REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

日本の障害者雇用(施策)と水増し問題
長江亮

2018年12月21日

「日本の障害者雇用(施策)と水増し問題」

第一回

「日本の障害者統計について」1

1. はじめに
このエッセイでは、最近議論になった日本政府の障害者雇用に関する水増し問題を議論する。国及び地方公共団体の機関は、民間企業に率先垂範して障害のある人の雇入れを行うべき立場にある(第4次障害者基本計画)2。この点に関して行政にはきちんとした対応を取る責任があることは自明であることから、この点を議論することはしない。エッセイの目的は、これから日本がより良い社会になっていくために何が必要なのかを考えるきっかけを提供することである。
 日本の障害者雇用施策は「割当雇用制度」と「納付金制度」を中核としてきた。割当雇用制度は事業主に一定率の障害者雇用義務を課すものである。納付金制度は事業主に一定率の障害者雇用義務を課し、事業主が割当雇用を充足しなかった場合は経済的負担(納付金の支払い)を課し、その納付金を財源として割当雇用を充足している事業主に分配する、というものである。民間企業に対しては双方の制度が適用されるが、国に関係する諸機関(公的機関)や独立行政法人等に関して納付金制度は適用されない。
 今回水増し問題があったとして問題となった機関は公的機関である。これらの機関に対しては、定められた比率に応じた数の障害者を雇用する義務を課されるのみである。しかしながら、公的機関は民間企業を下回らない法定雇用率が設定されることとされている。民間企業の法定雇用率は次の式で導出される。

法定雇用率=[対象障害者である常用労働者の数+失業している対象障害者の数]
                       ÷[常用労働者数+失業者数] …(1)

この式を使用して法定雇用率を導出するためには、対象障害者である常用労働者の数、失業している対象障害者の数、常用労働者数、失業者数を知る必要がある。
 今回の小論では障害者雇用施策の根幹をなす「障害者の数」に関する話をする。EBPM (Evidence Based Policy Making)という言葉がある。これは、エビデンスに基づく政策立案と呼ばれ、近年その重要性が認識されてきている考え方である。このような時代の要請を考慮にいれつつ、今回は障害統計に焦点を当てて議論したい。

2.公共政策と説明責任
行政はあらゆる政策に対して説明責任を求められる。特に人々の生活に直結する公共政策に関しては、その責任は大きい。

図1. 実質GDPの年次推移

出所:『国民経済計算』より筆者作成

図1は、1994年から2006年の日本の実質GDPの年次推移を表した折れ線グラフである3。この間、実質GDPは緩やかに逓増している。しかし、2007年から2009年にかけて若干の下落トレンドが見受けられる。これはアメリカのリーマンショックの影響と考えられる。一般に不況期もしくは景気後退期になれば、公共政策に対する説明責任を求める議論はより激しくなされる傾向がある4。例えば、実質GDPの伸びが安定している2004年から2006年、2010年から2012年において、朝日新聞の朝刊の見出し語句で「失業、障害」という語句がともに出ていた件数を見てみると、それぞれ146件、199件となっている。他方で、景気後退期の2007年から2009年の間では221件となっている。これらは「失業、貧困」という語句にしても同じような傾向を見せ、それぞれ142件、267件、340件となっている。また「説明責任、政策」という語句で見てみても、それぞれ301件、301件、385件となり、同様の傾向を見せている。
 2001年6月に『行政機関が行う政策の評価に関する法律』が施行された。この動きも上の議論と無縁ではない。日本では1990年代初頭から長期的な不況に悩まされてきたが、1990年代後半には中央省庁改革の柱の一つとして政策評価制度の議論が始まり、法律の施行に結びついたという経緯がある。しかしながら当時は共通の枠組みで検討することが可能な画一的な評価基準が存在したわけではなかった。

3. EBPMの導入
近年耳にするようになったEBPMの議論は行政機関における政策の評価の改善、もしくはよりいっそうの強化を目的として取り組まれているものである。『EBPMに関する有識者との意見交換会報告(総務省, 2018)』によれば、「現在、政府全体で推進されているEBPMについては、平成29年8月からのEBPM推進委員会の開催や、平成30年4月から各府省に政策立案総括審議官等が順次設置されるなど、その推進体制は急速に整備されてきている。また、政策評価制度を所管する総務省行政評価局では、各府省と共同で女性活躍推進に関する政策効果の分析を始めとしたEBPMに関する実証的研究に取り組んでいる」とされ、EBPMは今後ますます重要なものとなることが予想される。当然ながら、EBPMの施行に関しては統計データの整備が前提条件となる。

3. 1 事後的評価としてのEBPM
このように現在急速に整備されてきているEBPMだが、各種政策審議会における議論を見てみると、事後的な政策の評価に使用してさらなる施策の改善に役立てるもの、といった解釈が一般的なようだ。この使用法はおおむね妥当であると考えられる。学術的な政策評価研究では、ある政策をとった場合どのような成果が見込まれるかといった使われ方もする。しかしながら、このような「予測」には必ず誤差が含まれるうえに、予期しない出来事が発生する可能性も否定できないからである(例えばLevitt(2004))。

3. 2 政策の事後的評価の性質
政策評価の枠組みについては、労働経済学をはじめとするミクロ計量経済学の方法を使用した研究の多い領域で、古くから学術的な議論がなされている。ここではAngrist and Krueger(2000)で取り上げられた政策評価の計量経済学研究に関する議論を紹介する5
 1980年4月20日に当時のキューバの大統領であったカストロ氏が「亡命を希望するものは、マリエル港からなら自由に出国してよい」という宣言をし、同年5月〜9月に約125,000人のキューバ人が避難船でフロリダのマイアミに亡命した事件がある。これらはマリエル移民と呼ばれているが、Card(1990)は、移民の影響を分析するために、この事件を使ってマリエル移民がマイアミの労働市場に与えた影響を推計した。一般的に移民で問題とされることは、それらが自国の産業や移民の流入する地域で働く労働者に与える影響である。
 この時考えなければいけないことは、反事実的想定である。すなわち、仮にマイアミにマリエル移民が来なかったとするならマイアミの失業率はどうなっていたか、という状況を作り出さなくてはいけない。これを作り出すことが出来さえすれば、実際に発生した事実のデータを収集して反事実的想定と比較することで政策の評価が可能になる。政策評価研究では、現実には発生していない反事実的想定の状況を、既存データからいかにして作り出すかという点に関していくつかの手法が考案されている。Card(1990)の採用した手法は、マイアミと十分に似通った都市の平均値を比較対象として用いることで、この問題に対処する6
 今、Yi0を移民がこない都市cに在住する個人iの雇用状況を表しているとする。また、 Yi1を移民がきた後のそれを表すとしよう。移民がこない都市cに在住するt年における失業率は、t年に都市cに在住する個人全体のYi0の平均値と考えることができる。これは数学的には、移民が来る前はE(Yi0|c,t)、移民が来た後はE(Yi1|c,t)と書くことができる。
 次に、失業率は時間的に変化する各都市に共通の時間的な要因と、時間を通じて変化しない各都市に特有の影響からなると仮定する。すなわち、反事実的想定におけるt年の失業率は、

EYi0c,t=βt+γc...①

と書くことができる。そして、移民の効果はδで表されると仮定しよう。すると、移民がきた後のt年におけるマイアミの失業率は、①式に移民の効果を表す係数を加えたものとしてあらわせる。すなわち、

EYi1c,t=EYi0c,t+δ...②

となる。これは、マリエル移民がマイアミに流入した1980年を挟んで、比較対象となる移民の影響を受けなかった都市とマイアミに住む個人の1979年と1981年の雇用状況が次の推計モデルで表されることを意味する。

Yi=βt+γc+δMi+εi...③

ここでEεic,t=0であり、Miは1980年以降にマイアミに住んでおり、マリエル移民の影響を受けたら1となるダミー変数である7。この時に、場所と時間をまたいだ失業率の条件付期待値を考えると次のようになる8

EYi|c=Miami,t=1981-EYi|c=Comparison,t=1981 -EYi|c=Miami,t=1979-EYi|c=Comparison,t=1979=δ...④9

こうしてマリエル移民の影響は、複数年にわたるミクロデータの存在を前提として求めることができる。Card(1990)が使用したデータはCPS(Current Population Survey)と呼ばれるアメリカの国勢調査であるが、彼はより詳細で精緻な分析を行っている。政策評価のミクロ計量経済分析では、分析の目的に即した良質なデータさえ入手できれば政策の効果となるδをより厳密に推計することが可能である。この場合には③式を次のようにする。

Yi=X'iβ0+βt+γc+δMi+εi...⑤

ここでX'iは性別、年齢、学歴といった個人属性のベクトルであり、β0は定数項を含んだX'iの係数ベクトルを表す。
 しかしながら、この手の分析には限界がある。一般にこの種の分析は普遍性を持たない。すなわち、得られた結果を異なる場所や時間に外挿することはできない。EBPMでは良質なデータが存在すれば「過去に実施された」政策の効果を正確に計測できる。しかし、分析で得られた含意を次の政策に役立てたいならば、その適用範囲には十分に注意を払う必要がある。

4 障害者雇用施策とEBPM

4.1 障害者雇用施策の概要
障害者施策を考えてみよう。ここでは障害者雇用施策を取り上げる。日本の障害者雇用施策は『障害者の雇用の促進等に関する法律』に基づいている。この法律は、事業主に対して従業員の一定割合だけの障害者が雇用されるようにする「雇用率制度」を設けて障害者雇用を促進すると共に、雇用率未達成事業主から納付金を徴収して、これを障害者雇用に活用する「納付金制度」を定めている。未達成企業からの納付金は、法定雇用率を超えて障害者を雇用している事業主への雇用助成金や、報奨金として支給される。また、新たに障害者を雇用するときに必要となる施設・設備の設置、整備の費用やその雇用を安定させるための業務を行う者を置くのに必要な費用などへの助成金として支給される。納付金制度の運営主体は日本障害者雇用促進協会(現:独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構)である。
 障害者雇用未達成事業主は、なぜ法定雇用率を達成できないのか正当な理由がないときには厚生労働省から「障害者の雇い入れに関する計画」を作成するように命じられることがある。これを作成しなければ20万円以下の罰金が課される。さらに、この計画に従って障害者を雇用しない場合には最大の罰則である「事業所名の公表」がなされる。
 日本の障害者雇用施策の概要をまとめると、「割当雇用制度」と「納付金制度」に基づく「補助金制度」であることがわかる。その主旨は「法定雇用率」を設定することで障害者の雇用義務付け、「解雇届出制度」 を課すことで障害者の雇用安定を図る10。「納付金制度」で障害者雇用にかかる負担率のアンバランスを調整し、社会全体で障害者雇用を促進する、ことである。この制度の特徴的なところは補助金の財源が法定雇用率未達成企業の納める納付金に依存しているところである。システムは全ての企業が法定雇用率を達成してしまえば崩壊する。よって、全ての企業が雇用率を達成する必要はない。この制度に関して問うべき問題は「障害者の雇用環境は改善されてきたのか」ということと「民間企業に過度の負担をもたらしてはいないだろうか」ということ。すなわち、この制度の目的が達成されているか否かが真に問われるべきことである。
 公的機関や特別行政法人といった一部の機関には「納付金制度」は課されない。民間企業とは異なり、それら機関には障害者雇用のロールモデルとしての役割が課されている。そのため、これら諸機関に対する法定雇用率は民間企業よりも高く設定されており、割当分の障害者雇用は義務雇用とされている。

4.2 EBPMの活用法
障害者雇用施策においてEBPMを行う場合、どのようなことを明らかにすべきだろうか。障害者雇用の状況は、毎年11月もしくは12月に厚生労働省が集計された簡単な分析や考察を踏まえた報告をしている。この報告には、過去との比較や問題点、新しい補助的施策の説明と解説が掲載されている。略式なものではあるものの事後的なEBPMはここで部分的にはなされている。ここで、EBPMのまた別の重要な役割があることを説明したい。
 EBPMにはその性格上、政策の妥当性を議論するための基盤を提供する役割も含まれる。冒頭で紹介した法定雇用率の定義を思い出されたい。

法定雇用率=[対象障害者である常用労働者の数+失業している対象障害者の数]
                        ÷[常用労働者数+失業者数]…(1)

現在日本の障害者雇用施策を規定するこの式は、障害者の状況や時代背景を勘案して決定されるべきものである11。この式を使用して法定雇用率を導出するためには、対象障害者である常用労働者の数、失業している対象障害者の数、常用労働者数、失業者数を知る必要がある。
 この中で問題とされるのは「失業している障害者の数」である。厳密にいうと、ここでの失業者数とは「完全失業者」を想定している。完全失業者は労働力人口(15歳以上の成人)のうち、「就業していないもの」であり、その中でも「働く意思があってすぐに就業できるもの」及び「求職活動をしているもの」と定義される。障害を持たない人の失業者数は基幹統計である「労働力調査」で出されているが、障害を持つ失業者の数がどのように導出されているかは不明である12
 また、障害者雇用施策では、ダブルカウント制度と呼ばれる制度があり、重度障害者に関しては1人雇用すると2人とカウントされる。また、重度以外の短時間労働者に関しては1人の雇用を0.5人とカウントしている。上で公表されている数値はこの法則にしたがった数値であるため、実際の雇用者数とは異なる。現実的に雇用されている人を1人とカウントした場合、一般雇用されている障害者の数は大きく減少する可能性が高いことに注意が必要である13。法定雇用率算出基準とされている障害を持つ失業者数に、このルールを適用しているのか否かについても不明である。
 労働力調査に障害者の就業に関する調査も含めれば問題は解決するように見える。しかし、労働力調査は標本調査であるため、日本全国すべての地域において障害者の持つ属性が、障害があるという点を除いて全て非障害者と同一である、という相当強い仮定の下でしか問題は解決しない。実は現状の障害統計も同じ問題がある。次に日本の障害統計がどのようになっているのかを、特に障害者の雇用と人口に関連する調査を取り上げて解説する。

5 日本の障害統計とその現状

5.1 日本の障害統計
『障害者白書』に掲載されている調査で、障害者の現状を示す項目で引用されているものは、身体障害者では『身体障害者・児実態調査(在宅者)』、『生活のしづらさなどに関する調査(在宅者)』、『社会福祉施設等調査(施設入所者)』、知的障害者では『知的障害児(者)基礎調査(在宅者)』、『生活のしづらさなどに関する調査(在宅者)』、『社会福祉施設等調査(施設入所者)』、精神障害者では『患者調査(在宅者、施設入所者)』である。このうち『身体障害者・児実態調査』と『知的障害児(者)基礎調査』は平成23年から『生活のしづらさなどに関する調査』として統合されている14
 これらのうち、『身体障害者・児実態調査』、『知的障害児(者)基礎調査』及びそれらを包括した形で誕生した『生活のしづらさなどに関する調査』については、大規模調査であることから5年おき、また、『患者調査』は3年おきに行われている。そして、その他の調査は毎年行われている。ここでは平成19、26、30年の『障害者白書』に掲載されている、平成13年『身体障害者・児実態調査』、平成17年『知的障害児(者)基礎調査』、平成23、28年『生活のしづらさなどに関する調査』、平成17、23、26年『患者調査』を取り上げる。

5.2 障害統計の実情
平成19、26、30年の『障害者白書』に掲載されている各種障害者人口を見てみよう。身体障害者はそれぞれ357.6、386.4、428.7万人、知的障害者はそれぞれ41.9、62.2、96.2万人、精神障害者はそれぞれ302.8、320.1、392.4万人となっている。ところが、同年の手帳交付台帳記載者数を見てみると、身体障害者は479.5、511.0、519.4万人、知的障害者は70.0、83.3、101.0万人、さらに精神障害者は46.7、64.3、91.3万人となっている(表1)。これだけの相違をもたらすものは何だろうか。日本で各障害者は障害者手帳所有者とされる。障害者に関する調査で、身体障害者と知的障害者では、実態を大きく過少に見積もっている。精神障害者に関しては、『障害者白書』では「医療機関を利用した精神疾患のある患者数を精神障害者数としていることから、精神疾患による日常生活や社会生活上の相当な制限を継続的には有しない者も含まれている可能性がある」とされる。この定義では、手帳を取得しているか否かといった状況とは大きくかけ離れてしまう15。従ってここでは身体障害者と知的障害者に話を限定しよう。それにしても推計誤差が許容範囲を超えていることは一目瞭然である。これら相違をもたらしているものは、障害統計の実施方法に問題がある。次の節ではその点を説明したい。

表1. 『障害者白書』記載の障害者数と障害者手帳台帳記載数の比較
平成17年度平成22年度平成27年度
身体障害者357600038640004287000
479503351092825194473
知的障害者419000621700962000
6987618329731009232
精神障害者302800032010003924000
467035643459913026

出所:『障害者白書』、『社会福祉報告例』、『衛生福祉業務報告』より筆者作成

5.3 障害統計の問題点
『平成28年、生活のしづらさに関する調査の結果』には、その調査法が次のように記述されている。「この調査は、標本調査法に基づく標本設計に従って、全国から無作為に抽出された調査地区において把握された障害児・者等を調査の客体としている。また、標本設計は、平成22年国勢調査で使用された調査区を用い、層化無作為抽出法により全国の調査区を約2,400地区抽出し、その調査地区に居住する全世帯員を調査したものである16」。
 国勢調査は基幹統計であり、多くの調査がここで定められた調査区を用いている。設定される調査区で他の統計調査などに利用される一般調査区の目安として1区には約50世帯が含まれるとされている。このうち最も直近の平成27年の調査区は全国で1,038,743区ある(総務省統計局(2017))。また、層化無作為抽出法とは、母集団(調査区)を調査区の持つ特性によっていくつかのグループに分ける。そして、それらグループで独立に無作為抽出を行うものである。このグループ分けを層化と呼ぶ。一般に標本調査では標本が母集団の縮図となっている必要があるが、これらはその縮図をより良いものにするための有効な手段である。障害統計において、この点で障害の情報を組み込んでいるのであれば、推計誤差は上述してあるほど大きくならない。以下で議論するように、障害者の情報が含まれていないことが問題を生み出すのである。
 以下では、都道府県単位で見た日本の人口と障害者数の比較を行う。本稿で引用する調査の集計単位が都道府県、政令指定都市、中核市単位となっているため、ここでは都道府県別の集計値を例として取り上げる。都道府県は、多くの調査において層化される基準の一つに含まれる。しかし、都道府県が層化基準に含まれていたところで、以下で展開する議論の本質はかわらない。なぜなら、都道府県単位によるグループ分けは、障害者の情報を部分的にしか反映できていないからである17。各都道府県内には、1都道府県辺り平均2万超の調査区が含まれている。各調査区に含まれる障害者世帯の数は不均一であるため、障害者を対象とする標本調査を行うのであれば、障害者世帯の特性もしくはその代理となりうる指標で層化する必要がある。
 国勢調査の調査区を使用して推計された推計人口と各都道府県の障害者人口とを比較したのが図2〜4である。また、図5はこれらをまとめて表示したものである。これらの人口は、図2〜4の順に、平成17、22、27年の国勢調査の調査区を使用して推計されたものである。また、障害者は当該年の各都道府県における手帳交付台帳記載者数を用いている。棒グラフは都道府県別に見た各年の身体障害者(青)、知的障害者(赤)、精神障害者(灰色)の障害者手帳交付者数の合計値を示している。黄色の丸は都道府県別に見た人口の推計値を示している。人口数は右の縦軸に示されており、障害者総数は左の縦軸で示されている。右の軸が200万単位であるのに対して左の軸が10万単位であることに注意が必要である。また、横軸は都道府県名が示されており、左からあいうえお順で並んでいる。

図2.平成17年の各都道府県における推計人口と障害者数

出所:『社会福祉報告例』『衛生・福祉報告例』『人口推計』より筆者作成
図3.平成22年の各都道府県における推計人口と障害者数

出所:『社会福祉報告例』『衛生・福祉報告例』『人口推計』より筆者作成
図4.平成27年の各都道府県における推計人口と障害者数

出所:『社会福祉報告例』『衛生・福祉報告例』『人口推計』より筆者作成
図5.平成17、22、27年の各都道府県における推計人口と障害者数

出所:『社会福祉報告例』『衛生・福祉報告例』『人口推計』より筆者作成

 図2を見ると、人口規模の大きいところは障害者人口が少なく、中規模では障害者人口が多い。また、人口規模の小さいところでは障害者人口がより多い状況になっていることがわかる。ところが、これらはそれぞれざっくりと区分してみると、それぞれの区分の全体的な傾向として観察されるというだけである。個々の都道府県をじっくり見てみれば、人口と障害者数の間の不均一性が相当高いことがわかる。図3になると、全体的に障害者数が上昇する。しかし、その障害者数の上昇分も、人口との関係もやはりそれぞれの都道府県で大きな不均一性がある。図4では、障害者人口の上昇がさらに大きくなっている。しかしながら、障害者数と人口との間の都道府県単位別に見た個別の不均一性は相変わらず残される。これらから、障害者総数と人口は、時間で見ても場所で見ても同一の分布をしていないということがわかる。

5.4 無作為抽出と標本属性
今、10個の玉が入った壺が10個あり、その中から1個を選択する。その後で選んだ壺から玉をランダムに一つ取り出す。それを10回行う(全ての壺で行う)ことを考えよう。壺の中にある玉には色がついており、黒い玉が0個から5個含まれているとする。また、各壺にいくつの黒い玉が入っているのかは事前にはわからないものとしよう。実際この中には合計30個の黒い玉があり、残りの70個は白い玉であったとする。この時に抽出してきた玉の中で黒い玉が占める比率は3/10になるだろうか。すべての壺の中に黒い玉が3つずつ含まれている場合、取り出された玉の中で黒い玉が占める比率は復元抽出回数を増やしさえすれば、つまり、10個の玉の取り出しを何度も繰り返して行えば、黒い玉が占める比率は3/10に近づいていく。しかしながら、各壺に含まれる黒い玉の個数が均一ではなくバラバラであるとき、復元抽出回数を増やしたところで3/10に近づく保証はない。もともと全体に占める黒い玉の比率は少ないため、抽出される玉の中で黒い玉が占める比率は高い確率で3/10よりも小さくなる。層化の段階で、もしくはもともとの調査設計の段階で、障害者の情報を加える必要がある根拠はこの点にある。
 障害者はその属性によって直面する困難が全く異なる。障害とは関係が希薄な属性で層化をすればするほど、各層から無作為抽出される障害者世帯総数は下落する。障害者の居住分布を非障害者と同じとして扱ってはいけないことは、上の推計人口と障害者数の不均一性を見れば一目瞭然である。現在の日本の障害統計において抽出された標本は、残念ながら日本の縮図にはなっていない。障害統計で最も大規模と考えられる調査にみられた過剰な推計誤差は、それが日本の縮図だと考えて政策を立案、改善するのであれば、本来政策の目的となっていることに全く貢献しない可能性が否定できないことになる。まずは、この点の改善を期待したい。

6 次回に向けて
今回は、日本の障害者雇用の問題点として法定雇用率に着目した。現在の法定雇用率の定義から、障害者の失業者数が必要とされるが、それは不明であること。また、そもそも施策の基盤をなすべき障害者の統計調査には問題点が含まれることを議論した。今回議論しなかった問題もいくつかある。一つ目に福祉的就労の問題がある。二つ目に就労形態の問題がある。法定雇用率の算出式に含まれるのは常用雇用者のみである。現在の日本では、障害を持たない人々でも非正規雇用者が増加している。これらの諸点に関しては、また機会がある時に議論したい。
 次回は、障害者の雇用に関してどのような環境整備が必要とされるのか、という問題を取り上げる。日本は国連の障害者の権利条約に署名した。現在は、障害者に関する社会的環境が大きく改善するように、全社会的に基盤が整備されてきている。現在REDDYとなっている「多様性の経済学」研究プロジェクトは、もともとREADと名付けられた「障害と経済の研究」研究プロジェクトから継続されてきているものである。これら一連の研究プロジェクトには障害者の実証分析グループが存在しており、このグループで実施した障害者の統計調査がある。次回は、この調査の内容から、障害者の雇用に関してどのような環境整備が必要とされるのかを、障害者雇用の水増し問題と筆者の進めている研究の紹介に結びつく形で議論していく予定である。

参考文献及び参考資料
総務省統計局(2017)『平成27年国勢調査調査区関係資料利用の手引』
森壮也・山形辰史(2013)『障害と開発の実証分析-社会モデルの観点から-』,勁草書房
Angrist, J. D. and A. B. Krueger(2000), “Empirical Strategies in Labor Economics,”in A. Ashenfelter and D. Card eds. Handbook of Labor Economics, vol. 3. New York: Elsevier Science.
Card David,(1990)“The Impact of the Mariel Boatlift on the Miami Labor Market.” Industrial and Labor Relations Review 43.
Levitt, Steven D., (2004) “Understanding Why Crime Fell in the 1990’s: Four Factors that Explain the Decline and Six that Do Not,” Journal of Economic Perspectives,XVIII, 163–190.

Appendix.

図6.障害者総数の対人口比率の年次比較

出所:『社会福祉報告例』『衛生・福祉報告例』『人口推計』より筆者作成

  1. 謝辞:本エッセイの作成にあたり、機会を与えてくださった松井彰彦先生、法律の解釈と記述に助言くださった川島聡先生、原稿に目を通してコメントをくださった塔島ひろみ様、文献探索・資料のコピーをお手伝いくださった東京大学大学院経済学研究科資料室スタッフの皆様、文献探索にご協力くださった独立行政法人統計センター資料室の皆様、公刊されていない調査の詳細をご教示くださった厚生労働省担当の皆様にお礼申し上げたい。もちろん、本エッセイにある間違いはすべて筆者の責任である。
  2. 『障害者の雇用の促進等に関する法律』、第三十八条、第三十九条に関連事項が記載されている。
  3. 平成23年暦年連鎖価格
  4. 実質GDPが軽重に下落している期間は景気後退と呼ばれ、より激しい場合には不況と呼ばれる。
  5. 以下の例は、現在議論されている外国人労働問題を念頭に置いている。外国人労働者の大きな問題の一つにコミュニケーションの問題がある。上で挙げた移民大国であるアメリカの議論を参考にすると、現在受入が検討されている業種で、すでに就労している聴覚障害者をはじめとするコミュニケーションに困難を抱えてはいるものの、実際に就労されている方の雇用への影響を考える必要もあるだろう。若年層の雇用に対する影響とともにこのような問題を扱うことのできるデータはまだない。EBPMをより有効に実施するためにはやはりこのような点にも配慮できる良質なデータを整備する必要がある。
  6. この方法は現在でも広く使われている手法で、Difference-in-Differences(差分の差分法)と呼ばれている。
  7. ダミー変数とは0と1しかとらない変数のことを指す。
  8. 計量経済学では入手できる変数を、それを生み出す過程で発生した確率変数の実現値と考える。条件付き期待値は、着目している変数がある条件を満たした状況の下で発生した確率変数の実現値と考えてその平均を取ったものと定義される。
  9. この式においてComparisonとは、Atlanta, Los Angeles, Houston, Tampa-St.Petersburgの4都市を示している。
  10. 『障害者の雇用の促進等に関する法律』第八十一条
  11. 他の先進各国では、障害者の人口比率は10%程度とされる(森・山形(2013))。非労働力人口となる高齢者が障害者になる確率から考えると、労働力人口に占める障害者比率は若干減少するものの2%代には届かないだろう。次に紹介するダブルカウント制度まで考慮に入れれば、法定雇用率は低すぎるように感じられる。仮に2%代であるとすれば、それ自体を問題とみるべきであろう。
  12. 行政機関が作成する統計のうち、総務大臣が指定する特に重要な統計を基幹統計という。
  13. この制度の善し悪しに関する議論はここではしない。実際に一般雇用されている障害者数が減少する可能性が高いという主張の根拠は、ダブルカウント制度が古くから主に身体障害者に対して適用されてきたものであり、短時間労働者のカウント基準の設定や知的障害者、精神障害者の雇用が義務化された時期が比較的最近のことである為である。
  14. 障害者に関する調査は『患者調査』を除いて「基幹統計」には含まれていない。
  15. 精神障害者に関しては、年次は異なるが『衛生福祉業務報告』からの手帳交付者数の記載もある。
  16. この調査の層化基準は市郡別とされている。
  17. Appendixに図6として各都道府県の各年の障害者手帳台帳記載者総数の対人口比を掲載している。この図でみると、各年、各地域で、障害者比率は均一ではない。この図の横軸は、北海道から沖縄といった順に並べられており、図2〜5とは、都道府県の並びが異なることに注意されたい。

このエッセイに関連する法律など

2020年2月19日

特別エッセイ

金子能宏先生を偲んで

 身体に正常に機能しない部分がある。その箇所が同じだと、そのような人たちは、よく顔を合わせることになる。例えば病院で、学校で、団体で、役所などで。それとは少し異なるが、実生活が関係してきても、直面する社会的障壁が同じ人とはよく顔を合わせることになる。この場合は、自分の体に抱える障害が同じでなくてもよい。例えば車いすを使う人は、車いすを使うがゆえに生活がしにくいところが同じである。こういった人とも話をする機会が多くなる。場所はやっぱり病院、学校、団体、役所などだ。
 障害に直面して生きていると、意図的であるか否かに関わらず、こんな形で障害者の知人は増える。身体に正常に機能しない部分があると、生物として生きることにも制約となることが多い。だから、障害者の寿命は健常な人と比べると平均的に短い。結果として、障害者は多くの知人の死に直面する。僕はそのように思っている。あたりまえだけど、知人が死ぬことは辛いことだ。しかしながら、車いすユーザーは通常冠婚葬祭には参加できない。この点は、バリアフリーの議論で見落とされている部分でもある。皮肉なことなのかもしれないけれど、こういった事情があることで知人の死に直面した時の僕の考え方は(自分では悪くはないと感じるような形で)変化してきている。自分が健常者だったときと比較すると、辛い気持ちが先に立つというよりはむしろ、その人の志をくみ取って生きていこうと思うようになってきたのだ。こういったことに直面した時、僕は意外に冷静にもなった。でも、金子能宏先生の訃報を知った時、僕は(障害者となった後では多分初めて)取り乱した。理由はよくわからない。まとまった文章が書けるのかどうかが不安ではあるが、先生に希望をもらった一人として、先生との思い出を追悼文としたい。
 金子能宏先生(以下、能宏先生と記述する)と僕との出会いは、20年ほど前にさかのぼる。当時僕は、東京の大学の大学院で経済学を勉強しており、障害問題を経済学的に分析しようと考えていた。しかし、研究を行ったこともない一大学院生が、何から手を付けていいのやらわかるわけがない。とにかく何でもいいから「障害」なるものを扱った経済学研究を探そうとEconlit(経済学研究のデータベース)で「Disability」と入力しても何もヒットしない。当時は今のように情報が迅速に入手できなかった。Econlit もCDである。そんな時代だった1(Oiをはじめ、脚注で書いた論文以外の文献が当時存在しなかったわけではない。当時の僕の検索の仕方も悪かったのかもしれないが、少なくとも数が少なかったことは間違いない)。でも当時の僕は、障害問題は経済学で扱うからこそ意味があると思っていたし、今でもそう思っている。しかし、僕程度の人間が思うことと同じことを考える人がいないはずがない。どのように扱うかはさておき、障害問題が経済学で扱われていないわけがないだろう。そのように思って図書館にこもっていた。そのころ当時の指導教授が「経済学会に行ってみたらどうだ」とおっしゃってくれた。当時の僕は手動車いすで動いており、自己導尿を行っていたため、身近に介助者がいないと、いざというときに困る状況だった。そこで、母親同伴で当時入寮させていただいていた大学の学生寮から出て、一橋大学で行われていた日本経済学会に参加した。
 学会では、医療経済学の研究報告を聞いていた。午後のセッションが終了して、学外でお茶を飲んでいた母親との待ち合わせ場所で待っていた時、同じ車いすにのった小さいおじさんが声をかけてきてくれた。「どこの子?」と聞かれたので、大学名を答えた。丁度そのとき母親が来た。後から聞いた話だが、母親にはそのおじさんがすごく偉く見えたらしい。僕がどうしてそんなに偉い人と話しているのか不思議に思いながらも、失礼があってはいけない、と緊張したそうだ。冷静に考えると、そう見えることが普通だったのかもしれない。実際大会運営者らしい人や経済学者らしい方々は、みんなおじさんに頭を下げていくし、一部の人とは、「少しお待ちください」、「ああ、いいよ。先にゲラ送るからゲラ」とかいうお話をされてもいた。それらの方々とのお話し中にはおじさんは確かに目上の人だったからである。でも僕は、大学で障害者に会うことはほとんどなかったし、経済学研究でも障害者にまつわる諸問題の研究を行う人はいないのではないか?と勝手に思っていたので、関係者らしき人に会えて少しワクワクしていた。おじさんに緊張することがなかった理由はそれだけではない。そのおじさん=能宏先生が、すごくフランクに話してきてくれたからでもある。後から感じたことでもあるが、能宏先生はおしゃべりな人ではない。僕が感じた温かさは、先生の自身の経験からくる他人へのやさしさと、同じ車いすユーザーへの配慮、そして何よりも先生の人間性が現れたものだと思う。
 話し始めてから数分程度で僕の状況をいち早く察した先生は、自分の体験談を話してくださった。先生も母親に助けられながら一橋の大学院に行き、国家公務員総合職(旧一種)試験を複数回合格しながらもバリアフリーの不備を理由に断られたこと2。周りの方々、指導教授の理解があって今があること。アメリカに行った時の苦労話などもしてくれた。いずれも、僕ができたのだから頑張れば君にもできるよ、というメッセージが込められたお話しだった。母親に対しても、少なくとも先生が切り開かれて来た道には、いい人が多いから安心して大丈夫ですよ、と話してくださっている。この出会いで僕は先生にあこがれたし、先生のようになりたいと思った。良かれあしかれ母親も同じだったようだ。その後で僕は大阪大学に行って学位取得を目指すことになるのだが、母親の決まり文句が「能宏先生のようになりなさい」になったのだ。
 大阪で学位を取ったころ、松井彰彦先生を代表とする障害と経済の研究プロジェクトが立ち上がったのを知った。だが、場所が東京だったため、僕は自分の研究に力を入れていた。偶然にもその時に、僕は研究報告の機会をいただいた。それがきっかけとなって、今も障害と経済の研究プロジェクトに参加させていただいている。後から聞いた話だが、僕の研究を紹介してくださったのも能宏先生だと伺った。一橋大学での出会いからずいぶんと時間を経ていたが、多忙なのにも関わらず、僕のことを覚えていてくださったことがとてもうれしかった。
 このプロジェクトで僕がかかわっている部門は実証部門である。プロジェクト名がREADとなっていた時、第一回目の統計調査が完了して、そのデータを基にした一次的基礎分析結果を公開講座で報告したことがある。この時に僕は能宏先生とペアとなって報告を行った。報告では、障害者の労働供給と賃金プロファイルについての分析を報告したが、その内容は、一般雇用されている障害者の賃金プロファイルがフラットになっている実態を中心にしたものであった。障害と一口に言ってもその種類は多岐に及ぶ。種別によって直面する困難も多様だ。READで開催する公開講座では、どのような障害に直面していようとも、参加してくださった方々には報告が理解しやすいように手厚く配慮を提供する。例えば、視覚障害に直面されている方であれば、点字資料が準備されている。また、聴覚障害に直面されている方であれば、手話通訳や文字通訳などが準備される。このような配慮を提供する都合上、報告者はそれらに合わせた資料の作成とタイトな〆切制約がかけられる。僕と金子先生との報告に関していうと、内容は、僕が選択・準備などを担当して、能宏先生はチェックするという役割分担だった。
 当時の僕は、視覚障害に直面される方や聴覚障害に直面される方に配慮した報告を経験したことがなかったため、資料作成にはずいぶん苦労した。賃金プロファイルは、年齢層を横軸に取り、縦軸に各年齢層の平均賃金をとったものをプロットすることで得られる。日本の常用雇用者をサンプルとした賃金プロファイルは、通常右上がりの形状を取り、定年年齢層を上回ると右下がりになる。賃金プロファイルがフラットになっていることは、経済学者であれば、パートタイム労働者の賃金プロファイルの形状と類似したものであることは理解できるし、それが持ついくつかのインプリケーションも同時に理解できる。しかし、経済学者以外が対象になると、追加的な情報と解説が必要になる。さらに、READで開催する公開講座で提供される配慮を考慮する必要もある。この点を考えると図表を使用した解説はなるべく少なくすべきだ。どう説明したものかな…と悩んでいた。〆切が迫ってきている中で、夜中の2時頃に能宏先生から一通のメールが届いた。そこには、日本の賃金プロファイルを表すのに通常使用される賃金センサスの公表データを用いた一般労働者の賃金プロファイルの図が添付されていた。
 一般的に言えば、異なる調査による分析結果を比較することは危険だ。なぜかというと、調査によって標本の取り方が異なるからである。僕が読み取った、この図に込められた能宏先生のメッセージは次のようなものだ。「公開講座」という場において、最も重視すべきことはわかりやすさだ。厳密な議論は犠牲にしたとしても、READ調査で発見された事実を前面に打ち出して報告すべきだ。そのためには日本の平均的な常用雇用者の賃金プロファイルを使って、比較対象を明示的に示した方がよい。
 どのように説明すべきか悩んでいた丁度その時、まるで僕が横にいて先生に相談したかのようなベストなタイミングで、的を得た助言が届いたのである。一聴すると当たり前のように聞こえるかもしれないが、公開講座で何を、どのように伝えるべきか、といったことは案外難しい。木も森も同時に見えていなければ、判断できないことが多いのだ。日本の障害研究・障害統計の現状をよくご存じで、READ調査や公開講座の意味を理解していなければ上のような判断はできない。先生の助言は、僕にとってはコロンブスの卵的な助言であり、タイミングの良さも手伝って、舌を巻いたことを強く覚えている。
 この報告で、僕と能宏先生がメールで情報交換したのはこの一度だけである。この時、先生と連絡を取りたいこともあったが、全く取れない体験をした。この体験があって、先生の普通では考えられない忙しさを感じることができた。このころから徐々にわかってきたことであるが、能宏先生は、ご自分の抱えられている仕事にいつも全力で取り組まれていた。「当たり前」の全力ではなく、常に「そこまで?」と感じるくらいの全力である。普通と感じられることを普通にこなすことほど難しいことはない。多くの優秀な研究者は、このような特徴があると僕は思っている。多くの業務にまじめに、真摯に向き合っており、多忙であるからこそ、鋭い視点が保てると考えている。他人の評価や信頼などはそういったところから生まれてくるものだ。僕は先生に、どのような仕事に対しても、全力で取り組むことの大切さを教えていただいたと思っている。でも、僕らには残念ながら体の制約がある。この点については、後々先生とお話させていただいたことがある。健常な方であっても、過密スケジュールとなっている状況が継続するとどこかがおかしくなる。頭では仕事のことを考えられても、身体がついてこない。こういったときには往々にして無駄な作業をしていることも多くなる。自分の経験からも言えることだが、この状態で無理をすると、大きな犠牲を払うことになる。先生は「最近は僕も週に一日だけ休むようにしているよ。馬鹿みたいに寝てるの。」と話してくださった。この点も参考になっている。
 先生が国立社会保障・人口問題研究所をおやめになり、一橋大学、日本社会事業大学で働かれるようになってからはほとんどお会いする機会もなかった。職場を変わることが身体に与える影響も大きかったのではないかと思う。先生は週に一日休まれていたのだろうか。僕は先生にいただいたものを大切にして、先生の志の一端でも担えるように頑張りたいと思う。
 ご冥福をお祈りいたします。

  1. 丁度同時期に公刊され、障害者雇用施策に関する経済学研究を爆発的に増加させるきっかけとなったMITの経済学者によるADAが企業の障害者雇用に与える影響を検証した研究の情報を得るのはもう少し後である(Acemoglu, D. and Anglist J. D.(2001) "Consequences of Employment Protection? The Case of the Americans with Disabilities Act",Journal of Political Economy, Vol.109,pp.915‒957)。また、僕自身が視覚障害を抱えた経済学者であるWalter Oiの存在を知るのはずっと後のことである。
  2. 国会が未だにバリアフリーとはなっていない現状を先生はどう思われたのだろうか。僕が知っている障害者施策を対象とした日本の経済学研究で、最も古いものは能宏先生のものだ(金子能宏 (2001) 「障害者雇用政策とバリアフリー施策の連携」『季刊・社会保障研究』 Vol.37.No.3)。だからこのような話は、内部事情を詳しくご存じの先生と議論したかった。日本がどれほど大きな宝を失ったかと思うと残念でならない。働いている障害者は多かれ少なかれ健常者よりも身体的負担が大きい。極論すれば、過労死しやすいのだ。働き方改革が、そんなところにも目を向けられるような施策として形になっていくことを、研究という形で世に問う必要はある。

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