REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

エッセイ

エッセイページについて

塔島ひろみ

2018年12月5日

「ジェンダーとセクシュアリティの交差点から」第 1 回

前川直哉

シールとジェンダー

 私の研究テーマは「ジェンダー/セクシュアリティの社会史」です。昨年著した『〈男性同性愛者〉の社会史』という本では、同性愛というセクシュアリティのテーマと、男性の経済的・社会的な特権というジェンダーのテーマとを交差させながら、歴史を描くことを意識しました。
 私自身も男性同性愛の当事者なのですが、ジェンダー/セクシュアリティ研究に関心を持った直接のきっかけは、「同性愛者である」ことから来る自分自身の被差別体験ではありません。むしろ自分が男性として「得をしている側」であること、それまで無自覚に特権を得ていた(そして、現在も得ている)側であると気づいたことが、大きな転機でした。一度気づくと、自分が履かせてもらっている下駄の大きさが気になって仕方がありません。もし私が女性だったら、希望通りの進路に進めていただろうか。同性愛を研究し、いくつかの論文や著書を世に出すことができただろうか。様々な疑念が頭に浮かびます。
 ジェンダー研究の醍醐味の一つは、自分の中の嫌な部分、自分であまり好きでない部分について「そうか、これもジェンダーの問題だったのか!」と気づけることです。今秋に翻訳が出て話題となったレベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(左右社)も、その典型といえるでしょう。この本では、女性に対して上から目線で偉そうに説明したがる(たいして詳しくないことも、時に相手の方が詳しいことでも)という、少なくない男性に見られる特徴が鮮やかに描き出されました。そしてこうしたジェンダーの力学によって女性が沈黙を強いられ、苛酷な暴力と結びつく場合があることも。マンスプレイニング(man+explain)という流行語を生んだ彼女のこのエッセイは、多くの女性の共感を呼ぶこととなり、そして私は「うぅ、思い当たる……気をつけよう……」と冷や汗をかきながらページをめくりました。同様の思いをされた男性もおられるのではないでしょうか。
 「あやふやな知識しかないのに偉そうに説明したがる男性、内心間違ってるなと思っていても黙って聞く女性」という構図は「マウンティングする男性、コミュニケーションする女性」と言い換えることもできるかもしれません。競争社会の中で自分の優位性を示そうと、懸命にマウンティング行為を試みる男性たち。自分の意志にかかわらずケア役割を担うことを強いられ、意に沿わない言動にもニコニコと黙ってうなずくことを良しとされる(ちょっとでも歯向かうと「可愛げがない」と罵られる)女性たち。「男性は外で仕事、女性は内で家事・育児」という近代的な性別役割分業観を背景とするこうしたジェンダー規範に、生きづらさ、息苦しさを感じている人は大勢おられることでしょう。そして実はこの種のジェンダーの水路付けは、子ども時代にはもう始まっているのです。
 私(40代)とほぼ同世代の、気の置けないジェンダー研究者の集まりで雑談していた時のことです。話題が子ども時代の愛読雑誌に及んだ時、何人かの女性研究者たちが、少女マンガ雑誌の付録のシールの思い出話で盛り上がりました。「雑誌の付録シール、友達との交換日記に貼ったりしたよね」「そうそう、それで返事に『このシールかわいい!』って書いたりね」。会話を聞いていた私は衝撃を受けました。私たち当時の男子にとってシールといえば「ビックリマンシール」。チョコ菓子のおまけについているそのシールは貼るものではなく、コレクションし、レアなシールを友達に自慢するための道具でした。シールを通じて女子がコミュニケーションを学んでいる間に、私たち男子はマウンティングを学んでいたのです。「バトル中心の少年マンガ、恋愛もの中心の少女マンガ」がジェンダー規範の形成に寄与している点はこれまでもたくさんの研究で指摘されてきましたが、まさかおまけのシールまでとは……と慄然とする思いでした。

 このエッセイではこれから、身近な話題を取り上げながら、ジェンダーやセクシュアリティの視点で考えてみたいと思います。なるべく「上から目線の、知ったかぶり説教」にならないよう気をつけつつ……。

2018年11月28日

ライフタイムで住宅を考える 01

丹羽菜生

身体に合わせるか、家に合わせるか

人は家を考える時、何を重要と考えているだろうか。
「日当たりの良さ」、「地震に耐える強さ」、「暑さや寒さ」、「環境」、「デザイン性」・・・。
全て欠かせない事項であるが、そこにもう一つ、「ライフタイムー時間軸-」も追加するというのはどうだろう。
時間軸の追加とは、つまり、自分の身体に何かが起こってもそこでそれまで通り住み続けられるかどうかということである。

特に、若い夫婦が住宅を考える際、目の前にあるローンと子育てのことで精一杯で、そこに「住み続ける」という時間の概念が抜けていることが多い。

「何かがあった時には引っ越しをすれば良い」ということをよく聞く。そうあっさり割り切れるのであれば、そのようにされるので問題はないが、多くの人はそれまで過ごしていた家からそう易々と引っ越しは出来ない(したくない)ものである。

それまで築いた地域から離れるだけでなく、子どもの学校も変わらなくてはならないかもしれない。

身体の状態が家に合わないから引っ越すというのは、本来であれば、本末転倒である。身体の状態が合わないから住みたい所に住めないというのは、寂しすぎる。

身体の状態に合わせられる家であれば、それほど多くの変更なしにそれまでの延長で生活が続けられる。

例えば、プロのバンドに片足突っ込みながら大学でのプロジェクトで海外へも行くような大学生活を送っていた人が、ある日理由もわからぬ病で急に倒れてしまい、それ以降、車いすでの生活を余儀なくされた場合、彼はどのようにその先の生活を送るのか想像してみる。

建て売りの実家は玄関の敷居が高く、「よっこらしょ」というかけ声が必要になる。狭いトイレにはかろうじてトイレの横の壁をあけることが出来たので、2つの扉があるトイレにして横から介助を行う。大きくて立派な洗面台の足下には物入れがあるため、顔を突き出した無理な体勢で顔を洗わなくてはならない。浴室にはギリギリ入れるが、ギリギリの中自分が転ばないか心配してひやひやしながら介助を行う。廊下から部屋に入るのも車いすを回転しながら「よっこらしょ」と。ここで毎日の生活を行うのは難しい。

彼の場合は、仕事の関係で実家を離れ都心のマンションを借りることになった。自立である。大家さんの厚意で部屋の扉は全て取り払い、カーテンに付け替えた。三角の土地に建つ仕事場近くのマンションには、至る所に無駄な空間があり、幸いなことに車いすで生活をする彼にとっては介助者が入れるスペースとして役に立った。職場近くでそんな家はまずそこしかない。彼はとても運が良い。

彼には彼女が出来た。同じマンションの違う階にもうひとつワンルームの部屋を借りた。少し変わった形の同棲である。そして結婚となって二人が住める家を探した時、住みたいと考えたこの地域に住める家を見つけることは出来なかった。

自立した彼が一人暮らしで感じたことと、変わった同棲生活から学んだことは幾つかある。彼にとって住むための家に必要なことは、車いすでもスムーズに使える玄関や水回り、居室への入口と広さである。そして彼女にとって住むために必要なことは、彼の介助を楽に行えるスペースと動線、それから彼女のプライバシーの確保である。
(続く)

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三角の土地に建つマンションでの生活

ご案内

地域のなかでの住宅のありかたに関するセミナー「地域と住宅」を、 12月21日に明治大学の園田真理子教授をお迎えして開催致します。詳細は以下の通りです。
http://www.lifetimehomes.jp/events.html
ご興味のある方は是非ご参加下さい。

2018年11月9日

地獄とのつきあい方 第一回

小林エリコ

『地獄とのつきあい方』トップ画
イラスト:小林エリコ©
初めての精神科

初めて精神科に行ったのは高校生の時だ。眠れない日々が続き、死にたいと思うことが毎日あり、母親に精神科に行きたいと頼み込んだ。母親は最初、精神科に連れて行くのを拒んだ。家から精神病患者を出したくなかったのだろう。しかし、一睡もできないというのは想像以上に辛く、何回かお願いしたら連れて行ってくれた。しかし、家の近くでは近所の人の目があるからダメで、何駅か離れた遠い病院へ行った。駅からバスに揺られ、空を眺めていると寂寞とした気持ちになった。流れる雲を眺めながら、絶望的な気持ちになっていた。学校では今頃みんな授業を受けているのに、私は学校を休んで精神科に行っている。母の隣で深くため息をついた。

最初、精神科というと、優しいお医者さんがいるとイメージしていた。何しろ、診るのは心なのだ。しかし、予想と反して、お医者さんはとても冷たかった。若い女医はわたしを一瞥した後、カルテに目をやったきり私の方を見なかった。私が眠れなくて辛い、死にたいと考えてしまう、といったことを訴えても、あまり反応を示さない。相変わらず私の目を見てもくれない。そして、私と一緒について来た母だけに残るようにいい、私は診察室を追い出された。母とお医者さんの診察が終わり、私は薬を出された。私はお医者さんに自分の話を聞いてもらえた感覚は全くなかった。そして、私がなんの病気なのかすら教えてもらえなかった。大人になってから母に聞いたら「思春期特有のもの」という診断だったそうだ。

私は家に帰ってから、薬を飲んだ。しばらくすると薬が効いて来たのか、なんだか心がスッとして明るい気分になった。
私は面白くもないのに、ニヤニヤ笑ってしまう。
「お母さん、薬ってすごく効くんだね」
と、言いながら歩き回って、家の中の何にもないところで頭をぶつけたり、転んだりした。さらに、明るい気分になるのは一時的なもので、その後は今まで体験したことがない深いうつに襲われて、起きることができなくなり涙が止まらなくなった。母に薬の服用をやめるように言われたのだけれど、真面目な私は、薬の服用をやめたくなかった。病気が治らなくなると思ったのだ。しかし、このままでは学校に通えなくなるので、薬の服用をやめた。

次の診察で薬を変えてもらった。けれど、一ヶ月ほど経って、体重が三キロも増えてしまい、私は焦った。当時は何が原因だかわからず、お医者さんに伝えたところ、「あなたの不摂生」と言われた。しかし、これは間違いで、太ったのは薬が原因だ。大抵の精神薬は副作用で太ることが多く、また、喉の渇きなどもある。私は一時期、あるお医者さんにかかっていたとき、薬を1日30錠ほど処方されていて、その時の体重は80キロ近くなっていた。大量の薬を処方され、頭の中はぼんやりして、歩くときもすり足になり、ただ漠然と死にたい気持ちがあった。

私は精神病というのは、すぐに治るものだと思い込んでいた。昔、製薬会社が「うつは心の風邪」というキャンペーンをやっていたせいもあると思う。風邪ならすぐに治るのだろうと考えていたのだ。しかし、3回目の診察で、お医者さんに「いつ頃治るのでしょうか?」と聞いたら「この病気がそんなにすぐ治るわけないでしょ!」と怒鳴られた。すぐに治らないと怒鳴られたことは大変ショックだったが、治らないのは本当で、私は高校生の時から20年以上も精神科に通っている。そして、精神障害者手帳も取得した。

思えば、私は多剤大量処方という言葉も知らなかった。日本の精神科は患者に出す薬の量がとびきり多い。特に、便秘にはよく悩まされた。私は副作用の便秘を治すために、下剤を精神科で処方してもらっていた。病気を治すために薬を飲んで、その副作用を消すためにさらに薬が出るという、ひどい悪循環に陥っていた。薬の多いのが体に良い訳がなく、突然死する人もいるらしい。定期的な血液検査も必要だそうだ。しかし、当時の私はそんなことはしてもらえず、ただ、病気が良くなると信じて薬を服用していた。
薬の多さに気がついたのは、通所していたデイケアのスタッフで、突然の肥満や喋り方、歩き方から判断したようだ。すぐに医者に連絡してくれて、薬を減らすことになった。しかし、薬を増やすのは簡単だけれど、減らすのはとても難しい。突然薬を大量に減らされた私はひどい頭痛と不穏に襲われて泣きわめき続けた。
ある時、デイケアで薬の勉強会が行われた。講師の医師は少ない薬の量を心がけている医師だった。母はその医師に頭を下げた。
「うちの娘を診てやってください」
そして、病院を移り、数年かけて減薬に取り組んだ。
精神科に通って、病気が改善されるのでなく、私の病気は悪化していった。私の回復に時間がかかったのはこの国の精神医療が遅れているせいもあるかもしれない。

一時期は自殺未遂を繰り返し、精神病院への入退院も繰り返していたので、かなり重症だったと思う。あの頃の自殺未遂は本当に死にたいからだと思っていたけれど、死にたかったのではなく、社会との繋がりが断たれていて、寂しかったのだと思う。何しろ、私は20代から30代にかけて、自宅と精神科デイケアの往復だけで過ごしている。友人が仕事をし、結婚している中、私はおいてけぼりを食った気持ちでいた。

そんな中で、「精神病新聞」というミニコミを自分で発行し、情報発信を続けていた。「精神病新聞」を発行することで、ミニコミを作っている人と友達になることができ、私は孤独からいくらか解放された。精神病新聞は10年くらい発行し続け、各種メディアで取り上げてもらえるようになり、昨年はイースト・プレスから単行本「この地獄を生きるのだ」を出版した。現在は、NPO法人で事務員として働きながら作家として文章を書いている。

この連載では、私が体験したこと、感じていることなどを書かせもらおうと考えている。精神病者から世界がどのように見えているのか、また、精神病の人と関わる時に、どのようなことを意識すればいいのか、そのような助けになる連載になればと思う。

小林エリコ:プロフィール
小林エリコ:肖像画

1977年生まれ。茨城県出身。短大を卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職。
その後、精神障害者手帳を取得。現在も精神科に通院しながら、NPO法人で事務員として働く。
ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。
自殺未遂の体験から再生までを振り返った著書「この地獄を生きるのだ」(イースト・プレス)が大きな反響を呼ぶ。
エッセイ「わたしはなにも悪くない」(晶文社スクラップブック)にて連載中。

2018年11月2日

「障害と社会」

長瀬修

小説「障害者と私」

 土曜日の午後、家にいると呼び鈴がなった。頼りになる夫が玄関に出てくれて、配達員から受け取ろうとすると、国の役所からの「本人限定受取」なためダメで、私が健康保険証を出して、ようやく受け取ることができた。何か大切な連絡かと思い、急いで開いた。夫も心配そうに見ている。
 開けてみると封筒には、難しそうな書類がたくさんだ。まず目に入ったのは1枚目の「旧優生保護法による不妊手術への謝罪と補償」と題する紙だ。最初に自分の名前が書いてある。ドキッとした。フリガナがふってあるけど、漢字だらけのむずかしそうな紙だ。
 別に「わかりやすい説明」と題するイラストも入ったカラーの紙もあり、分かりやすそうなので、そちらをまず見てみると、自分で希望していないのに、子どもができない体にしてしまう手術(優生手術・不妊手術)を受けさせてしまったお詫びと、お詫びのしるしにお金がもらえると書いてあった。金額を見ると大金だ。
 そういえば、「優生保護法」という昔あったひどい法律について裁判になっていると、テレビで見たことがあったけど、自分と直接、関係があるとは思っていなかったので、注意して見てはいなかった。
 確かに小さい時に、何か手術を受けさせられて、その時の傷跡が今も、おなかに残っている。少しこわい気がして、何の手術だったのか深く考えることはなかった。亡くなった両親から話はなかったし、50代になってから一緒になった夫とそのことについて話すことはこれまでなかった。
 小さい時に大切な自分の体にそんなひどいことをされていたなんて。どう受け止めたらいいのだろう。誰の責任だったのだろうか。「障害者」にはそんなことを勝手にしていいなんて誰が決めたんだ。そして、私に手術することはどうやって決まったんだろう。父や母はどう思っていたんだろうか。考えてみると涙が少し出てきた。服の上から、傷あとを触ってみる。夫婦になったのは年をとってからで、子どもを作ろうと思ったことはなかったし、傷あとが痛むわけでもなく、特に医者に診てもらったこともなかった。
 いろいろと記入して返送してくださいと書いている紙には、分からないことがあったら遠慮なく連絡してくださいとか、希望すればうちに来て説明もしてくれるとあり、電話番号とファクス番号も書いてある。
 どうすればいいのだろうか。どうしようか。誰に相談しようか。
 ふと、非常勤で再雇用されている役所のことを思い出した。雇用率達成のために「障害者」として自分が登録されていたらしいことを、先日、給湯室で仲の良い同僚から聞いた。人事課の友人からたまたま聞いたそうだ。再雇用されなかった同僚もいたから、自分の場合は「障害者」だということで、優先的に再雇用されたのだろうか。
 うちの役所も、障害者雇用の「水増し」をしているというので、地元のテレビが取り上げていた。昔は、確か手帳を持っていたはずだけど、ここずっと使ったことはない。どこかにあったのだろうか。なくしてしまったかもしれない。手帳を出してくださいと役所で言われたことは、少なくとも再雇用の時はなかった気がする。
 障害者差別解消法という法律ができて、大学の先生が講師だったつまらない研修を役所で受けさせられた時、今の自分は障害者かどうか、少し考えたことを思い出した。その研修では、最初に目をつぶって「自分を障害者だと思う人」、「自分を障害者だと思わない人」どちらかに手を挙げるように言われた。どっちに手を挙げるか迷ってしまって、どちらにも挙げられなかったけど、講師はそういう人もいますと言っていた。
 そう、自分のことを「障害者」かどうか、いつも誰かがどこかで決めてる。手術もそうだし、役所の登録もそうだ。
 手元にある大事な書類にもう一度、目を向ける。自分は障害者だったから手術を受けさせられてしまったようだ。そうなら、それはとてもひどいことだから、きちんと謝ってもらった方が良い。お金がもらえるならうれしい。いや、当然かもしれない。もらえたら、家族に少しは良い思いをしてもらえるかもしれない。
 夫は相変わらず、心配そうにこちらを見ている。どうしようか。いつもと違う土曜日の午後だ。(了)

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本稿はフィクション(2018年10月31日記)。勇気をもって旧優生保護法国家賠償請求訴訟に踏み切った皆様と、献身的に支える優生保護法被害弁護団の皆様に捧げます。

(長瀬修 立命館大学生存学研究センター教授)

2018年8月30日

都市のアクセシビリティ01:シンガポール

丹羽太一

車いすでシンガポールへ行く

シンガポールへ視察に行く機会がありましたので、合間に見たまちのアクセシビリティをまとめました。

空港からまちへ
シンガポールのチャンギ空港はまちの中心から少し離れています。まちへ出るにはタクシーが便利ですが、車いすの場合は、通常のタクシーはセダン型でそのまま乗ることはできません。安く行くには鉄道(MRT)が利用できます。

チャンギ空港はT1からT4まで4つのターミナルがあり、T2とT3は直接地下のMRTの駅につながっています。どちらもエレベーターが複数台あり、Train to City のサインにしたがっていけば、地下へつながるエスカレーターと、エレベーターのピクトがついた Lift to MRT のサインが見つけられます。
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Changi Airport T2 到着
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T1はT2,T3とそれぞれ Skytrain というピープルムーバーでつながっており、T4とT2は専用バスでつながっています。T1からMRTに乗りたいときは Skytrain でT3に行く必要があります。サインでは Train to City (MRT Station at T3) となっていますので、Skytrain to T3 を利用します。 Skytrain は段差なく乗り降りができます。
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Changi Airport T1 到着

T4からMRTに乗りたいときは T2行きのシャトルバスに乗ってT2からMRTを利用します。
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Changi Airport T4 出発

シャトルバスは自動でスロープが出てくる低床バスです。
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Changi Airport T4 出発

到着ロビーには案内カウンターもあります。多くのカウンターにはヒアリングループのマークがあります。迷っていると案内スタッフが声をかけてくれます。どの交通機関を利用すべきか相談できます。(ただし、車いすでの利用について詳しいわけではありません。)
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Changi Airport T1 到着:案内カウンター
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Changi Airport T4 到着:案内カウンター

MRT、タクシーの他にまちへの交通は路線バスがあります。ここでは Bus to City と表示されています。
路線バスは2006年以降、更新時に車いすが乗れるものにしなくてはならなくなり、2020年には全てが車いす対応になる計画です。(Land Transport Master Plan 2013)
車いす対応バスは乗降口下にある折りたたみのスロープを出してもらう低床バスで、車いすスペースがあります。1台分なので、すでに車いすの乗客がいると次のバスを待てと言われます。
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バス乗降口

もうひとつ、通常のタクシーは車いすのまま乗ることはできませんが、City Shuttle & Limousine と表示されているサービスのなかに、車いすのまま乗れるリムジンタクシーがあるようです。ただし、値段は通常のタクシーの2倍ほどします。
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Changi Airport T1
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CITY SHUTTLE / LIMOUSINE - GUROUND TRANSPORT CONCIERGE のサインがそのサービスで、 CITY SHUTTLE(主要ホテルを廻る直通マイクロバス)、LARGE TAXI(七人乗りのワンボックスタクシー)と LIMOUSINE(四人乗りの大型セダン)がブッキングできるカウンターおよび自動発券機の場所を示します。
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Changi Airport T1:自動発券機
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Changi Airport T1:CITY SHUTTLE / LIMOUSINE 案内カウンター
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Changi Airport T4 到着:自動発券機

カウンターで尋ねたところ、LARGE TAXIならスロープがあって車いすも乗れるということでしたが、実物の確認はできませんでした。(複数の LIMOUSINE SERVICE の業者サイトではロンドンキャブを使ったサービスが車いすで利用できるとなっている。ロンドンキャブはもともと客席が広く、ドアを開けると床にスロープが折りたたんであり簡単に車いすのまま乗り降りができる。)
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ロンドンのブラックキャブ

ちなみに、Coach は団体バスやいわゆるリムジンバスのようなサービスで、空港のサイトでは隣のマレーシアの都市ジョホールバル行きとなっています。

MRTのアクセシビリティ
MRTはシンガポールの鉄道で、まちの中心ではそのまま地下鉄になります。全ての駅にひとつ以上のアクセシブルルートと車いす用トイレがあり、視覚障害者用の誘導ブロックも設置済みとなっています。車いすのアクセシブルルートの表示もあります。(Land Transport Master Plan 2013)
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アクセシブルルートの表示

チケットは券売機で買うことができます。券売機への車いすでの接近のためのスペース、券売機のタッチパネルや各種投入口・取出口の高さは、アクセシビリティ・コードで決められたサイズがあり、通常の車いすなら操作は可能です。(Code on Accessibility in the Built Environment 2013)
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(ちなみに短期旅行なら一枚購入で6回乗れる Standard Ticket がお手軽です。)
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チケット購入/使用画面

駅の改札は全て自動改札で、必ず一箇所以上幅広の改札があります。
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また、一列車に2箇所の車いすスペースを設けることになっています。
“MRT"

ホーム上では車いすスペースへの乗車口を表示しています。
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全ての車両のドア横に妊婦、高齢者、幼児のための優先席があります。その横は荷物置き場と表示されたスペースで余裕があります。
“FORT

MRTの駅は駅舎入り口から誘導ブロックが引かれており、運営会社のアクセシビリティ方針によるとスロープ、エレベーター、車いす用改札を通るルートを示しています。またサービスセンター、車いす用トイレにもつながっています。ホームにもホーム端の警告ブロックとは別に引かれています。

チャンギ空港地下のMRTの駅、Changi Airport 駅は East West Line の支線 Changi Airport Line の終点です。自動改札はどれも広い幅になっています。
“Changi

ホームはかなり広く、ホームドアもついています。
“Changi
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Changi_Airport_MRT_Station_Platform_20121111.jpg

ホームと車両の間にほとんど段差がありません。
“Changi

隙間、段差はどこの駅でもこの程度です。
“Changi

この支線は3駅しかないのですが、そのためか列車が旧く、乗り降りはスムーズですが、車いすスペースはありません。まちの中心へ行くには一つ先の Exipo 駅で Downtown Line に乗り換えるか二つ先の Tanah Merah 駅で East West LINE の本線に乗り換えます。
Exipo 駅の駅舎はイギリスの建築家ノーマン・フォスター設計です。
https://www.fosterandpartners.com/projects/expo-station/
MRTの駅のホームはどこもある程度広くホームドアもついているため、車いすでも動きやすくなっています。
“EXPO

Exipo 駅での乗り換えはかなり距離があり、Airport Line ホームから Downtown Line ホームまでの間エレベーターに4回乗りますが、Downtown Line のサインをたどれば迷うことはないでしょう。誘導ブロックもこのエレベーターのルートに沿って引かれています。
“EXPO

公共建築のエレベーターはかご幅1200mm、奥行1400mm以上でドア幅900mm以上と決められています。
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操作ボタンは高さ900mmから1200mmの間に設けることになっているため、車いすでも操作できます。非常ベルは点滅ライトと連動せねばならないとなっています。(Code on Accessibility in the Built Environment 2013)
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Tanah Merah 駅は支線の終点ということもあり、 East West LINE への乗り換えは下りたホーム上でできるので簡単です。
“Tanah

まちのアクセシビリティ
シンガポールのまちなかは歩道がバリアフリーになるようかなり整備されています。古い街並みでも道路を横断する場所は縁石が切り下げてあり、視覚障害者の注意を促すための警告ブロックが敷かれています。
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アクセシビリティ・コードでは、誘導ブロックは安全な歩行ルートを示し、公共の建物入り口、チケット売り場を案内し、警告ブロックは段差・階段前、横断歩道前などの危険を知らせるほか、チケット販売機前などの前への到着を知らせる、となっています。(Code on Accessibility in the Built Environment 2013)

ショップハウスと言われる伝統的な建物の形式は、一階部分が歩道の分セットバックして店になっており、二階より上が住居となってそれが横に連なっているので、セットバックした歩道部分が日差しを避けて歩くのにちょうど良いアーケードになっています。
“SHOP

車道側が段になっていることもありますが、だいたい左右からまわってアーケード部分に入れます。(アーケードにはテーブルや椅子があって狭かったり、たまに通行中に段差があって、引き返すことも。)
“SHOP

新しい建物も同じような造りで歩道の設けてあるところが多い。
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周辺は階段などがあってもスロープが整備されており、歩行が妨げられるようなことがありません。
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たまたま見つけたモールでも、エレベーターが設置され、トイレも整備されています。
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Robertson Walk
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バス停にはシェルターとベンチが設けられています。アクセシビリティ・コードではタクシー乗り場のシェルターについては、ベンチや車いすが通りやすいサイズ、車道に下りる際のスロープの詳細が決められていますが、バスシェルターについてはアクセスを確保するとだけ書かれています。(Code on Accessibility in the Built Environment 2013)
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仮設のタクシー乗り場ですが乗降用の道路への切り下げと、ボラードが設置されています。
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アクセシビリティ・コードでは工事現場に隣接する道路では歩道のバリアフリーを維持するよう定めています。
ラッフルズホテルも全面改装中でしたが、歩道は使えるようになっています。
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観光
マリーナベイ・サンズ
今回はまずマリーナサウスに開発されたマリーナベイ・サンズのショッピングモールと植物園ガーデンズ・バイ・ザ・ベイを訪ねました。最寄りの駅は Bayfront です。
“Bayfront"

観光客を意識した再開発地域なので駅も新しく、大規模でかなりの人出です。
モールへはエレベーターを2つ乗り継いで3層のメインフロアの2階部分(実際はB1)に上がれます。
“Marina

もちろん全てのフロアにエレベーターで行けます。吹き抜け2箇所に2機ずつ、3つの階を行き来するエレベーターがあり、他に数カ所2つの階を行き来するものがあります。
“Marina

ここには店舗だけでなく、劇場、ミュージアム、、コンベンションセンター、そしてカジノがあります。
“Marina

車いす用トイレがあります。ベビーベッドと共通の多目的トイレです。
“Marina

さらに上の階にはガーデンウォークという屋外デッキがあります。
“Marina
が、暑いので人はいません。マリーナベイ・サンズの高層ビル真下です。
“Marina

モールの3階(実際はL1)から外に出るとミュージアムの入口があります。
“Marina

一般の人もスロープでアプローチしています。
“Marina

正面の入口は反対側で、こちらは裏口だったようです。

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
そこから海沿いにガーデンズ・バイ・ザ・ベイまで歩いて行けます。
“GARDENS

“GARDENS

先に見えてきた白い建物がガーデンズ・バイ・ザ・ベイの温室です。
“GARDENS

温室まで歩くと10分ほどかかるのですが、マリーナベイ・サンズのホテルから歩道橋を渡ってすぐの Bayfront Plaza には温室まで行ける SHUTTLE SERVICE のカートがありました。Bayfront Plaza はMRTの Bayfront 駅からも地下道でつながっています。
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車いすも乗れます。車いすでの利用は無料です。
“GARDENS

6月は常夏の街シンガポールでも一番暑い時期なので、歩いている人はほとんど見かけませんでした。暑さが苦手な場合は SHUTTLE SERVICE を利用するののも手です。帰りに利用することにします。

徒歩で行くと温室の裏の出口に着きました。温室は Flower Dome と Cloud Forest の二棟があり、二棟それぞれのの入り口とチケット売り場はひとつ上の階にあるので、スロープを上がって左のエレベーターを使います。
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COOLED CONSERVATORIES(温室ではなく、シンガポールでは冷室でした)のチケットで両方の温室に入れます。
入口には車いすとベビーカーのための幅広のゲートがあります。Cloud Forest に入ります。
“GARDENS

入ると滝の落ちる小山があります。この内部に展示があり、さらに空中に突き出た遊歩道を歩くようになっています。
“GARDENS

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山の内部は6層になっていますがエスカレーターの他に、エレベーターがあります。
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内部の展示も2つの遊歩道 CLOUD WALK と TREETOP WALK も車いすで行けます。
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出口も幅広のゲートがあります。
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Flower Dome は内部が2層になっていますが、こちらもエレベーターで行き来できるようです。

Flower Dome と Cloud Forest の出口はどちらもひとつ下の階に戻るので、再度エレベーターで入り口の階に上がると SHUTTLE SERVICE の乗り場がありますが、そのまま歩いてすぐの SUPERTREE GROVE へ。
“GARDENS

“GARDENS

奥に見えている上の遊歩道 OCBC SKYWAY へ上がります。右のツリーの足下にチケット売り場があり、ツリーの中のエレベーターで上に上がれます。
“GARDENS

http://www.gardensbythebay.com.sg/en.html

SUPERTREE GROVE にも SHUTTLE SERVICE の乗り場があります。帰りはこれを利用してこのシャトルの終点 Bayfront Plaza に戻ります。
“GARDENS

Bayfront Plaza からエレベーターで地下道へ下りてMRTも利用できますが、それとは別のルートで歩道橋へ上がってマリーナベイ・サンズのホテルへ。
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ここからマリーナベイ・サンズの屋上デッキ SANDS SKYPARK OBSERVATION DECK へ行きます。
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屋上デッキのチケットをタワー3の地下1階、 SKYPARK チケットカウンターで買って、直通のエレベーターで上がります。(レストランかバーを利用する場合は1階の Sky on 57 / CÉ LA VI 専用カウンターでの受付になります。)
“Marina
CÉ LA VI 専用カウンター

デッキはこんな感じです。
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下に植物園の建物が見えます。
“Marina

街の中心のほうも眺めることができます。
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MRTの駅に戻る途中、マリーナベイ・サンズのショッピングモールでカジノの前を通ったので入口を覗いたところ、入場ゲートに車いす優先レーンがありました。
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左の奥に入場ゲートが並んでいますが、出口から見ると正面に車いすマークのついたゲートが。
“Marina

“Marina

MRTで移動し、ラッフルズホテルへ行ってみたのですが、全面改装中でした。
Raffles Singapore is currently closed for restoration with a planned reopening in the end of 2018.
https://www.raffles.com/singapore/

最寄りの City Hall 駅上のショッピングモールには車いす用トイレもあります。
“Raffles"

プラナカン・ミュージアム
Peranakan Museum はプラナカンという中華系移民の末裔の人々の歴史博物館です。
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100年前の学校の建物を改装して Asian Civilisations Museum 亜州文明博物館の別棟として使われていたものを、10年前にプラナカンの文化を紹介する博物館としてリニューアルしたものです。 入口にはスロープが設けられていて、内部には車いす用トイレとエレベーターがあります。
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が、この日はエレベーターが使えず、1階のみの見学でした。
https://www.peranakanmuseum.org.sg

True Blue Cuisine
ミュージアムショップは少し狭いのですが、隣接してやっているレストランは古い建物そのままで、車いすでも入れます。伝統的なプラナカンの料理が食べられます。
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http://www.truebluecuisine.com

チャイナタウン
Chinatown も古い街並みなのでお店は道路に面した1階にあり、車いすで入れるところは多いと思われます。
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Chinatown Food Street 牛車水美食街の通り沿いはレストランばかりで、道には屋台も出ています。屋台用のテーブルスペースもあります。
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通りの東の端にある Chinese Theatre Circle の横にトイレもあるようです。チャイナタウンは全体的に広くはありませんが、車いすでも利用可能です。

クラーク・キー
clarke quey はリバーサイドのショップハウスや倉庫などを再開発して2006年に完成したモールですが、特にナイトスポットとして有名なようです。夜は若い人と観光客で賑わっています。
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トイレもあります。
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リバーサイドはベイエリアのほうまで遊歩道になっており、夕涼みがてら多くの観光客が行き来しています。
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シンガポールで最初のユネスコ世界遺産 Singapore Botanic Gardens に一番行きたかったのですが、ここで時間切れ。

次回、別の都市をまたお知らせできると思います。