情報に基づいて書きました。コロナ給付金については、現在、不明なこと、未決定なこと、見込みなことが多いため、最新の情報も併せ、ご確認ください。

小川てつオ:プロフィール

1970年生まれ。幼いころは多摩川の川原にあるセメント工場の寮に住んでいて、敷地に土管がたくさん転がっていて、多摩川は泡をたてて流れていた。2003年から都内公園のテント村に住んでいる。
ホームレス文化 https://yukuri.exblog.jp

2020年4月15日

「障害」について考えていること 第一回

加福秀哉

「ふつう」ということば

 私自身が「障害」について考え始めたのは、4年ほど前のことである。それまでにも漫然と考えることはあったが、自分と、自分の中にある障害(感音性難聴)という悶々としたモノとのかかわりについて、真剣に向き合い始めたのはその時からだった。
 「障害」を考える際には、その対比として「健常」「ふつう」という概念が用いられる。最近では「障害」と「健常」ということばによって隔てられる二項対立の構図自体が見直されつつあるが、それでも尚、それらのことばを以てしてのみ語り得る言説が多く存在するし、このような議論においては現状欠かすことのできない概念である。以下では、それぞれのことばの扱いを考える上での、私なりの解釈を与えたいと思う。以下の議論は、障害に関する理論の定式化といった大袈裟なものでは決してなく、あくまで一つ一つの概念について読者の方々の思考を広げるヒントとして読んでいただければ幸いである。

「ふつう」とは

 「ふつう」というのはつくづく便利なことばだなあと思う。普段そのことばを使う上でも、何をもって「ふつう」と言っているのか、常々意識している人は少ないだろう。それほどに使いやすく汎用性の高いことばではあるが、一方で「ふつう」に囚われ、振り回されるようなケースも多く存在する。「ふつうは〜なのに、あなたは〜(自分は〜)」といったフレーズのように、一般的に「ふつう」を基準にして、それと比較して優れているか、劣っているかを判断するケースは典型的なものだ。ここでは、そのような「ふつう」という基準の意味するところについて、私の専門である統計学の観点も少し交えながら考えてみる。

 「ふつう」ということばの意味を定義するならば、自分の周りに存在するある一定数の人たちの平均±誤差といったところだろうか。これを統計学的にもう少し厳密に言うと、ある母集団の平均値や最頻値などの代表値±誤差、ということになる。ここでの母集団ということばに注目してほしい。統計学の世界では、大前提として性質を調べたい対象である母集団が存在し、その母集団の中から得られたデータをもとに分析を行う。当然、異なる母集団があれば性質の違いが数値として表れるし、そこから導かれる結論も異なってくる。統計学においては至極当たり前な考え方だが、このことを「ふつう」ということばに当てはめるとどうだろうか。
 母集団が違えば、「ふつう」も異なる。例えば「大学生のふつう」と「幼稚園児のふつう」は異なるし、母集団が一人であれば「自分のふつう」「その人のふつう」ということになる。そして普段私たちが「ふつう」ということばを用いるとき、そこには無意識のうちに何らかの母集団が背後に想定されている。つまり、普遍的な「ふつう」というものは、理論上はともかく現実的には存在しないのである。ここで改めて先ほどのフレーズを思い出してほしい。「ふつうは〜なのに、あなたは〜(自分は〜)」というフレーズはすんなりと多くの人に受け容れられているが、「ふつう」の背景にある母集団は見事なまでに意識されていない。そしてたいていの場合、母集団はその場やその発言者の都合によって無意識に、また故意に選択されている。そのことが、この類のフレーズに対して居心地の悪さを感じる一つの要因であると考えている。このように不用意に「ふつう」ということばを用いて語ることは、統計学において母集団についての議論をすっ飛ばして平均値や中央値を議論するのと同義であり、それほどに愚かなことである。

「健常」と「障害」

 同様に「健常」と「障害」についても私なりに解釈してみる。「健常」とはある指標について「ふつう」であるか、もしくは「ふつう」に到達可能な状態のことであり、「障害」とはある指標について「ふつう」との間に解消が極めて困難な、または不可能な障壁が存在する状態のことであると考える。ここには2つの論点がある。①指標の存在、そして②「ふつう」の裏側の母集団の問題である。
 まず①の論点について、先ほど「ふつう」が母集団の代表値±誤差を意味しているという話をしたが、そこには同時に母集団の何の性質に着目しているか、代表値が何の代表値であるか、という指標が存在している。指標というのは、例えば学校のクラスの母集団の中で身体測定のデータをみるときの、身長や体重といったもののことだ。障害について考える上でも指標というものが存在するが、2つ注意点がある。1つは必ずしも数値で表される定量的なものではなく、定性的なものもあり得ること、そしてもう1つはその指標の軸上での評価は、とくに定性的な指標に関しては主観的にしかなされ得ないということである。例えば私の聴覚障害の評価は、聴力という指標の上で定量的にもなされるが、一方で聴力の数値に表れない「ことばの聞き取りやすさ」という指標も実は存在し、これに関しては私の聞き取りの感覚について、ことばを十分に聞き取れるという一般的な(私にはわからない、すなわち想像の)感覚との乖離を、私自身が主観的に評価している。指標の主観的評価に関しては、障害の程度評価などの客観性が要求される場合にはなかなか折り合いが難しく、現実にもその問題は多く見受けられる。
 指標を明らかにすることにはメリットも存在する。それは、不用意に「障害者」と一括りにされる論調を回避できることだ。例えば肢体障害を持つ方の中には「移動のしやすさ」という指標に関して不利を被っている方もいらっしゃるが、聴覚障害の当事者である私は、「移動のしやすさ」という指標の上では「健常」である。逆もまた然りで、肢体障害の方は「聴力」「聞き取りやすさ」「コミュニケーションの理解度」などの指標の上では「健常」であったりする。このことは当たり前に見えるが意外と見落とされがちなところで、何か「障害」があるからといって決して「障害者」と一括りにして論じないという意識は大変重要である。
 そして②の論点について、実はこの議論から本題に迫っていくのだが、第1回は一旦ここまでとし、次回以降詳しく考えていこうと思う。

加福秀哉(かぶく ひでや)

東京大学大学院経済学研究科卒。聴覚障害当事者。在学中に「障害者のリアルに迫る」ゼミに携わる。

2020年3月11日

経済余話 第1回

松井彰彦

ドイツのトイレ

 海外で困ることの一つがトイレだ。これは開発途上国だけでなく、先進国でも同じだ。背の高い人が多いことで有名なドイツ。その田舎町へ行ったときのこと。トイレに入ると、小便器が高い(あ、もちろん男性トイレのことである)。これは屈辱的だ。つま先立ちにならないと用が足せない(あるいは、ひょいと持ち上げる方法もある)。郷に入ったら郷に従えというが、背の高さはいかんともし難い。
 社会の建物やきまりは(便器も)人のために造られてきた。しかし、すべての人に等しく配慮するように作られてきたわけではない。人はそれぞれ異なっているから、すべての人に便利な建物やきまりというものはなかなか存在しない。いきおい、なるべく「ふつうの人」に便利な建物やきまりを作ろう、ということになる。
 ひとはみな「平均」から多かれ少なかれ、ずれている。このずれがそれほど大きくない場合には、何とか自分を建物やきまりに合わせていくことができるだろう。
 しかし、このずれが大き過ぎると、もはや社会生活を営むことが困難になってしまう。何せ公衆トイレで用も足せないのだ。
 日本人男性はどうして日本の公衆トイレで用が足せるのか。それは平均的な日本人男性に合わせてトイレが作られているからである。「ふつうの人」は社会で配慮されているけれども、それに気づかない。一方、「ふつう」からはずれている人への配慮は不十分なのだ。
 ドイツのトイレで見回すと、一つだけ子供用の小便器があった。しかし、これを使うのも何だかだなあという感じだったことは記しておこう。

2020年3月4日

我が家の現代版「生類憐みの令」 第1回

土屋健

車椅子と老犬とホームエレベーター

私は2000年の年末に馬から落ちて首を骨折しました。その時に中枢神経の脊髄が切れ、車椅子生活となりました。「切れたなら繋げはいいんでしょ?」と思いながら、早20年が経とうとしています。「世の中そんなに甘くない…。」と思いながらも「まあ、そのうち何とかなるかも?」と相変わらず甘い考えで生きています。

車椅子生活になったお陰か、健常者の頃には見えなかった物が良く見える様になりました。多くの面白い方にも影響を受けました。特に影響を受けたのが、入院当時に隣のベッドだったおっちゃんです。糖尿病で両目の視力を失っていたのに、やけに明るいおっちゃんでした。外で歩行訓練をしていた時にたまたま見かけて「今日、外で歩いていましたね。」と言うと「支援員さん美人でしょ?エヘへ!」と返して来ました。「オイ、おっちゃん!アンタ見えてないから。」と突っ込んでおきましたが、どこ吹く風って感じでした。この頃の私は、退院してからの生活を想像出来ませんでした。地方の病院でもう何年かリハビリを…なんて話しもありました。塞ぎ込む程ではなかったのですが、このおっちゃんを見ていると「まあ、どうにかなるか。」と思えて来ました。この「どうにかなるか」の緩い考えは、今の相談支援にも役立っています。どうにかしようと思えば、完璧ではないのですが希望に近い形になる事が多々あります。

1年半ほどの入院とリハビリの生活をして、今の家には2002年の夏に引っ越して来ました。運良く、高校時代の親友が建築関係の仕事をしていたお陰で、設計士さんからハウスメーカーまで紹介してくれて、バリアフリーの一軒家に住める事になりました。二世帯住宅で、私の両親は1Fに、私達夫婦は2Fに住み、ホームエレベーターを設置しました。このホームエレベーターが意外な展開になりました。

何とか生活にも慣れてきて、妻が犬を飼いたい…云々と言い出したのが翌年の始め頃でした。私も動物が好きだったので、特に異論も無くGWに保護犬を引き取る事になりました。名前を岳(ガク)と付けたのですが、この岳が妙に頭が良いと言うか、ずる賢いと言うか…。エレベーターの使い方を分かっているのか、1Fで私が乗ろうとすると狭い車椅子の横の隙間に潜り込み、2Fに着くと当たり前の様に先に降りて行く始末でした。結果として、老犬になり足腰が衰え階段が登れなくなった頃には、逆にこの性格が助かったのですか…。

この辺りから「どうにかなるか」の楽観主義が、家族間では「どうにもならない」事に気付き始めました。五代徳川将軍の綱吉公は犬将軍なんて揶揄されたとか…まさにウチのお犬様も特別待遇の始まりです。自分の気が乗った時には普通に階段を行き来するのに、気が乗らない時はエレベーターの前で扉を見て待っています。仕方無くエレベーターのボタンを押してドアを開けると、自分からスタスタと乗って行きました。そして2Fに着くと何の違和感も無く当然の様に降りて来ます。家族も最初は渋々だったのが徐々に当たり前となって行き、いつの間にか当然の権利となって行く…習慣とは怖ろしいものです。

綱吉公の生類憐みの令は元々日本初の福祉政策(=車椅子の私のための我が家のバリアフリー)だったとか?それが徐々に暴走してしまったとか?我が家にもお犬様の特別待遇が暴走して行きます。

2013年の1月に長男が誕生しました。ここから「生類憐みの令」の暴走の始まりです。お犬様は「長男>自分>私達」…特にお犬様は長男優遇の姿勢が露骨です。お犬様が寝ている所に長男が行っても仲良く甘えているのですが、妻が同じ事をすると牙を剥き出しにして威嚇して来ます。まさに「切り捨て御免!」。そして、10歳を超えた老犬に、家族は今更しつけだ何だと求める事も無いまま、この関係は当然となって行く…自然と上下関係は定着して行きます。この露骨な身分制度は、お犬様が亡くなる2019年まで続きました。

綱吉公の「生類憐みの令」は人にも生き物にも優しい社会作りがスタートでしたが、我が家は「生類甘やかしの悪例」でした。次に犬を飼う事があれば、人にも優しい「共生社会」になって欲しいと思っている、今でも甘い考えの私です。

この連載では、頸椎損傷で車椅子生活を送る私が、老若男女のさまざまな 「生類」と共生する(した)中で経験したこと、感じたことを綴っていきたいと思います。皆さんも『あるある!』と共感して頂ければ嬉しいです。

土屋健
土屋健

障害者相談支援専門員

2000年12月に受傷。
大井競馬場で競走馬のウォーミングアップ中に落馬し頸椎を脱臼骨折、頸髄損傷で車椅子生活となりました。
1年半ほどの入院生活を経て、2002年8月に退院し、町田市で生活を始めました。
5〜6年ほど家族介護で生活していましたが、友人よりヘルパーサービスの利用を薦められ利用を開始しました。
これに合わせて訪問看護も利用を開始し、家族介護主体から医療・福祉サービス主体の生活になって行きました。
2008年7月に受傷後初めて仕事に就きました。
内容は主にデータ入力と電話対応で、週2日の出勤と在宅ワークで作業を行っていました。
2012年9月に現在の仕事に就きました。
業務は、役所が福祉サービス支給の判断基準にする資料、サービス等利用計画の作成です。
当時は障害者自立支援法から障害者総合支援法への移行時期でもあり、福祉サービスの変化も多々ありましたが、日常生活では比較的安定して重度訪問介護のサービスを利用出来ています。
2013年1月に長男が誕生しました。
現在小学校1年生で、学校の運動会や授業参観、休日にはサッカーの試合に付き添うなど、行事には出来る限り参加しています。

2020年2月19日

日本の障害者雇用(施策)と水増し問題 特別エッセイ

長江亮

金子能宏先生を偲んで

 身体に正常に機能しない部分がある。その箇所が同じだと、そのような人たちは、よく顔を合わせることになる。例えば病院で、学校で、団体で、役所などで。それとは少し異なるが、実生活が関係してきても、直面する社会的障壁が同じ人とはよく顔を合わせることになる。この場合は、自分の体に抱える障害が同じでなくてもよい。例えば車いすを使う人は、車いすを使うがゆえに生活がしにくいところが同じである。こういった人とも話をする機会が多くなる。場所はやっぱり病院、学校、団体、役所などだ。
 障害に直面して生きていると、意図的であるか否かに関わらず、こんな形で障害者の知人は増える。身体に正常に機能しない部分があると、生物として生きることにも制約となることが多い。だから、障害者の寿命は健常な人と比べると平均的に短い。結果として、障害者は多くの知人の死に直面する。僕はそのように思っている。あたりまえだけど、知人が死ぬことは辛いことだ。しかしながら、車いすユーザーは通常冠婚葬祭には参加できない。この点は、バリアフリーの議論で見落とされている部分でもある。皮肉なことなのかもしれないけれど、こういった事情があることで知人の死に直面した時の僕の考え方は(自分では悪くはないと感じるような形で)変化してきている。自分が健常者だったときと比較すると、辛い気持ちが先に立つというよりはむしろ、その人の志をくみ取って生きていこうと思うようになってきたのだ。こういったことに直面した時、僕は意外に冷静にもなった。でも、金子能宏先生の訃報を知った時、僕は(障害者となった後では多分初めて)取り乱した。理由はよくわからない。まとまった文章が書けるのかどうかが不安ではあるが、先生に希望をもらった一人として、先生との思い出を追悼文としたい。
 金子能宏先生(以下、能宏先生と記述する)と僕との出会いは、20年ほど前にさかのぼる。当時僕は、東京の大学の大学院で経済学を勉強しており、障害問題を経済学的に分析しようと考えていた。しかし、研究を行ったこともない一大学院生が、何から手を付けていいのやらわかるわけがない。とにかく何でもいいから「障害」なるものを扱った経済学研究を探そうとEconlit(経済学研究のデータベース)で「Disability」と入力しても何もヒットしない。当時は今のように情報が迅速に入手できなかった。Econlit もCDである。そんな時代だった1(Oiをはじめ、脚注で書いた論文以外の文献が当時存在しなかったわけではない。当時の僕の検索の仕方も悪かったのかもしれないが、少なくとも数が少なかったことは間違いない)。でも当時の僕は、障害問題は経済学で扱うからこそ意味があると思っていたし、今でもそう思っている。しかし、僕程度の人間が思うことと同じことを考える人がいないはずがない。どのように扱うかはさておき、障害問題が経済学で扱われていないわけがないだろう。そのように思って図書館にこもっていた。そのころ当時の指導教授が「経済学会に行ってみたらどうだ」とおっしゃってくれた。当時の僕は手動車いすで動いており、自己導尿を行っていたため、身近に介助者がいないと、いざというときに困る状況だった。そこで、母親同伴で当時入寮させていただいていた大学の学生寮から出て、一橋大学で行われていた日本経済学会に参加した。
 学会では、医療経済学の研究報告を聞いていた。午後のセッションが終了して、学外でお茶を飲んでいた母親との待ち合わせ場所で待っていた時、同じ車いすにのった小さいおじさんが声をかけてきてくれた。「どこの子?」と聞かれたので、大学名を答えた。丁度そのとき母親が来た。後から聞いた話だが、母親にはそのおじさんがすごく偉く見えたらしい。僕がどうしてそんなに偉い人と話しているのか不思議に思いながらも、失礼があってはいけない、と緊張したそうだ。冷静に考えると、そう見えることが普通だったのかもしれない。実際大会運営者らしい人や経済学者らしい方々は、みんなおじさんに頭を下げていくし、一部の人とは、「少しお待ちください」、「ああ、いいよ。先にゲラ送るからゲラ」とかいうお話をされてもいた。それらの方々とのお話し中にはおじさんは確かに目上の人だったからである。でも僕は、大学で障害者に会うことはほとんどなかったし、経済学研究でも障害者にまつわる諸問題の研究を行う人はいないのではないか?と勝手に思っていたので、関係者らしき人に会えて少しワクワクしていた。おじさんに緊張することがなかった理由はそれだけではない。そのおじさん=能宏先生が、すごくフランクに話してきてくれたからでもある。後から感じたことでもあるが、能宏先生はおしゃべりな人ではない。僕が感じた温かさは、先生の自身の経験からくる他人へのやさしさと、同じ車いすユーザーへの配慮、そして何よりも先生の人間性が現れたものだと思う。
 話し始めてから数分程度で僕の状況をいち早く察した先生は、自分の体験談を話してくださった。先生も母親に助けられながら一橋の大学院に行き、国家公務員総合職(旧一種)試験を複数回合格しながらもバリアフリーの不備を理由に断られたこと2。周りの方々、指導教授の理解があって今があること。アメリカに行った時の苦労話などもしてくれた。いずれも、僕ができたのだから頑張れば君にもできるよ、というメッセージが込められたお話しだった。母親に対しても、少なくとも先生が切り開かれて来た道には、いい人が多いから安心して大丈夫ですよ、と話してくださっている。この出会いで僕は先生にあこがれたし、先生のようになりたいと思った。良かれあしかれ母親も同じだったようだ。その後で僕は大阪大学に行って学位取得を目指すことになるのだが、母親の決まり文句が「能宏先生のようになりなさい」になったのだ。
 大阪で学位を取ったころ、松井彰彦先生を代表とする障害と経済の研究プロジェクトが立ち上がったのを知った。だが、場所が東京だったため、僕は自分の研究に力を入れていた。偶然にもその時に、僕は研究報告の機会をいただいた。それがきっかけとなって、今も障害と経済の研究プロジェクトに参加させていただいている。後から聞いた話だが、僕の研究を紹介してくださったのも能宏先生だと伺った。一橋大学での出会いからずいぶんと時間を経ていたが、多忙なのにも関わらず、僕のことを覚えていてくださったことがとてもうれしかった。
 このプロジェクトで僕がかかわっている部門は実証部門である。プロジェクト名がREADとなっていた時、第一回目の統計調査が完了して、そのデータを基にした一次的基礎分析結果を公開講座で報告したことがある。この時に僕は能宏先生とペアとなって報告を行った。報告では、障害者の労働供給と賃金プロファイルについての分析を報告したが、その内容は、一般雇用されている障害者の賃金プロファイルがフラットになっている実態を中心にしたものであった。障害と一口に言ってもその種類は多岐に及ぶ。種別によって直面する困難も多様だ。READで開催する公開講座では、どのような障害に直面していようとも、参加してくださった方々には報告が理解しやすいように手厚く配慮を提供する。例えば、視覚障害に直面されている方であれば、点字資料が準備されている。また、聴覚障害に直面されている方であれば、手話通訳や文字通訳などが準備される。このような配慮を提供する都合上、報告者はそれらに合わせた資料の作成とタイトな〆切制約がかけられる。僕と金子先生との報告に関していうと、内容は、僕が選択・準備などを担当して、能宏先生はチェックするという役割分担だった。
 当時の僕は、視覚障害に直面される方や聴覚障害に直面される方に配慮した報告を経験したことがなかったため、資料作成にはずいぶん苦労した。賃金プロファイルは、年齢層を横軸に取り、縦軸に各年齢層の平均賃金をとったものをプロットすることで得られる。日本の常用雇用者をサンプルとした賃金プロファイルは、通常右上がりの形状を取り、定年年齢層を上回ると右下がりになる。賃金プロファイルがフラットになっていることは、経済学者であれば、パートタイム労働者の賃金プロファイルの形状と類似したものであることは理解できるし、それが持ついくつかのインプリケーションも同時に理解できる。しかし、経済学者以外が対象になると、追加的な情報と解説が必要になる。さらに、READで開催する公開講座で提供される配慮を考慮する必要もある。この点を考えると図表を使用した解説はなるべく少なくすべきだ。どう説明したものかな…と悩んでいた。〆切が迫ってきている中で、夜中の2時頃に能宏先生から一通のメールが届いた。そこには、日本の賃金プロファイルを表すのに通常使用される賃金センサスの公表データを用いた一般労働者の賃金プロファイルの図が添付されていた。
 一般的に言えば、異なる調査による分析結果を比較することは危険だ。なぜかというと、調査によって標本の取り方が異なるからである。僕が読み取った、この図に込められた能宏先生のメッセージは次のようなものだ。「公開講座」という場において、最も重視すべきことはわかりやすさだ。厳密な議論は犠牲にしたとしても、READ調査で発見された事実を前面に打ち出して報告すべきだ。そのためには日本の平均的な常用雇用者の賃金プロファイルを使って、比較対象を明示的に示した方がよい。
 どのように説明すべきか悩んでいた丁度その時、まるで僕が横にいて先生に相談したかのようなベストなタイミングで、的を得た助言が届いたのである。一聴すると当たり前のように聞こえるかもしれないが、公開講座で何を、どのように伝えるべきか、といったことは案外難しい。木も森も同時に見えていなければ、判断できないことが多いのだ。日本の障害研究・障害統計の現状をよくご存じで、READ調査や公開講座の意味を理解していなければ上のような判断はできない。先生の助言は、僕にとってはコロンブスの卵的な助言であり、タイミングの良さも手伝って、舌を巻いたことを強く覚えている。
 この報告で、僕と能宏先生がメールで情報交換したのはこの一度だけである。この時、先生と連絡を取りたいこともあったが、全く取れない体験をした。この体験があって、先生の普通では考えられない忙しさを感じることができた。このころから徐々にわかってきたことであるが、能宏先生は、ご自分の抱えられている仕事にいつも全力で取り組まれていた。「当たり前」の全力ではなく、常に「そこまで?」と感じるくらいの全力である。普通と感じられることを普通にこなすことほど難しいことはない。多くの優秀な研究者は、このような特徴があると僕は思っている。多くの業務にまじめに、真摯に向き合っており、多忙であるからこそ、鋭い視点が保てると考えている。他人の評価や信頼などはそういったところから生まれてくるものだ。僕は先生に、どのような仕事に対しても、全力で取り組むことの大切さを教えていただいたと思っている。でも、僕らには残念ながら体の制約がある。この点については、後々先生とお話させていただいたことがある。健常な方であっても、過密スケジュールとなっている状況が継続するとどこかがおかしくなる。頭では仕事のことを考えられても、身体がついてこない。こういったときには往々にして無駄な作業をしていることも多くなる。自分の経験からも言えることだが、この状態で無理をすると、大きな犠牲を払うことになる。先生は「最近は僕も週に一日だけ休むようにしているよ。馬鹿みたいに寝てるの。」と話してくださった。この点も参考になっている。
 先生が国立社会保障・人口問題研究所をおやめになり、一橋大学、日本社会事業大学で働かれるようになってからはほとんどお会いする機会もなかった。職場を変わることが身体に与える影響も大きかったのではないかと思う。先生は週に一日休まれていたのだろうか。僕は先生にいただいたものを大切にして、先生の志の一端でも担えるように頑張りたいと思う。
 ご冥福をお祈りいたします。

  1. 丁度同時期に公刊され、障害者雇用施策に関する経済学研究を爆発的に増加させるきっかけとなったMITの経済学者によるADAが企業の障害者雇用に与える影響を検証した研究の情報を得るのはもう少し後である(Acemoglu, D. and Anglist J. D.(2001) "Consequences of Employment Protection? The Case of the Americans with Disabilities Act",Journal of Political Economy, Vol.109,pp.915‒957)。また、僕自身が視覚障害を抱えた経済学者であるWalter Oiの存在を知るのはずっと後のことである。
  2. 国会が未だにバリアフリーとはなっていない現状を先生はどう思われたのだろうか。僕が知っている障害者施策を対象とした日本の経済学研究で、最も古いものは能宏先生のものだ(金子能宏 (2001) 「障害者雇用政策とバリアフリー施策の連携」『季刊・社会保障研究』 Vol.37.No.3)。だからこのような話は、内部事情を詳しくご存じの先生と議論したかった。日本がどれほど大きな宝を失ったかと思うと残念でならない。働いている障害者は多かれ少なかれ健常者よりも身体的負担が大きい。極論すれば、過労死しやすいのだ。働き方改革が、そんなところにも目を向けられるような施策として形になっていくことを、研究という形で世に問う必要はある。

2020年2月12日

都市のアクセシビリティ03:銀座線渋谷駅

丹羽太一

車いすで銀座線渋谷駅を使う

2020年新年早々、東京メトロ銀座線の渋谷駅が大幅に新しくなった。
それまで明治通りの上を鉄橋で横切り、JR渋谷駅を越え、隣接して建つ渋谷東急東横店のビル3階に入り込んだところにあった駅は、年末年始に6日間かけ渋谷〜表参道駅間、青山一丁目〜溜池山王駅間を終日運休し、線路切替・ホーム移設工事を行って130m移動、その明治通りの上の鉄橋が新たに駅になった。

NHK総合首都圏情報 ネタドリ!で1月10日に放送された「首都大変革 変わる東京2020」 の取材で、副都心線から銀座線への車いすの乗り換え動線がどう変わったかを見てきた。
駅の概要はニュースなどでご承知のことと思う。ここでは移設前後で大きく変わった渋谷駅の乗換動線について見てみたい。

渋谷駅は南北に走るJR山手線、埼京線の駅(2階)と西へ向かう京王井の頭線ターミナル(2階)、東から来る東京メトロ半蔵門線と直通運転の西から来る東急田園都市線(地下)、JRと平行して明治通り下を走る東京メトロ副都心線と直通運転の東急東横線(地下)、そして東へ向かう銀座線のターミナル(3階)になっている。それぞれが地下と地上で立体交差しているので、もともと乗り換えは複雑で実際の移動も大変なことで有名だ。

駅の位置が変わったことで銀座線への乗り換えはどうなっただろう。

2019年までの銀座線渋谷駅の乗車ホームは改札が一つ、ホームへは短い階段を上がる必要があった。2017年にはそこにエレベーターが設置されているが、古い構内図を見るとそれまでは車いすは階段昇降機を使っていたらしい。降車ホームも改札から直接地上に降りるエレベーターは2017年から2019年にかけて、駅の工事に合わせて2回場所を変えて設置されていたようだが、それまでは東急百貨店口から東横店内に出て、そこのエレベーターを使っていた。そんな具合で車椅子では使いにくい駅だったので2度ほど降りたことがあるだけで、それ以外まったく利用しなかった。

“shibuya"
渋谷駅東京メトロ構内図 2015年

副都心線・東横線〜銀座線
新しい駅は、かつて東急東横線のターミナルが地上にあった場所にこれも新しくできたスクランブルスクエア(東棟)という商業/オフィスビル3階から直接つながっている。そしてスクランブルスクエアは地下2階で副都心線・東横線のヒカリエ1/ヒカリエ2改札(向かい合わせて同じ場所に出る)と直結している。この改札は半蔵門線・田園都市線の場合も宮益坂方面改札へ向かえば駅構内でエレベーターもつながっているので、車いすの場合この4線からはスクランブルスクエア経由で行けば改札からはエレベーター一本でいける。ただし、今は改札を出たところににわかりやすいエレベーターへの案内がない。というか銀座線の案内事態はスクランブルスクエアとは逆方向のヒカリエのほうへ誘導している。実はヒカリエ1階を明治通りに出ると隣に大きな銀座線の改札口ができている。一般にはここからエスカレーター一本でホームへ出られるので、駅員も銀座線はヒカリエ方面でお乗り換え〜と案内していた。しかしここにはまだエレベーターがない。今は車いすの場合、スクランブルスクエアのエレベーターを使う(あるいは後述の地上へ出てマークシティへ行く旧来の迂回方法)以外に銀座線への乗り換え方法はない。このエレベーター、改札から出口B6に向かってスクランブルスクエア入口を通り越した脇にひっそりと、わかりにくいところにある上に二台並んでいるうちの一台しか3階まで行かないので、利用するときにはご注意を。
ちなみに明治通りに面した改札ではエレベーター工事が続いているので、これが完成すればこちらのエレベーターへの案内が新たに設置されるようだ(こちらの場合ヒカリエエレベーターで1階へ出て、改札から3階へ行くのでエレベーターの乗り換えがある)。

“shibuya"
渋谷駅東京メトロ構内図 2020年

これまでは、ヒカリエから1階へ出て横断歩道を渡ってJRの通り抜け通路を使ってまた横断歩道を渡って井の頭線の駅が入っている商業ビルマークシティのエレベーターを使う、あるいは改札から地下道のスロープをしばらく上がるか構内エレベーターで直接宮益坂中央改札へ出てさらに地下道を通ってエレベーターで地上(スクランブル交差点大盛堂書店前)へ出て横断歩道を渡って同じマークシティのエレベーターを使う、という長い行程だった。しかもこのマークシティのエレベーター、小さい物がひとつだけでかつ商業施設内ということで、1階で待っていても地下からすでに人が乗っていたりでなかなか乗れないことも多い。それを思えば新しい駅はどちらにしてもかなり便利になるはずだ。

“shibuya"
渋谷駅東京メトロ構内図 2019年

井の頭線〜銀座線
ところでこれとは別に、半蔵門線・田園都市線の道玄坂方面改札と井の頭線、JRから銀座線への乗り換え客が一箇所に殺到して混雑がひどくなった、動線計画がなってないと話題になっている。古い駅は、3階一箇所の乗り場改札直前まで3本の別々のルートでアプローチするようになっていた。ところが新しい駅は2階連絡通路で一度3本のルートが一つになり、一つの階段に集中してもうひとつのJR改札前を通ってさらに2本の階段に別れてまたひとつの改札へ、というアプローチになった上に駅がそれまでより遠くなっている。この人が集中する階段と遠くなった距離がどうやら不評のようだ。

“shibuya"
「銀座線渋谷駅メトロお知らせ」の乗り換え案内図

車いすの場合、井の頭線の駅はマークシティの2階部分にあるので2階から3階に行くのだが、井の頭線からの乗り換えもこれまで前述のマークシティのエレベーターを使う以外のルートがなく、2階からなのでさらになかなか乗れない状況だった。しかも前述のように改札内でもう一度エレベーターに乗らねばならなかった。新しいルートはメトロ構内図で見ると、マークシティのエレベータでは直接改札に行けなくなり、これまで降車ホームから降りてくるために使っていたもうひとつの東急東横店のエレベーターを使う(今までより距離は遠くなるがシンプルになる)ことになっている。このエレベーターがどのぐらい使いやすくなっているか、あとは一般の混雑が増す中で距離も延びたという状況で、はたして良くなったかどうかは、日常で使っている方の話しを聞かないと判断が難しいが、エレベーターの利用に関してはあまり変わっていないか、乗り換えのための往復の上り下りが共通になった分、場合によっては使いにくくなっている可能性もある。しかも東急東横店は3月にはなくなる。その後は一体どうなるのか・・・9月以降東急東横店解体が始まる前に仮設のデッキ通路ができるようだが、どのようなルートができるかは不明だ。
ちなみに井の頭線の構内図では、2020年の最新情報かどうかわからないが、車いすの場合このルートではなく、マークシティのエレベーターで1階に出るようになっている。たしかに東急東横店がなくなったらこのルートで行くよりほかない。その場合は地上に出てJR駅反対側に抜けて、あるいはQFRONT前から地下に降りて地下道経由で、スクランブルスクエアまで移動してそこから上がるしかない(もしくは明治通り改札にエレベーターができたらそちらから上がれるようになる)という状況で、こちらの乗り換えは非常に不便になると言える。

渋谷駅はまだまだ工事中
今年中にスクランブルスクエア周辺はさらに整備が進む。未見だが、すでに1月末にはJR3階の新しい改札とスクランブルスクエアはフラットに往き来できるようになっているようだ。JR〜銀座線の車いすでの乗り換えもこちらでスムースになっているはずだが、山手線内回りのホームにはこの3階改札に上がるエレベーターはなく、1階南改札に下りてスクランブルスクエア(あるいは3月までは東急東横店も)のエレベーターを使うことになる。

しかし、JRの駅自体も工事中で、埼京線ホームが移動したり、東急東横店が解体されれば山手線外回りホームに直結の玉川改札周辺も大きく変わるだろう。
その解体に伴う仮設のデッキ通路がまずはどうなるか、どこまで車いす移動に配慮されるか、注視していきたいところだ。

2027年にはスクランブルスクエアの中央棟・西棟が完成し、それまでにJR駅の上を跨いでデッキスペースの遊歩道もできるようだ。JR東側と西側にそれぞれ上下移動の動線が整備されるので、2階と3階もこの歩行者デッキで往き来ができるようになるはずだが、それまで7年、まだまだ先の話だ。その間各線同士の乗り換えは改善されるのかどうか?特に、車いす動線は一般の動線に沿った同一動線上でわかりやすい経路にすることが重要であるが、それが後回しにならないことを望んでいる。

2020年2月5日

障害と社会

長瀬修

武漢―障害学国際セミナー、桜、水餃子

 武漢と聞くと、コロナウィルスによる新型肺炎が連想されてしまうだろう。その武漢で、障害学国際セミナー2019を昨年10月中旬に開催できたのは本当に幸いだった。
 障害学国際セミナー(East Asia Disability Studies Forum)は2010年にソウルで開催されて以来、毎年、持ち回りで開催されている東アジアの障害学の議論と交流の場となっている。私が所属する立命館大学生存学研究所は当初から主催組織を担っており、韓国と日本の枠組みで開始したが、その後、中国と台湾も加わっている。その拡大には、REDDY(多様性の経済学)の前身のREASE(経済と社会的排除の研究)による公開講座研究会を通じて形成された東アジアのネットワークが大きく貢献したことを忘れることはできない。
 武漢での障害学国際セミナーは「全員のためのインクルーシブな社会」をテーマとし、全体では10回目、そして中国では2015年の北京に続いて2回目の開催となった。武漢は中国の中央部に位置し、チベット高原から東シナ海まで流れるアジア最長、世界で3番目の長さの長江に面し、高層ビルが林立する人口1000万を超す巨大都市である。今回の訪問でも、壮麗な夜景が印象的だった。
 近代史では、中華民国建国のきっかけとなった1911年の蜂起、そして日本の武漢作戦で知られている。日本軍は中華民国蒋介石政権の臨時首都となった武漢を1938年に攻略、占領したのである。
 日本軍に従い、『武漢作戦』を著した石川達三は「戦はやがて終わり、兵はやがて帰還するであろう。そして国民はそれまでに迎えたほどに多くの傷兵を迎えなければならない。彼ら傷痍軍人のうえに生涯の平和と幸福とが甦ってくる日まで、戦捷の完全な喜びは保留さるべきものであった」と締めくくっている。武漢作戦の前の徐州作戦で失明した高名な盲人そして障害者リーダーである松井新二郎(吉川英治文化賞受賞)のことがまさに心に浮かぶ。
 武漢には桜の名所がある。戦時中に日本軍に接収された武漢大学に、負傷した日本兵を慰問するために桜が植えられた。そして、現在は多くの市民が花見のために武漢大学に足を運んでいる。
 私が武漢を初めて訪問したのは、2013年8月だった。中国の障害者組織や市民社会組織が開催した、インクルーシブ教育・就労に関する会議と、知的障害者を含む若手障害者の研修イベントに招待されたのだった。現政権の発足から間もないこともあり、まだ自由があった時代だった。会議では成果として「武漢宣言」も出された。現在では、こうしたことは無理となってしまい、若手障害者の研修の機会も閉ざされてしまっていることが本当に悲しい。
 その武漢訪問はちょうど、尖閣諸島の問題で日中関係が非常に悪く、反日デモが中国全土であった2012年の翌年だったため、多少の緊張感もあった。しかし、実際に訪問してみると、中国側の参加者からはとても歓迎された。ボランティアスタッフの学生たちには、一緒に写真に入ってほしいと何回も頼まれたのは、うれしい思い出である。
 会議の合間には、ホスト役の武漢大学公益法律発展センターのスタッフが、李白の詩にもうたわれた有名な黄鶴楼を案内してくださった。見晴らしの良い黄鶴楼で、「自宅が近くなので、お昼をご一緒にどうぞ」と、私ともう一人の日本からの参加者に声をかけてくださった。恐縮したが折角なので、二人してお招きにあずかることにした。
 彼女の家に着くと、リラックスしていた父親は娘が突然、外国の客を連れてきたので驚いていた。しかし、事情を聞いて、すぐに私たちの昼食に水餃子を作ると張り切り、材料の買い物に武漢名物の猛暑の中、わざわざ外出し、娘と二人で水餃子を作って下さった。
 食事をしながら私は日中戦争について尋ねずにはいられなかった。私の問いに、親戚が命を落としたと父親は語った。手作りの水餃子の味が一層、身に沁みた。帰りには水墨画をお土産に持たせてくれるなど、本当に歓待された。その歓待は重く、そして一層有難く感じられた。
 新型肺炎で武漢が一躍注目されて以来、そして特に1月下旬に封鎖されてしまってからは、武漢でお世話になった人たちのことが本当に気にかかる。障害学国際セミナーもその一例だが、国境を越えて同じテーマに取り組むことは、特に東アジアのように、植民地支配や冷戦を含む戦争や他の政治的、歴史的要因によって分断が深刻な地域においては、大きな意味を持っていることを痛感する。<〇〇人としてではなく、一人ひとりの顔を思い起こすことができる関係>が持つ意味をかみしめている。
 今年の6月には、私たちの障害学国際セミナーのパートナーである武漢大学の張万洪教授を京都にお招きし、集中講義をしていただく。そして9月26日、27日には障害学国際セミナー2020を立命館大学生存学研究所がホストとして、京都の朱雀キャンパスで開催する。今回のテーマは「障害者の地域での自立生活」(障害者権利条約第19条)であり、シンガポールや香港からの参加も検討しているところだ。
 そのころには、新型肺炎の蔓延も終息していることを心から願う。そして、武漢からの参加も心待ちにしている。私自身、また武漢を訪問する機会が楽しみだ。そう、まだ見る機会を得ない、美しいという武漢の桜を愛でたいものだ。

“張万洪教授"
2019年1月に来日、日光を訪問した際の
武漢大学の張万洪さん©長瀬修

“Sakura
ルーマニアの Marina Madalina Muscan さんが本稿を読んで2020年3月17日に寄せてくださった絵(デジタルペインティング)です。
「桜の花と餃子」© Marina Madalina Muscan
なお、相模原障害者殺傷事件の際に寄せてくださった絵と詩、そしてご自身の写真はこちらでご覧ください。
(敬称略)
2019年11月13日

ライフタイムで住宅を考える 04

丹羽菜生

"Lifetime Homes" イギリスのライフタイムホームズ

 "Lifetime Homes" は、 障害者の住宅を考える当事者団体Habintegによって作成されたイギリスの住宅設計基準です。Habintegでは、車椅子使用者用の住宅のガイドブック "Wheelchair Housing Design Guide" を出版していますが、 一般のすべての住宅においても、車いすが必要になっても住めるように考えられたのが "Lifetime Homes" で、そのガイドラインとして "Lifetime Homes Design Guide" も出版しています。
 概要は公開されていますのでご興味のある方はご覧下さい。
 http://www.lifetimehomes.org.uk/pages/quick-print-version-revised-criteria.html

“Wheelchair
"Wheelchair Housing Design Guide"
“Lifetime
"Lifetime Homes Design Guide"

 "Lifetime Homes" は1994年につくりだされ、環境基準に取り入れられたり、ロンドンなどの一部の都市において義務化されるなどして、今は Building Regulations(日本でいう建築基準法)にほぼ同じ内容が盛り込まれるまでに至っています。"Lifetime Homes" は、必要な時に調整が可能である可変な項目を予め設計基準としてあげておき(adaptable・adjustable)、直ぐに必要ではない広さや設備は含んでいません。これにより、一般的な住宅としても使いやすいものとなるという考え方になっています。現在、ロンドンでの再開発など新築の場合、10%は最初から車椅子使用者でも住めるようにする車椅子使用者用の住宅にしなくてはならず、それ以外は全て、はじめは一般的な住宅として使用するものの、簡単な改修によって車椅子使用者でも住めるようになる住宅—"Lifetime Homes" にしなくてはなりません。

“車いすで使用できるように対応したトイレの配置例(平面図)"
The Building Regularions - Access to and use of buildings APPROVED DOCUMENT M より
Diagram 3.12 Example of wheelchair adaptable WC/cloakroom layout with potential to be wheelchair accessible
車いすで使用できるように対応したトイレの配置例(平面図)
左 Wheelchair adaptable WC cloakroom
車いす対応可能なトイレ(必要に応じて容易に車いす使用可能に変更できる)
右 Wheelchair accessible WC cloakroom
車いす使用可能なトイレ

1.寸法は参考です。
2.ドアは外開きでなくてはなりません。車いす対応可能にする際は内開きでも、容易に外開きに変更できるように。
3.配管や排水は車いすで使用する範囲から離すこと。

 "Lifetime Homes" は、「身障者や高齢者が抱えている障害を住宅によって解消する」という考え方、つまり、社会モデルとして障害を捉えているものです。日本でも2014年障害者権利条約の批准以降、障害を社会モデルとして考えることは多くなってきましたが、まだまだ一般の人からの理解は十分ではなく、住宅などにも障害の社会モデルという考え方は及んでいないのが現状です。

 高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(通称バリアフリー法)では、共同住宅は円滑化基準遵守の対象ではなく(努力義務)、法のガイドラインとなる設計標準に規定はあるものの、これらはあくまでも共用部分のみの規定で、各住戸の規定などは特にありません。つまり、共同住宅では車椅子使用者などは各住戸玄関までは行けたとしても、その住戸で生活出来るかということはまた別になります。例えば、住宅性能評価・表示協会により、高齢者等配慮対策等級1〜5を設けていますが、等級3(「高齢者等が安全に移動するための基本的な措置が講じられており、介助用車いす使用者が基本的な生活行為を行うための基本的な措置が講じられている」)が全体の20%〜25%程度(一戸建て、共同住宅等)で、殆どが等級1(「住戸内において、建築基準法に定める移動時の安全性を確保する措置が講じられている」)にとどまっているように、まだまだ個人住宅において住宅が高齢者や障害者などになっても住み続けられるものという考えは一般的ではないというのが現状だということが分かります。

 こうした日本の現状に対して、イギリスではどのようにして、"Lifetime Homes" という考え方が Regulation に取り入れられていったのかを知ることを目的に、2018年に、イギリスのライフタイムホームズ作成の中心となった住宅協会 Habinteg を訪れました。協会のコミュニケーション長クリスティーナさんとその教育機関であるアクセシブル・エンバイラメント・センターのアクセスアドバイザー・ジャッキーさんに、ライフタイム・ホームズ設計基準をつくるきっかけとなった社会背景や、関連団体との連携、その後の英国政府の建築基準見直しへの影響、普及促進の状況や現在の住宅状況などをインタビューし、日本での展開の方法の見解などを伺ってきました。そこでは、デザイナーやコンサルタント会社などを対象に定期的に "Lifetime Homes"、"Wheelchair Housing" の技術的な実務を教える講習会を開いており、受講者には修了証が発行されます。私も"Wheelchair Housing" の講習会に参加させていただきました。

Habinteg主催 "Wheelchair Housing" 講習会風景
“参加者全体で考える"
スライドを使って参加者全体で考える授業
“個人の課題"
スライドの授業の後には個人の課題が出る
“レゴブロックなどを使用"
レゴブロックなどを使用して、キッチンなどをどのように収めるかサイズ感を把握する

 イギリスでは、planning application(建築確認)申請にはアクセスプランを提出しなくてはなりません。ある程度大きな規模のプロジェクトにおいては、アクセシビリティを専門とするアクセスコンサルタントが建築家と同列で契約され、設計チームの一部となって、住宅はもちろん、屋外を含めた建築計画全体の動線計画など Regulation に関連した法律関連のアドバイスを行っています。アクセスコンサルタントはイギリスにおいては、職能として成り立っており、当事者が中心となっている場合もあります。日本ではまだまだ設計段階で当事者主体のコンサルが関わるというのは難しくなっていますが、今後日本でもこうしたシステムを作っていくことは重要では無いでしょうか。

 昨年は、こうした "Lifetime Homes" の考え方に即した住宅を数件やらせて頂きましたが、こうした住宅の普及も今後ますます必要になると考えています。

『体験的ライフタイム・ホームズ論 車いすから考える住まいづくり』彰国社
 丹羽太一・丹羽菜生・園田眞理子・熊谷晋一郎・小竿顕子

ライフタイム・ホームズ・アソシエーション http://www.lifetimehomes.jp/

2019年10月9日

保健師助産師看護師法における相対的欠格事由と障害をもつ看護職 第4回

栗原房江

保健師助産師看護師法
〔欠格事由〕
第九条 次の各号のいずれかに該当する者には、前二条の規定による免許(以下「免許」という。)を与えないことがある。
一 罰金以下の刑に処せられた者
二 前号に該当する者を除くほか、保健師、助産師、看護師又は准看護師の業務に関し犯罪又は不正の行為があつた者
三 心身の障害により保健師、助産師、看護師又は准看護師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
四 麻薬、大麻又はあへんの中毒者
当エッセイは、第九条三に焦点をあてている。

相対的欠格事由該当者への免許付与件数
 2016年7月、過去3年分の相対的欠格事由を有する医療従事関係資格の免許付与件数が公開された。保健師、助産師、看護師の総計(/以下は合格者総数)は以下の通りである。

2014年度:30名(聴覚4名、精神26名)/69,705名
2015年度:41名(視覚1名、聴覚19名、精神21名)/73,422名
2016年度:40名(聴覚9名、音声言語1名、精神30名)/65,489名
        (※2016年7月20日現在)

 合格者の総数に占める割合はわずかで、小さな数といえるが、障害種から見ると相当数の免許付与との印象を受ける。ちなみに、上記期間の申請者へは全員付与されていた。更なる詳細は、障害者欠格条項をなくす会ホームページ(トップページ→関係資料・文献→免許付与件数)1)を参照いただきたい。
 また、公開件数が過去3年間となった理由は、公開決定から指定期日までの日時が限られていたためと厚生労働省より説明を受けた。また、障害者欠格条項をなくす会をはじめ、第192回および第193回国会 参議院厚生労働委員会2)、3)における議員質問と審議において、2001年-2013年、また2015年以降の免許付与件数等、詳細についての情報公開を求めているが、今も実現していない。

修学(本文は左記で統一)・就労における配慮や支援の必要性
 障害者差別解消法(修学)と改正障害者雇用促進法(就労)の法的根拠は、すべての領域へ適応される。くわえて、「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の一部を改正する法律」(平十三・六・二十九 法八十七第六条)は、相対的欠格事由を有する医療従事関連資格について、以下の通り、修学・就労支援の必要を明記している。

第三 障害者に係る欠格事由に該当する者で資格等を付与された者を雇用する際等における留意点
1 各資格者の教育・養成機関は、障害者に配慮した就学環境の改善等を図り、障害者の資格取得のための条件整備に努めるべきものであること。
2 障害者に係る欠格事由に該当する者で免許等を付与された者等を雇用又は配置する医療機関又は事業者は、当該障害者の適正な業務遂行が担保されるよう、当該障害者が利用している障害を補う手段又は受けている治療等を十分に把握した上で、必要に応じて、追加的な補助的手段の供与、適切な補助者の配置又は適切な設備の整備等の措置を講ずるよう努めるべきであること。

(省略)第四 障害者を雇用する際等の設備の整備その他必要な措置の事業者等への義務付け

 前述の通り、修学・就労支援の必要性が明記されつつも、促進されているとは言い難い現状のまま20年近く経過しているように思われてならない。この件について考えると、学び・働く環境における様々な課題が複雑かつ強固に絡み合った縄のようなイメージとして浮かんでくる。どこに糸口があるのかすら、見当のつかない感覚に陥ることもある。つまり、相対的欠格事由、障害者差別解消法、改正障害者雇用促進法等の複数の関係法規の施行があろうと、依然として多種多様な課題は存在し続けているともいえようか。そのため、本稿で課題全般にわたりくまなく述べることは難しいことを心得つつ、当事者として見える範囲からの思考かつ個人的な意見を以下へしめす。

1.需給のバランスを保つための就労を見据えた教育
 看護職養成は、「医療看護を要するであろう」と推測された未来の人数に応じて設定された「需要」と、それらの「供給」を目指して行われる。そこで、現時点における教育即ち養成の段階における疑問、おそらくこれは障害のあるなしに関わらず、すべての看護学生が当事者となりえ、疑問を有するのではないかと考える点を以下にあげておく。

1)年々増加を続ける医療費を勘案すると、より効率よく合理的、かつ低コストで、現行の就労環境を大きく変えずとも適応可能な人材を求めるのではないか。
2)養成を行う高等教育機関側としても、安定した経営と「就職率100%」を謳うため、資格取得後の就労を見据えた教育の選択を望むのではないか。
3)看護系学部は、医学部の1/10程度、薬学部やリハビリテーション系学部よりも限られた教員数で開設できることから、経営(高等教育機関)側の費用対効果は高いことも影響しているのではないか。

 需給のバランス、それも医療看護提供の質量保持の観点から、就労を見据えた教育になることは、止むを得ないとも想定できる。これは、筆者自身の看護職として医療機関をはじめとする20年近い臨床経験からも明確な事実といえる。しかし、養成の段階は「初学者」また「学習者」として、かつ相応の学費を納める身であることより、個々の背景や個別性を考慮した対応また教育機会の提供を切望する。

2.看護職の診療報酬は数でカウントされる現実
 医療機関の一般的な病棟は、24時間で患者さん7名に対し、看護職1名を配置するという基準が最も手厚くなっている。当然ながら、患者さんは年齢や疾患等、すべての面で異なり、誰1人として同じ状態の方はいない。少子高齢社会を迎えた現代、入院目的の疾患と加齢による心身機能への手厚い看護を要する方もあるのではないか。看護職は養成の段階から、患者さんの個別性を考慮した看護の実践を厳しく教育され、国家資格を得て就職する。しかし、就労後は患者さんと看護職ともに数でカウントされ、基準を満たした場合、診療報酬が支払われる仕組みとなっている。また、その基準が患者さんと同時に看護職の個別性を考慮できているか、その評価の1つとして看護職の離職率(参考:2018年度は10.9% 4))をあげたい。そして、我が国は1977年にILO(国際労働機関)第63回総会で採択された「看護職員の雇用、労働条件及び生活状態に関する条約」(2019年9月23日確認)へも未批准であり、看護職の社会福祉経済は国際基準を満たせていないと推測される。今回は断片的な情報の提示にとどまるものの、看護職の個別性の考慮は養成の段階から乏しいことを指摘せざるをえない。患者さんと看護職の個別性をともに尊重できる修学・就労環境の整備が期待される。

3.障害をもつ看護職の雇用を後押しする経済的なインセンティブと制度の乏しさ
 障害者手帳を有する者または難病等のために障害者雇用算定可と認められた看護職は、雇用側へ手帳所有を申請すると障害者雇用として算定できる。障害者雇用は機関毎に法定雇用率(民間事業者2.2%、国・地方自治体2.5%)が定められおり、その達成により、雇用者へは雇用調整金(月額27,000円)等が支払われる仕組みとなっている5)。法定雇用率未達成の場合は、月額50,000円を納付しなくてはならない5)。ちなみに、障害者雇用も数でカウントされ、特に身体障害者手帳1〜2級の者または重複した障害を有する3級の者、療育手帳A(またはAに準ずる状態と判断された場合)者は「職業的重度」と称され、1名で2名の障害者を雇用しているとみなされる。なお、医療機関は法定雇用率を引き下げる30%の除外率6)が適用されており、既定よりも障害者雇用の枠は限られているといえよう。
 また、障害者手帳の交付されない医学的軽〜中等度の障害を有する者の法定雇用率算定は困難である。つまり、「医学的障害がある」との診断を受け、日常生活に何らかの影響を生じていようとも、雇用にともなう経済的インセンティブは皆無に等しいといえる。
 今後、少子高齢社会は今以上に進むと予想されている。そのため、現時点でバリバリ活躍している看護職も年を重ねるとともに加齢由来の障害を生じる可能性は上昇し、臨床知や経験知の保持の側面からも、働き続けるための配慮や支援が必要となろうか。また医学的軽〜中等度の障害を有する若い世代の者も、今以上に看護職の仲間としていざない、ともに学び・働く者として歩みを進めていくことが望まれよう。

 話を現在へ戻すと、これまでの障害をもつ看護職たちの辿った道は、種々の困難や時に美談として語られ、当事者の視点からは「感動モノ」として、いわゆる健常者に消費されていると見受けられることもある。しかし、障害者雇用以外で、雇用側の経済的インセンティブを伴い、彼らの就労を具体的に後押し可能な制度や経済的背景は乏しく、当事者の自助努力、また、ともに学び・働いてきた者の配慮や支援が相まり、奇跡的に成立してきたと考えられることを申し添えておく。そして、労働力人口の現況から憶測に過ぎない面を含みつつも、近い将来、場合によっては10年以内に障害者手帳所有を問わずとも、修学・就労可能な環境の創造が不可避になるものと予見している。

4.障害をもつ看護職のキャリア構築の課題
 新卒看護職の大多数は医療機関へ就職することより、「まず初めに医療機関の経験ありき」のキャリア構築となっている現状は否めない。近年、新卒で訪問看護や社会福祉施設等への就職等も散見されるながら、医療機関に比して、限られた数となっている。ここで、障害のある新卒看護職が医療機関への就職を叶えられようとも、就労上の配慮や支援等がキャリアアップ時に求められる経験の蓄積を阻む可能性も考えられる。そのうち、障害特性に応じた職務組替等はキャリアラダーに提示された職務遂行を困難とする場合もあり、認定・専門看護師等の上級資格へのアプローチすら叶えられなくなる。また、当事者は、周囲と同レベルでのキャリア構築を望むケースも多く、これは今後の課題といえる。 

5.未来への期待
 看護専門職としての成立以後、特に、第二次世界大戦後の1945年以降は「男性」、「社会人」、「外国人」、「介護や育児の必要な家族・親族のある人」等、様々な背景を有する者を養成機関には看護学生として、国家資格取得後は看護職として就労環境へ取り込んできた。その時間は1世紀近くの「歴史」として積み重ねられており、過去を丁寧に辿ると障害を有する看護職の貢献や存在を複数確認できる。いつかの日か、障害をもつ看護職も、その歴史の延長上で公式かつ表立って語られるようになることを願ってやまない。

参考ホームページ
1)障害者欠格条項をなくす会
  http://www.dpi-japan.org/friend/restrict/(2019年9月23日確認)
2)第192回国会 参議院厚生労働委員会会議録第6号(2019年9月23日確認)
  http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/192/0062/19211170062006.pdf
3)第193回国会 参議院厚生労働委員会会議録第12号(2019年9月23日確認)
  http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/193/0062/19304200062012.pdf
4)日本看護協会 News Release 「2018 年 病院看護実態調査」 結果
  https://www.nurse.or.jp/up_pdf/20190515134543_f.pdf(2019年9月23日確認)
5)独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構 障害者の雇用支援 
  障害者雇用納付金制度の概要
  https://www.jeed.or.jp/disability/koyounoufu/about_noufu.html
  (2019年9月23日確認)
6)厚生労働省 除外率制度について
  https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11600000-Shokugyouanteikyoku/4-1-2_5.pdf(2019年9月23日確認)

参考文献
1.看護行政研究会 編集:2019年版 看護六法,新日本法規,2019.
2.日本看護協会出版会 編集:平成30年 看護関係統計資料集,日本看護協会出版会,2019.
3.青柳 精一:近代医療のあけぼの−幕末・明治の医事制度−,思文閣出版,2011.
4.栗原 房江:特別記事 相対的欠格事由改正後,初の保健師・助産師・看護師免許付与件数の公開 障害をもつ学生を取り巻く状況理解のための解説,看護教育,57(11),p906-910,2016.
5.栗原 房江:特別寄稿 保健師・助産師・看護師免許申請後に提出する診断書様式の2017年改訂の解説,看護教育,58(8),p658-663,2017.

2019年8月15日

にじいろでGO!

にじいろでGO!の仲間

自分について語る

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発言者はつげんしゃ
内容ないよう
司会しかい奈良崎ならさき
はい、えーと今日きょうはみなさんに自分じぶんたちの障害しょうがいについてはなしをしてもらいます。
スズキ
えー、スズキトモヒロです。松輪まつわ出身地しゅっしんちです。
クサノ
クサノマユミです。藤沢市ふじさわしから来ました。
ノウジョウ
湘南台しょうなんだい遠藤えんどうから来ました、ノウジョウタクヤです。
マナベ
三浦市みうらしからました、マナベコウイチです。
カワグチ
カワグチアケミです。わたし茅ヶ崎市ちがさきしからました。
司会しかい奈良崎ならさき
それで、えーとみなさんにまず自分じぶん障害しょうがいについてかたってもらおうかなあ。ノウジョウさんは障害者しょうがいしゃですか、障害しょうがいじゃないんですか?
ノウジョウ
障害者しょうがいしゃです。
司会しかい奈良崎ならさき
なん障害しょうがいってますか?
ノウジョウ
ま、障害しょうがいといっても、そんなに障害者しょうがいしゃじゃないかな、ってかんじもあるかもしれない。
司会しかい奈良崎ならさき
あ、それじゃノウジョウさん自体じたい障害者しょうがいしゃじゃない?それじゃあ、えーとけん常者じょうしゃっていうひとですか?障害しょうがいはないのかしらねえ?
ノウジョウ
障害しょうがいはあるけど・・・
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみにその障害しょうがいなん障害しょうがいってますか?
ノウジョウ
ああ、じゃあわかんないや。
司会しかい奈良崎ならさき
わかんないですか、ありがとうございます。はい、そのつぎかた、クサノさんは?あなたの障害しょうがいなんですか?
クサノ
たしか知的ちてき障害しょうがいだとおもいます。まえかんなかったので、がえたらごめんなさい。
司会しかい奈良崎ならさき
いいえ、たとえばそのいまクサノさんがいました知的ちてき障害しょうがいで、クサノさんのなかでなにが大変たいへんだなあというのはあります?
クサノ
うーん、むかしはあったけどいま自分じぶん努力どりょくして、いまのところはありません。
司会しかい奈良崎ならさき
はい、ありがとうございます。はい、そのつぎスズキさん、あなたの障害しょうがいってますか、スズキさん?
スズキ
えーと、知的ちてき障害者しょうがいしゃですね。
司会しかい奈良崎ならさき
スズキさんにとってはなに障害しょうがいかわかりますか?
スズキ
なんだかな、うーん、えーとね、むかしはねあのー、ほっきやすいタイプでしたね。
司会しかい奈良崎ならさき
へー、それは何歳なんさいときまでほっこしたの?
スズキ
小学しょうがく中学ちゅうがく、までですね。
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみにどんなほっってる、おぼえてる?
スズキ
あの、嘔吐おうと嘔吐おうとだったかな。
司会しかい奈良崎ならさき
へー、そうなんだ。よくおぼえてるねえ。
司会しかい奈良崎ならさき
マナベさんは、あなたの障害しょうがいなにってますか?
マナベ
知的ちてき障害しょうがいです。
司会しかい奈良崎ならさき
はい、えーとマナベさんにとってどんなしょう・・・知的ちてき障害しょうがいですか?
マナベ
ええ、自閉症じへいしょうだったんです。
司会しかい奈良崎ならさき
え、自閉症じへいしょうだったの?えー、そうなんだ。それはだれいたの?自閉症じへいしょうって?
マナベ
えっと、おねえさんからきました。
司会しかい奈良崎ならさき
ねえさんからきました。たとえば、その自閉症じへいしょうってわれてさマナベさんにとってどうおもいましたか?
マナベ
全然ぜんぜんわかんなかった。どういう病気びょうきだったか。
司会しかい奈良崎ならさき
いま最近さいきん自閉症じへいしょうってってわかった?
マナベ
うん、わかった。
司会しかい奈良崎ならさき
たとえばどんな自閉症じへいしょう、どんなひとなんだろう自閉症じへいしょうって、マナベさんにとっては?
マナベ
しゃべることができないというのかな、あとコミュニケーションがうまくできないというので・・・
司会しかい奈良崎ならさき
へー、すごいねえ。それはなんでわかったの?
マナベ
うんと、だいぶってからかな。
司会しかい奈良崎ならさき
それでさ、いてマナベさんのこころはどうだった?ショックだったかおこったおしえてもらっていいですか?
マナベ
うーん、ちょっとショックでしたね。
司会しかい奈良崎ならさき
いくつのときわかりました?
マナベ
うんと、3さいときかな。
司会しかい奈良崎ならさき
そうなんだ。すごーい。ありがとうございました。それじゃ、カワグチさんにもいちゃおうかな。あなたの障害しょうがいなんですか?
カワグチ
わたし障害しょうがいは、んとはったつ障害しょうがいと、あとみなさんとおなじような知的ちてき障害しょうがいです。
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみに、ごめんなさい、カワグチさんははったつ障害しょうがいってあたらしい障害しょうがいっていつわかったんですか?
カワグチ
んと、このはったつ障害しょうがいっていうのも、あの知的ちてき障害しょうがいとか、そういう全部ぜんぶ障害しょうがいふくめての、なんか総称そうしょうらしくって、まあ、おもてきには知的ちてき障害しょうがいってしょうされてるけど、まあ、いろいろあるんじゃないかってわれてきています。
司会しかい奈良崎ならさき
はい、ありがとうございます。たとえばカワグチさんは障害しょうがいをわかったときっていくつでした?
カワグチ
うーん、小学校しょうがっこう6年生ろくねんせいくらいでした。
司会しかい奈良崎ならさき
そのときのカワグチさんのちはいまおぼてますかねえ?
カワグチ
もう、めっちゃやしくて、なんでわたしこんな障害者しょうがいしゃまれたんだろうって、なやみましたね。
司会しかい奈良崎ならさき
はい、ありがとうございました。
司会しかい奈良崎ならさき
えっとですね、みなさんにさきほどいてもらいました、自分じぶんがすごく大事だいじに、大切たいせつだなあというものを発表はっぴょうしてもらってよろしいですか?
カワグチ
えー、わたし、あの、ちょっと、こういうイラストをくのがだいきで。セーラームーン世代せだいなので、もう、めっちゃ、もう…もう、ようしょう時代じだいによくてたアニメなんで、すっごいおもれがあって。うさぎちゃんみたいに、あの、ながかみに、ロングヘアにすっごいあこがれてて。
司会しかい奈良崎ならさき
へえー
カワグチ
それで、きになったのかもしれないです。
司会しかい奈良崎ならさき
はい、ありがとうございます。
マナベ
えー、みんなとなかくなることかね。
司会しかい奈良崎ならさき
で、ほし
マナベ
(うなずく)ほし
司会しかい奈良崎ならさき
はい、このしたは? っかは?
マナベ
えー、来年らいねんオリンピックだからです。
司会しかい奈良崎ならさき
ふふっ、はい。
マナベ
あと、障害しょうがいひとたちるからね。そのかつやくしてるのをたいとおもいます。
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみにオリンピックでマナベさん、ねえ、はしったりうんどうするのきだから、たらいかがですか? たいとおもいますか?
マナベ
できればたいとおもいます。
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみになにますか?
マナベ
卓球たっきゅうかねー?
司会しかい奈良崎ならさき
卓球たっきゅうかねー。
司会しかい奈良崎ならさき
オリンピックでなにたいですか?
マナベ
んー…たいのはね、野球やきゅうですかね。
司会しかい奈良崎ならさき
野球やきゅう。どっち? 障害者しょうがいしゃのオリンピックか、健常けんじょう、ふつうの障害しょうがいがないひとのオリンピック
マナベ
障害しょうがいのをてみたいですね。
司会しかい奈良崎ならさき
そうですか。たのしみですねー。ねー、いま練習れんしゅうちゅうですよね。ありがとうございます。はい!スズキさんは?それじゃあスズキさんにいちゃおうかな。はい、スズキさんはなんか今日きょうおもしろいてくれました。はい、なんでしょうか? なんかマヨネーズですか?
スズキ
あ、ちがいます、あの… 。
司会しかい奈良崎ならさき
あっ、フフフ…どうぞ。
スズキ
イタリアのスーパーカーのフェラーリのロゴマークです。
司会しかい奈良崎ならさき
んん?
スズキ
フェラーリのロゴマーク。
司会しかい奈良崎ならさき
くるま
スズキ
はい。
司会しかい奈良崎ならさき
くるまですか?
スズキ
はい。
スズキ
やっぱおれ、あの、あの、ミハエル・シューマッハがすーげえ…
司会しかい奈良崎ならさき
ミハエル・シューマッハなつかしい。
スズキ
あこがれてさ、もう、ほんとに。F1エフワンとか、もう、観戦かんせんしたい、たくてもうたまりません。もう本当ほんとうに、はい。
司会しかい奈良崎ならさき
え、スズキさんはなんでくるまがこんなにきなんですか?
スズキ
やっぱあれです、あの、土屋つちや圭市けいいちさんの、あの、あこがれで、あの、くるまきになりました、ほんとに。
司会しかい奈良崎ならさき
ツワケンイチさんってだれでしたっけ?
スズキ
ドリキン、ドリキン土屋つちや圭市けいいち
司会しかい奈良崎ならさき
あぁ、土屋つちや圭市けいいちさんか。そっかぁ。スズキさんにとってくるまはどんな存在そんざいですか。ひとりたいですか、運転うんてんしたいひとですか。
スズキ
やっぱはしになりたいですね。
司会しかい奈良崎ならさき
クサノさんの大切たいせつな、きなものはなんでしょうか。
クサノ
ちっちゃいけど、おはなです。
司会しかい奈良崎ならさき
ちなみにこのおはなはなんのはなでしょうか。
クサノ
そこまでめてなかった。
司会しかい奈良崎ならさき
クサノさんは1ばん きなはなは、なんのはなきですか。
クサノ
ひまわりとかいろんなはな
司会しかい奈良崎ならさき
ひまわりはねえ、あか、黄色きいろくてあかるい、そうなんだ。
クサノ
それもきだけど。
司会しかい奈良崎ならさき
はなはなきですか。
ノウジョウ
ええきです。
司会しかい奈良崎ならさき
いましゅんはなですよね。
ノウジョウ
ええまあそうです。
司会しかい奈良崎ならさき
わたしましたはなで。ちなみにあとは、はな以外いがいなにいてくれたんですか。
ノウジョウ
あとまあ。一応いちおうひまわりのつもりで。
司会しかい奈良崎ならさき
ひまわり、どれがひまわりなんだろう。芸術げいじゅつだ・・・あったあった。これだ。
ノウジョウ
うん、最初さいしょの。
司会しかい奈良崎ならさき
これだ! 芸術げいじゅつだからわかんなかった。芸術げいじゅつむずかしい。はい、ちなみにノウジョウさんはどうして男性だんせいなのにはなきなんですか。
ノウジョウ
あのおとうさんが、あの鎌倉かまくらりだったから。もあるかな。
司会しかい奈良崎ならさき
へぇーー。ちなみにノウジョウさんはおはないたり、写真しゃしんを、ノウジョウさん趣味しゅみじゃない? 写真しゃしんでもおはなおおいんですか
ノウジョウ
おおいですね。もうやめちゃったんだけどね。
司会しかい奈良崎ならさき
えっ、写真しゃしんやめちゃったの。なんで。
ノウジョウ
あの、ちょっと月謝げっしゃたかくて。
司会しかい奈良崎ならさき
そっか、そうなのね。趣味しゅみのものを・・・そうなのね、ありがとうございました。
司会しかい奈良崎ならさき
ばんわたしきなのは、わたし、クマのぬいぐるみがだいきなんです。それで昨日きのう時点じてんでやっとみなさん、おかげでやっとくまのぬいぐるみが160たいになりました。160ぴき。がんばって200ぴきあつめなさいってわれて、あとみなさん、40ぴきがんばってあつめるのでご協力きょうりょくねがいしまーす。(拍手はくしゅ)
司会しかい奈良崎ならさき
ぎゃくみなさんきらいなことおしえてもらっていいですか。あたしこんなこときらいよ、とかこんなこと苦手にがてよ、ていうの、クサノさんからいちゃおうかな。
クサノ
友達ともだちがケンカすんのが苦手にがてかなー。
司会しかい奈良崎ならさき
どうして。
クサノ
よくわかんないけど、ただしょうもないことでケンカするとまわりが迷惑めいわくするし、なかくしたいから。
ノウジョウ
かね使つかかた苦手にがてかな。どっちかというとね。
司会しかい奈良崎ならさき
それは、ノウジョウさんにとって、たとえばさ、おかねってろすのはできるのかな。
ノウジョウ
まぁできるけど、あの結局けっきょく結果的けっかてきにはね、まあ今日きょうはこんなかんじになっちゃったんだけど。まあ実際じっさいなっちゃったんだけども。
司会しかい奈良崎ならさき
そうね。それじゃ家計かけい自分じぶんでお小遣こづか管理かんり苦手にがてなのかな。
ノウジョウ
まぁ、そうですよね。
司会しかい奈良崎ならさき
そうですね。
司会しかい奈良崎ならさき
苦手にがてなもの
スズキ
やっぱアレ、物音ものおとにビンカンですね。
司会しかい奈良崎ならさき
ん? モノ?
スズキ
物音ものおと敏感びんかん
司会しかい奈良崎ならさき
へぇー、その物音ものおとってたとええばどんな物音ものおと
スズキ
バーンバーンっていう。
司会しかい奈良崎ならさき
あー、画像がぞうなんかのチンピラ、爆発ばくはつシーンとかか・・・ちなみにスズキさんにとってほか苦手にがてなものってありますか。できないもの。
スズキ
やっぱあれだねあの、あれ、えーと、しょっちゅう不安ふあん不安症ふあんしょうになるんです。
マナベ
けんかすること。
司会しかい奈良崎ならさき
え?けんかすること。実際じっさい自分じぶんはけんかしますか?
マナベ
そうですね。
司会しかい奈良崎ならさき
だれとけんかしました、最近さいきんは?
マナベ
最近さいきんはいない・・・、あ、最近さいきんはおねえさんかねえ。
司会しかい奈良崎ならさき
ねえさんかねえ。おねえさんとけんかした。ショックだったねえ。なん・・・たとえば理由りゆうをちょこっとおしえてもらっていいですか?どんなことでけんかしたんですか?
マナベ
やっぱり、お小遣こづかい・・・
司会しかい奈良崎ならさき
みんなお小遣こづかい。お小遣こづかいのことでけんか。ちなみに、マナベさんはいま一人ひとりらしして今年ことし何年目なんねんめでしたっけ?
マナベ
もう4年目ねんめ・・・
司会しかい奈良崎ならさき
すごい、4年目ねんめ一人ひとりらしで4ねん経たって、生活せいかつでこんなこと大変たいへんだったよっていうのあります?
マナベ
まあ、おにわのお掃除そうじかねえ。
司会しかい奈良崎ならさき
にわのお掃除そうじにわのお掃除そうじってさ機械きかいでやるの?それともで・・・
マナベ
そう、でやるの。
司会しかい奈良崎ならさき
すごい、それは大変たいへんそうだね。
司会しかい奈良崎ならさき
大変たいへんなこと、苦手にがてなことおしえてもらっていいですか?
カワグチ
苦手にがてなものは、んーと、んー、自分じぶんおもっていることを、あのー、まわりにうこと。たとええば自分じぶんがこうおもっているのに、なかなか、あの、職員しょくいんえなかったりとか、本音ほんねをなかなか友達ともだちえなかったりすることがちょっと苦手にがて・・・
司会しかい奈良崎ならさき
それはどうしてー?
カワグチ
あのー、以前いぜんんでたグループホームで、すっごいなかのいい友達ともだちと、もうすっごい本音ほんねはなしちゃって、もうそれ以来いらいそのくちかなくなっちゃって、一方いっぽうてきえんられちゃったんで、ああこれもう本音ほんねわないほうがいいかなあ、っておもったのが、いまいたります。
司会しかい奈良崎ならさき
はーい、つらいですね。とくに、きらいなものはありますか?
カワグチ
きらいなもの?あの、いま関係かんけいないんだけど、算数さんすう数学すうがく
司会しかい奈良崎ならさき
算数さんすうはどっち?えーと、計算けいさん九九くく暗算あんざん
カワグチ
えっと、九九くくとか、簡単かんたん割算わりざんとか、足算たしざん引算ひきざんはだいじょぶなんだけど、こうなんだろう?
司会しかい奈良崎ならさき
分数ぶんすうとか?xyエックスワイなんとか・・・
カワグチ
だんだんあの、小学校しょうがっこう5・6ねんがってくると、むずかしくなってくるじゃないですか、それがいやでした。
司会しかい奈良崎ならさき
わたしきらいなもの、みなさん、わたしかみなりだいきらいなんですよ。なんかかみなりるとわたし一番いちばんきらいで、どうしてかというと、わたしかみなりにバカみたいにらないうちにかみなりってるのにらないのに、真正面ましょうめんてしまったってちっちゃいときおもがあって、そのときあたまかみなりちてた時点じてんでそのつぎわたしやけどで大入院おおにゅういんをしたおもがあって、それからかみなりかみなりがだいきらいになっちゃって、なんかかみなりるとわたしはどこかにきますのでみなさんかみなりるとみなさんに手伝てつだってください。それとわたし苦手にがてなもの、カワグチさんとおなじようにわたし計算けいさん苦手にがてです。それでくこともきらいです。えっとわたしはどうしてみんなから原稿げんこうけるの?って最近さいきんよくみなさんから質問しつもんされるのですが、わたしにはあにがいるので、わたし代弁だいべん全部ぜんぶあに原稿げんこうをまとめてつくってくれて、一応いちおうわたしくのがきななので、きます。そんなかんじです。

「にじいろでGO!」ってなに?

2016ねんがつ26にち相模原さがみはら津久井つくいやまゆりえんで19にん知的障害者ちてきしょうがいしゃ殺害さつがいされる事件じけんきました。この事件じけんについて、おな知的障害ちてきしょうがいをもつ仲間なかまとして、自分じぶんたちのこえかたおうと11がつ23にち集会しゅうかいいました。その集会しゅうかいあつまったメンバーが中心ちゅうしんとなり、「にじいろでGO!」というあたらしい本人ほんにんグループがまれました。
障害しょうがいをもつ当事者とうじしゃ自分じぶんたちのこえでこれまでの経験けいけん事件じけんのことについてかたい、自分じぶんたちのちからでこれからのらしをつくげていくことを「にじいろでGO!」は支援者しえんしゃとともに目指めざしています。

難病と私

大関智也

地獄とのつきあい方

小林エリコ

ジェンダーとセクシュアリティの交差点から

前川直哉

エッセイ目次