REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

障害者の「自立生活」から私が学んだこと・考えたこと
  田中恵美子

2021年1月20日

障害者の「自立生活」から私が学んだこと・考えたこと

第1回

Independent living 人生を謳歌する

 障害者の「自立生活」に関するエッセイを、というご依頼を受けてからあっという間に時間がたってしまいました。「エッセイって徒然なるままに書いたらいいんだよね〜」と簡単に受けてしまったけれど…「対象は広く一般」というけれど…やっぱりREDDYのサイトに載るんだから、それ相応の文章を書かないといけない…と考えたらなんだかとても気が重くなってしまって筆が進まない。でも締め切りは守ろう!延ばせば余計ハードルが上がる(あ、ちょっと過ぎているかも💦)。ということで、ギリギリになってえいやっと、最初に依頼をお受けした時の軽い気持ちに戻り、これから徒然なるままに書いていきたいと思います。しばし、お付き合いを。
 2020年、コロナウイルスの話題で明け暮れた1年でした。「新しい生活様式」といわれ、様々なことが変化しました。その中で心配していたことがありました。映画の上映についてです。2020年当初、私が気にかけていた映画が3つあります。「Independent Living(インディペンデント・リビング)」、「37 Seconds(37セコンズ)」、そして「道草」です。
 このうち「道草」は、すでに2018年から上映されていましたが、自主上映が中心で、2020年はあちこちで少しずつ上映の輪が広がり始めていました。私も職場の近くで催されるイベントで自主上映を企画しようとしていました。「Independent Living」と「37 Seconds」は 2020年からが本格的な劇場での公開予定となっていました。しかし、コロナの影響で私の関わっていた企画も含め、様々なイベントの開催が見送られ、映画館が次々と休館に追いやられる事態となり、いったいこれからどうなるのだろうとやきもきしました。当初は打つ手がなかったのですが、やがてオンライン上映が実施されるようになり、現在は劇場での上映や自主上映も再開されつつあります。ですが、この原稿を書いている今、またもコロナウイルスの第三波による緊急事態宣言が行われようとしています。本当に先の読めない状況が続いています。
 なぜ、私がこの3つの映画のことを気にかけているのかというと、障害者の「自立生活」・「自立」に関わるテーマが描かれているからです。映画というエンターテインメントのツールを用いて、世間一般の人々に障害者の「自立生活」が持っている価値について知ってもらえるとてもよいチャンスとなると思っています。これから一つずつ取り上げながら論を進めていきたいと思います。まずはIndependent Living.
 検索サイトで“Independent Living”と引くと、おそらく筆頭にこの映画の公式サイトが出てきます。ぜひ予告編を観てください。大体これでわかります(笑)。もちろんちゃんと映画全体を観たらもっともっといろいろなことがわかります。ただ予告編だけを見ただけでも障害に対するイメージが覆されるのではないかと思います。ここで私が思う「障害に対するイメージ」とは、清く、正しく、美しく、弱く、儚く、悲しく、大変な毎日をがんばって生きている…偏りすぎか💦
 Independent Livingは「自立生活」と訳します。アメリカ・カリフォルニアのバークレーにおいて、障害者の自立生活が始まったのは1960年代のことです。日本には1981年に行われた国際障害者年の前後に自立生活に関する情報が入ってきました。当初は独立生活と訳されていましたが。
 1962年、エド・ロバーツ(Edward. Roberts)という重度の身体障害者がカリフォルニア大学バークレー校に入学しました。彼はポリオの後遺症で四肢にマヒがあり、肺にも障害がありました。当時の彼の写真には「鉄の肺」と呼ばれる人工呼吸器に収まったものがあります。そのころの人工呼吸器は冷蔵庫より大きく、その中にすっぽり入り込むタイプでした。今では想像もつきませんね。驚くのはそうした身体状態で大学受験をし、しかも合格するということなのですが、それはさらに長い歴史があって、1954年のブラウン判決により、分離された環境での教育は差別とされたことにより、その後各地で障害児に対しても統合された環境での教育の実施が求められた結果であるといえるでしょう。
 大学に入学したエド・ロバーツは、学生寮に入ることはできず、大学附属病院の一室から大学に通ったそうです。彼の他にも数名の障害のある学生が同様に病院から大学に通っていたそうですが、病院は生活施設ではないですからいろいろと支障もあったでしょう。自分たちの学生生活を障害のない人たちと同じようにしていくために自ら必要なサービスを考案して実施していくようになります。そしてそこには連邦政府から資金援助も出るようになって、組織的な支援体制が組まれるようになっていきました。やがてそのサービスは大学内にとどまらず、地域社会の中へと広がっていきます。1972年に自立生活センター(Center for Independent Living)が設立され、エド・ロバーツは初代所長に就任しました。
 障害者の「自立生活」を求める社会運動を自立生活運動(Independent Living Movement)といいますが、その中で主張されてきたことの中から私が学んだことについてご紹介しておきましょう。それは自己決定による自立という考え方です。それまで自立の概念というのは、自分で自分の食い扶持を稼げるようになるという経済的な、あるいは職業的な自立が一般的でした。また発達段階との関係でいえば、洋服が自分で着られるようになったりごはんが自分で食べられるようになったり、排せつも含めて、身辺的な自立というのもありました。しかし、自立生活運動の中では、たとえ身体に重度の障害があろうとも、自らの生活において必要なことは自分が一番よく知っていて、それを実現するために生活をコントロールすることが自立だと定義しました。むろん、身体的に障害が重い場合、自分自身の身体が思うように動かないので様々な場面で誰かの手を借りますが、それは問題ではないのです。
 このことを表すためによく使われる有名なフレーズを紹介しておきたいと思います。
 「人の助けを借りて15分かかって衣服を着、仕事にも出かけられる人間は、自分で衣服を着るのに2時間かかるため家にいるほかない人間よりも自立している。」i
 自分の行動やその目的を決め、それを遂行するために他者の力も含めてコントロールすること、これが自立であり、それを可能にする生活が自立生活というわけです。
 自立に価値を置くこと自体が近代の価値に束縛されていることになるのですが、私が自立生活運動に出会った時にはそんなことには考えが及ばず、自らの状況と照らし合わせながら、誰かの世話になっていたとしても自分のことは自分で決めていいんだと、なんだか心がふっと軽くなったような気がしたことを覚えています。
 映画Independent Livingの予告の中では、家族介護や施設生活の限界を示し、介助サービスが単なる身体介護や家事援助ではなく、障害者が自分らしく生きるための支援であること、そして自立生活が「“生きづらさ”を抱えた人たちが“自分らしさ”をとりもどす」場であることを示しています。そこには失敗もありますが、それもまた生きていくための糧なのです。「ぜんぶ抱えてワガママに生きる 笑いと涙のドキュメンタリー」…1分54秒です。
 この「ワガママ」というのは他でも聞いたことがあります。そうそう、「こんな夜更けにバナナかよ」。2018年に映画化されました。主人公の鹿野靖明さんは筋ジストロフィーで体が動きません。介助者とボランティアに囲まれた生活をしていますが、彼がある日夜中に「バナナが食べたい」といったことがこの題名になっています。彼のことを映画の中では何度も「わがまま」と表現します。
 “わがまま”というのはどういう意味でしょうか。広辞苑には「相手や周囲の事情を顧みず、自分勝手にすること」などとあります。夜中にバナナを食べることは子どもなら大抵親に止められるでしょう。でも大人になったら別に勝手に一人で食べればいい。鹿野さんがいうと“わがまま”といわれるのは、彼の行動のあれこれ全てに介助者が関わる必要があるからでしょう。介助者に迷惑をかけるから夜中にバナナが食べたくても食べたいとは言わないのが従順な障害者であり、食べたいときに食べたいというとそれはわがままな障害者となる。鹿野さんは予告編の中で「俺が人生楽しんじゃいけないのかよ!」とも叫んでいます。そうですよ。「人に迷惑をかけたっていいじゃないか」…あれ、これも聞いたことがあります。1976年に放送されたドラマ『車輪の一歩』の一節です。
 車いすの青年たちとガードマンの鶴田浩二が語り合うシーンで、鶴田浩二がいった言葉ですね。
 「多くの親は子どもに最低の望みとして『人に迷惑だけはかけるな』という。人に迷惑をかけないというのは今の社会で一番疑われていないルールかもしれない。しかし、それが君たちを縛っている。一歩外に出れば電車に乗るのも、少ない階段を上がるのも誰かの世話にならなければならない。迷惑を一切かけまいとすれば、外に出ることさえできなくなってしまう。だったら迷惑をかけてもいいじゃないのか。いや、かけなければいけないんじゃないか。君たちが街へ出て、電車に乗ったり、階段を上がったり、映画館に入ったり、そんなことを自由にできないルールがおかしいんだ。いちいち後ろめたい気持ちになったりするのがおかしい。私はむしろ堂々と胸を張って迷惑をかける決心をすべきだと思う。」
 すっかり名場面集のようになってしまいましたが、すべて切り貼りですので、お時間の許す方は是非各作品を観ていただきたいと思います。障害者の自立生活の中で主張している価値は、誰もが自分らしく生きていいんだということ、人生を謳歌していいということです。長くなりましたので、一つ目のテーマはこれで終わりにしたいと思います。

  1. 有名な IL の代表的な規定であり、様々なところで取り上げられているが、今回は定籐 1987 から引用した。

文献:
定籐丈弘 1987 「重度障害者の生活 自立を支える地域組織化活動」『リハビリテーション研究』1987 年 11 月号(第 55 号)特集/総合リハビリテーション研究大会‘87: https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r055/r055_023.html (20210105)

2021年4月14日

障害者の「自立生活」から私が学んだこと・考えたこと

第2回

37seconds 脱家族

 前回は、映画“Independent Living”から、障害のある人たちが人生を謳歌することについて触れましたが、今回は映画“37 Seconds”を取り上げて、ずばり「脱家族」について触れていきたいと思います。
 まず映画“37 Seconds”の予告編。「37 秒なんです。私が生まれたときに呼吸してなかった時間」。出生時の無呼吸が原因で脳性麻痺の障害を負うことになった遊馬。漫画家のアシスタントですが、実は彼女が描いているというゴーストライターです。私生活では過保護な母親と二人暮らし。すべてに干渉され、囲われた鳥のような生活をしています。そんな生活を変えたくて、新しい漫画の作品を自分で描こうとやや過激な描写のある作品に挑むけれど、編集者に「作家に経験がないのにいい作品は描けないでしょ」といわれてしまいます。意を決し、“経験”を求めて夜の街に出かける遊馬。そこで遊び人風の車椅子の男性(えっと、友人です💦)と、彼の夜のお相手をする女性に出会います。そこから彼女の人生が大きく変わっていくことになります。
 予告編には二つあって、一つは 37 秒で作られているという手の込んだものになっています。長編の、1 分 03 秒の予告編の方では、いつまでも子ども扱いする母親に遊馬が抵抗する場面が入っています。遊馬が「子ども扱いしないでよ」というと、母親は「お母さんがいないと何もできないくせに」といい、遊馬は「お母さんが何もさせてくれないからでしょ」と返します。
 内容に触れるのは、これ以上はネタバレになりますので控えますが、この映画のテーマの一つは「脱家族」です。「脱家族」というやや聞きなれない言葉は、「脱施設」という言葉と合わせて考えると理解しやすいと思います。「脱施設」というのは、施設での生活から脱すること、それは物理的に施設という空間を出て別の場所で生活を始めるということであると同時に介助や時間、あるいは金銭的にもあらゆる面でそこから独立するということです。
 ただ、「脱施設」の場合、施設が障害者に特有の存在であるがゆえに、他の人と同じような生活をするために施設から「脱」すると考えると意味が分かりやすいのですが、家族は障害の有無に関わらず、あった方がいいものと一般的には考えられるはずなのに、なぜ「脱」する必要があるのだろうか…でも皆さん、よく考えてみてください。特に思春期を過ぎた後、親元に暮らしている中で窮屈に感じたことはなかったでしょうか。親の存在が必要なのにもかかわらず、疎ましく感じたこと。経済的に依存せざるを得ない自分がみじめに感じたこと。親の「愛」ゆえの決定や助言に押しつぶされそうになったこと。それらを「子どもだから仕方がない」とあきらめてきたこと。私もそんな子どもの一人でした。
 日本における障害者の自立生活に関するバイブルとも言われる『生の技法』の中で岡原正幸氏は、こうした生きづらさを、近代家族一般の課題として愛情の規範化、その行為の規範化、加えて日本特有の独立への規範の不在(岡原1990)が相まって、家族が子どもを抱え込んでいることに由来していると指摘しています。特に子どもに障害があると、年齢を重ねても庇護されるべき存在であり続けるのであり、親と子のパワーバランスは変わることがありません。
 しかし、自立生活運動の障害者たちはそれらをはねのけます。「泣きながらでも、親不孝を詫びながらでも、親の偏愛を蹴っ飛ばさねばならない」(横塚晃一『母よ!殺すな』)といい、『愛と正義を否定する』(青い芝の会行動綱領)とも言いました。そして家を飛び出し、生活保護を受給しながら、介助者を探し、自らの生活を成り立たせていきます。こうした事実を資料や実際に出会う中で知り、その力強さに圧倒されるとともに、自らの生き方についても、もっともっと自由でいいんだと背中を押されたような気持になったことを覚えています。

文献:
安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 1990 『生の技法』藤原書店
横塚晃一 2007 『母よ!殺すな』生活書院

2021年9月15日

障害者の「自立生活」から私が学んだこと・考えたこと

第3回

自閉症という可能性、IQ18という謎-違いを楽しむ

 あなたの子どもが3歳になったとき、突然言葉を失ったら…そんなことがあるだろうかと耳を疑うのではないでしょうか。3歳はむしろこれから言葉を増やしていく年齢ですから。しかしオーウェンはそれまで流ちょうに話していた言葉を3歳で失いました。医療機関を訪ね歩いてわかったのは、彼が自閉症だということでした。
 「もう二度と話せないかもしれない」
 医師の言葉に両親は絶望します。しかし、あきらめませんでした。何があってもこの子を愛し、守り抜くと抱きしめました。
 6歳まで誰とも会話ができなったオーウェンですが、話すことができるようになったきっかけは大好きなディズニー映画でした。最初は「リトル・マーメイド」を観ていた時、ぶつぶつとつぶやいていた言葉“ジューサーボース”に意味があったことが分かったのです。
 アリエルが人間になる場面でした。アースラがアリエルに「人間になりたいなら“あんたの声をよこせ”」といいます。突然オーエンがビデオを巻き戻し、画面を見つめました。そして3回目の巻き戻しの時、オーウェンの母が彼のつぶやきが何だったのか、気づきます。
 「声をよこせ」(Just your voice)
 声を失ったオーウェンの心からの叫び。しかし、医師は、それは自閉症特有のエコラリア(オウム返し)だと説明しました。だから、意味などないと。しかし、両親は彼を信じようと決めるのです。
 それからしばらくまた話せない時間が続き、両親はあきらめかけていました。しかし、その時は来ます。兄が9歳の誕生日、パーティが終わり、友達が帰ると、兄は一人さみしそうな顔をしていました。するとオーウェンが父と母のところに来て、気持ちが沸き上がるように、こういったのです。
 「お兄ちゃんは子どもでいたい。モーグリやピーター・パンだ!」
 モーグリはジャングルブックに出てくる男の子です。ピーター・パンは子どものままで居続けるネバーランドから来た男の子ですね。オーウェンは、兄の気持ちを理解し、それを親に伝えたのです。完璧な文章で。父はオーウェンの部屋に向かいます。オーウェンはベッドの上に座ってディズニーの本をみていました。そばにはオウムのイアーゴ(アラジンに出てくるキャラクター)の人形が置いてありました。父はイアーゴになり切って、オーウェンに話しかけます。すると、オーウェンは昔からの友達に話すように、イアーゴに応えました。
 「つまらないよ。友だちがいないから。」
 しばらく話すうちに、父はオーウェンがディズニー映画のセリフを暗記していることに気づきました。
 両親はディズニー映画のセリフを使ってオーウェンに言葉を取り戻すことができると確信します。それから両親は、兄は、ディズニー映画の登場人物になって、オーウェンと関わるようになっていきます。その過程でオーウェンは言葉を取り戻していきます。支援学校ではいじめにあいますが、ディズニー映画のわき役たちと共に立ち上がる物語を自分で書き上げ、打ち勝つ力をつけていきます。
 やがて彼はデイサービスでディズニークラブを作り、仲間たちとディズニー映画を見ながら、人生を学んでいきます。そして支援校を卒業し、23歳で家を出てグループホームでの生活を始めるのです。グループホームといっても3人で一軒家に住んでいて、そこに食事の用意や掃除など彼らの家事を手伝うために支援者が来るような生活スタイルです。付き合っていた彼女はグループホームの上階に越してきます。愛する彼女との両想いの甘い時間を過ごしますが、やがてその恋に破れ、傷つき、でもそれを乗り越えて自分の力で生きていこうと前を向くのです。
 『ぼくと魔法の言葉たち』は、自閉症の少年がディズニー映画を通して失った言葉を獲得し、成長していく姿を描いたドキュメンタリー映画です。この映画を見ると、人間の力は計り知れないものだとつくづく思います。医学では解明できないことが彼の中に起きていて、誰にも予測できない力を発揮することがあるのです。
 同じ感覚を持ったのが、映画『いろとりどりの親子 Far From The Tree』の中で、自閉症の少年ジャックが言葉を獲得した時です。いくつになっても言葉を話さないジャックに、両親は音楽療法、理学療法、自然療法等々あらゆる方法を試すのですが、時に暴れ、かんしゃくを起こし、自傷行為が激しくなっていく息子にどうしていいのか、わからなくなっていきます。
 ある日、初めての言語聴覚士とのセッションで、彼はかんしゃくを起こしつつも言語聴覚士が指し示すボードにあるアルファベットを選んでいきます。それを言語聴覚士が読み上げ、つなげていくと、「僕は頭がいい」!
 そう、彼は、言葉を理解していたのです。ただ、そのことを誰にも理解してもらえなくて、彼の中にある言葉をいわゆる音声言葉以外にどう表現したらいいのかわからなくて、かんしゃくを起こしていたのです。
 それ以来、彼はアルファベットのボードを使って話すようになりました。怒っている彼をみて、母が声をかけます。「何を怒っているのか、ちゃんと教えて頂戴」。すると彼はかんしゃくを起こしつつもボードの文字を一つずつ指していきます。
 「もっとクッキーがほしい」。
 髪を切ろうというと、またもボードの文字を一つずつ指していきます。
 「女の子にもてるね。」
 たわいもない会話。希望。一つずつを表現していくことで日常を取り戻していきます。
 2016年にNHKスペシャルで『自閉症の君が教えてくれたことi』を見たときにも、私はやはり同様の驚きと希望を感じました。東田直樹さんは重度の自閉症者であり、母親がつくった厚紙のアルファベットのボードを頼りに言葉を話します。現在はそうして紡いだ言葉をまとめて20冊の著作があり、プロの作家として活躍中です。その彼が、テレビ番組の取材に来たディレクターに問いかけます。一つ一つのアルファベットを追いながら、声を上げて読み上げていきます。
 「丸山さんは生きる上で大切なことは何だと思われます?」
 答えに詰まっているディレクターを相手に、東田さんはボードを指しながら声をあげていきます。
 「命のバトンもその一つですか?僕は人の一生はつなげるものではなく、一人ずつが完結するものだと思っています。おわりぃ!」
 翌日、東田さんからディレクターに文章が届きます。
 「僕は命というものは大切だからこそ、つなぐものではなく、完結するものだと考えている。
 命がつなぐものであるなら、つなげなくなった人はどうなるのだろう。
 バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。
 それを思うだけで、僕は悲しい気持ちになる。
 人生を生き切る。
 残された人はその姿をみて、自分の人生を生き続ける。」
 バトンをつなぐことができる人、それが当たり前の人からは見ることのできない、考えることのできない深い思索がこの短い文章の中にあります。すべての人に対するやさしさと、今を生きていくことへの力強さが示されています。東田さんの言葉を読み上げるナレーションが三浦春馬さんであることが今となっては悲しいですが。
 医学や科学では計り知れないこと、わからないことがまだまだたくさんあります。白岩次郎さんも人間のもつ未知の可能性を感じさせてくれる一人です。彼のIQは18、話せる言葉は10ほどしかありません。重度の知的障害と分類されますが、しかし、買い物が得意で、スーパーや惣菜屋に一人で行き、必要なものをきちんと選んで買ってきます。しかも適切な値段で(単に安いのではない)。
 彼の行きつけの店の定員さんは、彼が何を言おうとしているのか、言葉を通してではなくても、理解しています。もちろんわかりにくい時もあって、そういう時には繰り返し聞くこともありますが、そうして理解しようと試みます。初めて買い物に同行したNHKのアナウンサーは、最初は彼が何を言おうとしているのかわからず、いっしょに出かけることに不安を感じていましたが、共に行動するうちに、徐々に彼の言いたいことがわかるようになっていきます。そのプロセスは『次郎は「次郎という仕事」をしているii』(NHKハートネットTV)で観ることができます。
 その映像の中で、次郎さんのお母さんは次のようにいっています。
 「私は障害者と健常者の間にある重い扉を開けるのが次郎と私の仕事だと思っている。」
 私たちは「自閉症」や「IQ18」と聞くと、なんとなく身構えてしまいます。コミュニケーションがとれるのか、とか、何を考えているのだろうかとか。今までの常識や医学的知識といったものがさらに両者の間の壁を厚くします。そうして相手と自分は違うもの、哀れみの対象として、何かを施す対象として相手をとらえてしまうようになります。上から目線ですね。けれど、彼らはそうした自分たちの特徴を超えて、私たちの方に歩み寄る準備ができているのです。あとはこちらがその形跡をなんとか探し出すことができるかどうかにかかっています。そして、手がかりをつかむことに成功すると、両者の思いは急激にちかづき、理解は驚きと喜びへと変わります。世界がパッと広がっていくのです。障害は恐怖や困難の対象から、共にチャレンジすべきものへと変わっていきます。
 障害を楽しむ。障害が楽しみを生み出し、つながりを築く。そんな綺麗ごとではないといわれてしまうかもしれないのですが、でも確かに、違いを認め合いそれを乗り越えて理解しようする家族の物語から、私はそんな言葉を思い浮かべるのです。

  1. 『NHKスペシャル 自閉症の君が教えてくれたこと』https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000 (2021.8.30)
  2. 『次郎は「次郎という仕事」をしている~重度知的障害者が歩く豊かで優しい世界』https://www.dailymotion.com/video/x6qj266 (20210830)
2022年1月12日

障害者の「自立生活」から私が学んだこと・考えたこと

第4回

地域で暮らすこと、地域に居続けること―その意味

 いよいよ最終回となりました!今回は地域での暮らしについて考えていきます。まずは第1回目に予告しておきながらちっとも取り上げてこなかった「道草」i を、ネタバレにならない程度にご紹介しましょう。
 登場人物は20代から40代の4人の男性。皆、重度の知的障害と強度行動障害といわれる障害があります。強度行動障害とは、「自分の体を叩いたり食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど本人の健康を損ねる行動、他人を叩いたり物を壊す、大泣きが何時間も続くなど周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のこと」と述べられています ii。こんな紹介をしたら、え?そんな人が地域で暮らせるの?と思うかもしれませんね。しかし映画の中では彼らが施設ではなく、親元からも離れて地域で暮らしている日常が描かれます。卵を4個食べようとするリョウスケ、介護者に「シー」といわれても「タ~」と大声をあげながら歩くヒロム…2人は地域での生活がある程度落ち着きを見せていますが、ユウイチローはまだ自分の生活リズムが作り出せておらず、不穏な状態で賃貸住宅の2階の部屋で暴れ、外出先であれこれ起こしたり…カズヤは、今は施設にいて、地域での生活の準備のため両親の面会にヘルパーが同席しています。
 ここで描き出されているのは、支援者との関係性の中で生活が営まれていく様子です。今、落ち着いている人もかつては家族では支えきれない時期もあったし、そのために施設に入所することになり、そこで非人間的な生活を送る中で傷つき、その傷が癒えないために今の日常の中で湧き出てくる怒りの気持ちを自分ではどうすることもできず、何かにあたってしまう人もいます。それでも支援者とともに地域で暮らす。私たちはその日常を、人とのかかわりを、映像を通して知ることになります。
 同じく障害者の日常を描いている映画「梅切らぬバカ」iii もご紹介しましょう。こちらは加賀まりこが54年ぶりに主演を務めることでも話題となっています。その自閉症の息子役にお笑いコンビのドランクドラゴンの塚地武雅が抜擢され、抜群の演技力で自閉症のある人の日常を描き出しています。
 ふたりは新興住宅街の一角の古民家で暮らしています。50歳の誕生日にぎっくり腰になった息子、忠さんを支えられなかった母は、このまま年老いていくことに不安を感じ、以前から息子のために申し込んでいたグループホームの空きが出たという知らせに、応じることにします。しかし忠さんは、集団生活の中でも今まで母と守ってきた習慣を続けようとして、周りの人とぶつかってしまいます。地域社会の中では、隣に引っ越してきた夫婦と小学生の男の子がいる家族と忠さんの家族との関係や地域の馬牧場、自治会とグループホームの関係などが描かれていきます。
 「梅切らぬバカ」は、「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ということわざの一部です。桜も梅もどちらもバラ科の植物です。しかし桜は切り方や時期を間違えると花をつけなくなりますが、梅は上手に切らないと成長に栄養が取られ、実がつかなくなります。このことから、このことわざは、同じ種であってもその特徴に応じて対応しなくてはならないということを表しています。忠さんの家には梅があり、枝が伸び放題で本当は切らないとならないのですが、それが難しいさまが描かれ、このことわざを象徴しています。
 結局忠さんはある事件をきっかけとして、グループホームに暮らし続けることができなくなって母のいる実家に戻ってきます。問題は一見振出しに戻ったようにみえるのですが、しかし、隣の家族との関係は変わっていて、忠さんの居場所はここにあることが暗示されます。
 最後に、「だってしょうがないじゃない 」ivという映画をご紹介しましょう。この映画は監督の叔父が主人公です。彼は広汎性発達障害と診断され、40年間母と二人暮らしでしたが、母の死後一人で自宅に住み続けています。その暮らしは、成年後見人の叔母やヘルパー、傾聴ボランティア、相談専門員など様々な人の支えによって成り立っています。彼の日常を撮る監督は、自身も発達障害を抱え、その生きにくさと向き合いつつ、叔父の生活の中に自分の生きづらさを重ね、自分事として引き受けながら叔父との時間を過ごしていきます。ある日、叔父のもとに土地の借地権が終わるという連絡が来ます。叔父にそのことを告げ、これからどうするのかと迫る人たち。「だってしょうがないじゃない」と叔父はいいます。さあ、これからどうしていくのか…答えのないままに映画は終わります。
 そうそう「だってしょうがないじゃない」の中では大きな桜の木を切るシーンが出てきます。桜は叔父の家の庭にあり、春には花を咲かせ、秋には紅葉し、そして落ち葉となります。先に取り上げたことわざにあるように、桜の木は簡単に切ってはいけないのです。だからこれまで切らずにいて、庭でどっしりと育ち大木になったのでしょう。しかし、近所から落ち葉の苦情が来たりして、叔父だけでは対応ができないと判断した親族の意向で、もう二度と葉をつけることもできなくなるほどの位置で切られてしまうのです。人に迷惑をかけてはいけない、慎ましく人様に迷惑をかけないように暮らさなくてはという価値の象徴のように見え、心が痛くなります。
 どの物語も何か結論が出るような映画ではありません。日々の繰り返し。その中にさまざまなドラマがあります。臨床心理士の東畑開人氏は『居るのはつらいよ』v という著書の中で、ケアの場面は「ただ、いる、だけ」であること、そしてそれは効率やコストパフォーマンスといった市場原理とは別の価値を持っているといいます。ケアとセラピーを比較しながら、ケアはニーズを満たすものであり、環境が変わることである、一方セラピーはなぜそうなのかを問い、ニーズを変更すること、個人が変化することが目指されるといいます。ケアとセラピーは対立するものではなく、どちらも同じところに存在しています。カウンセリングにも、医療にも、学校現場にも、そして家庭にも。どちらもどこにでもあるけれど、どちらの要素が強いのか、あるいは様々な選択の場面でどちらを選択するのか、によって状況が変わってくるといいます。しかし市場原理と相性がいいのは、セラピーの方。なぜなら変化が見えるから。成果がわかりやすいから。ケアは「ただ、いる、だけ」。だから市場原理の中ではその価値は低く見積もられる…
 「だが」と東畑氏はいいます。それは、「サッカー場の外の公園で一日絵を描いていた人が、『お前、今日、一点もゴール決めてないよな』といわれるようなもの」で、本来比べられるものではありません。そのどちらにも価値があるのです。いや、ケアが存在するからこそ、セラピーの意味もある。もちろんその逆でもあって、両者はその一方だけでは成立しないのです。
 しかし、「会計の声」が聞こえてきます。「ただ、いる、だけ」でいいのか?本当にそれでいいのか?社会の役に立っているのか?エビデンスは?と。それは制度や社会の側から聞こえてくるだけでなく、私たちの自身の中からも聞こえてきます。お前はいるだけで役に立っているのか?この人たちはいるだけで生きている意味があるのか?その究極が「津久井やまゆり園事件」である、と東畑氏は述べています。植松死刑囚は、言葉のない入所者を「心失者」と呼び、彼らが生きていることに莫大なお金が費やされていると嘆き、安楽死を企てたのです。東畑氏は「彼はケアすることの中に含まれるニヒリズムに食い破られたのだ。このニヒリズムの極致で『いる』は否定される」(東畑 2019:326)と述べています。
 しかし、私たちは知っています。何のために生きるのか、なぜそこにいるのか。それを問うことがもはや何の意味もなさないことを。そこにいるのです。その人はそこに。私もここに。そして生きているのです。そのことに意味があるのです。後はどう生きていくのか。どれだけ楽しく生きていくのか。あれこれあるけれど、いっしょに生きていくのか。会計の声が聞こえてくるけれど、ああそうですか、と聞き流しながら。命は会計の声とは別にあって、それが絶大な意味を持っているのだから。誰かと「ただ、いる、だけ」の心地よさ、暖かさを、その世界観を忘れない。伝えていく。この3つの映画はそうしたケアの世界観を、映像を通して知らせてくれます。東畑氏も以下のように述べ、総数347ページの大冊でケアのことを論じています。
 「僕は、その価値を知っている。『ただ、いる、だけ』の価値とそれを支えるケアの価値を知っている…『ただ、いる、だけ』は、風景として描かれ、味わわれるべきものなのだ」(東畑 2019:337)。
 最後に、1970年代、府中療育センターの重度障害者たちが地域での生活を求めた運動の中でスローガンとして掲げられた言葉を記しておきたいと思います。
 ―鳥は空に、魚は海に、人間は社会に― 
 地域社会の中で一緒に生きる。社会はどこかにある誰かがつくるものではなく、今ここに、私が関わりながら作っていくもの。ということで、私に宿題が出たところで終わりにしたいと思います。

 P.S.まだ観れていないのですが、2022年1月2日から『帆花』vi という映画が公開されています。この作品もケアの価値を表しているものに違いない!のですが、あとは皆さんに委ね、私の文章はここらで終わりにいたしましょう

  1. 『道草』公式ホームページ https://michikusa-movie.com/ (2022.1.6)
  2. 国立リハビリテーションセンターHPより
    http://www.rehab.go.jp/ddis/data/material/strength_behavior/ (20211225)
  3. 『梅切らぬバカ』公式ホームページ https://happinet-phantom.com/umekiranubaka/ (2022.1.6)
  4. 『だってしょうがないじゃない』公式ホームページ https://www.datte-movie.com/ (2021.1.6)
  5. 東畑開人 2019『居るのはつらいよーケアとセラピーについての覚書』医学書院
  6. 『帆花』公式ホームページ http://honoka-film.com/ (20221.6)

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