REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

経済学エッセイ

エッセイ

 

2020年2月19日

日本の障害者雇用(施策)と水増し問題 特別エッセイ

長江亮

金子能宏先生を偲んで

 身体に正常に機能しない部分がある。その箇所が同じだと、そのような人たちは、よく顔を合わせることになる。例えば病院で、学校で、団体で、役所などで。それとは少し異なるが、実生活が関係してきても、直面する社会的障壁が同じ人とはよく顔を合わせることになる。この場合は、自分の体に抱える障害が同じでなくてもよい。例えば車いすを使う人は、車いすを使うがゆえに生活がしにくいところが同じである。こういった人とも話をする機会が多くなる。場所はやっぱり病院、学校、団体、役所などだ。
 障害に直面して生きていると、意図的であるか否かに関わらず、こんな形で障害者の知人は増える。身体に正常に機能しない部分があると、生物として生きることにも制約となることが多い。だから、障害者の寿命は健常な人と比べると平均的に短い。結果として、障害者は多くの知人の死に直面する。僕はそのように思っている。あたりまえだけど、知人が死ぬことは辛いことだ。しかしながら、車いすユーザーは通常冠婚葬祭には参加できない。この点は、バリアフリーの議論で見落とされている部分でもある。皮肉なことなのかもしれないけれど、こういった事情があることで知人の死に直面した時の僕の考え方は(自分では悪くはないと感じるような形で)変化してきている。自分が健常者だったときと比較すると、辛い気持ちが先に立つというよりはむしろ、その人の志をくみ取って生きていこうと思うようになってきたのだ。こういったことに直面した時、僕は意外に冷静にもなった。でも、金子能宏先生の訃報を知った時、僕は(障害者となった後では多分初めて)取り乱した。理由はよくわからない。まとまった文章が書けるのかどうかが不安ではあるが、先生に希望をもらった一人として、先生との思い出を追悼文としたい。
 金子能宏先生(以下、能宏先生と記述する)と僕との出会いは、20年ほど前にさかのぼる。当時僕は、東京の大学の大学院で経済学を勉強しており、障害問題を経済学的に分析しようと考えていた。しかし、研究を行ったこともない一大学院生が、何から手を付けていいのやらわかるわけがない。とにかく何でもいいから「障害」なるものを扱った経済学研究を探そうとEconlit(経済学研究のデータベース)で「Disability」と入力しても何もヒットしない。当時は今のように情報が迅速に入手できなかった。Econlit もCDである。そんな時代だった1(Oiをはじめ、脚注で書いた論文以外の文献が当時存在しなかったわけではない。当時の僕の検索の仕方も悪かったのかもしれないが、少なくとも数が少なかったことは間違いない)。でも当時の僕は、障害問題は経済学で扱うからこそ意味があると思っていたし、今でもそう思っている。しかし、僕程度の人間が思うことと同じことを考える人がいないはずがない。どのように扱うかはさておき、障害問題が経済学で扱われていないわけがないだろう。そのように思って図書館にこもっていた。そのころ当時の指導教授が「経済学会に行ってみたらどうだ」とおっしゃってくれた。当時の僕は手動車いすで動いており、自己導尿を行っていたため、身近に介助者がいないと、いざというときに困る状況だった。そこで、母親同伴で当時入寮させていただいていた大学の学生寮から出て、一橋大学で行われていた日本経済学会に参加した。
 学会では、医療経済学の研究報告を聞いていた。午後のセッションが終了して、学外でお茶を飲んでいた母親との待ち合わせ場所で待っていた時、同じ車いすにのった小さいおじさんが声をかけてきてくれた。「どこの子?」と聞かれたので、大学名を答えた。丁度そのとき母親が来た。後から聞いた話だが、母親にはそのおじさんがすごく偉く見えたらしい。僕がどうしてそんなに偉い人と話しているのか不思議に思いながらも、失礼があってはいけない、と緊張したそうだ。冷静に考えると、そう見えることが普通だったのかもしれない。実際大会運営者らしい人や経済学者らしい方々は、みんなおじさんに頭を下げていくし、一部の人とは、「少しお待ちください」、「ああ、いいよ。先にゲラ送るからゲラ」とかいうお話をされてもいた。それらの方々とのお話し中にはおじさんは確かに目上の人だったからである。でも僕は、大学で障害者に会うことはほとんどなかったし、経済学研究でも障害者にまつわる諸問題の研究を行う人はいないのではないか?と勝手に思っていたので、関係者らしき人に会えて少しワクワクしていた。おじさんに緊張することがなかった理由はそれだけではない。そのおじさん=能宏先生が、すごくフランクに話してきてくれたからでもある。後から感じたことでもあるが、能宏先生はおしゃべりな人ではない。僕が感じた温かさは、先生の自身の経験からくる他人へのやさしさと、同じ車いすユーザーへの配慮、そして何よりも先生の人間性が現れたものだと思う。
 話し始めてから数分程度で僕の状況をいち早く察した先生は、自分の体験談を話してくださった。先生も母親に助けられながら一橋の大学院に行き、国家公務員総合職(旧一種)試験を複数回合格しながらもバリアフリーの不備を理由に断られたこと2。周りの方々、指導教授の理解があって今があること。アメリカに行った時の苦労話などもしてくれた。いずれも、僕ができたのだから頑張れば君にもできるよ、というメッセージが込められたお話しだった。母親に対しても、少なくとも先生が切り開かれて来た道には、いい人が多いから安心して大丈夫ですよ、と話してくださっている。この出会いで僕は先生にあこがれたし、先生のようになりたいと思った。良かれあしかれ母親も同じだったようだ。その後で僕は大阪大学に行って学位取得を目指すことになるのだが、母親の決まり文句が「能宏先生のようになりなさい」になったのだ。
 大阪で学位を取ったころ、松井彰彦先生を代表とする障害と経済の研究プロジェクトが立ち上がったのを知った。だが、場所が東京だったため、僕は自分の研究に力を入れていた。偶然にもその時に、僕は研究報告の機会をいただいた。それがきっかけとなって、今も障害と経済の研究プロジェクトに参加させていただいている。後から聞いた話だが、僕の研究を紹介してくださったのも能宏先生だと伺った。一橋大学での出会いからずいぶんと時間を経ていたが、多忙なのにも関わらず、僕のことを覚えていてくださったことがとてもうれしかった。
 このプロジェクトで僕がかかわっている部門は実証部門である。プロジェクト名がREADとなっていた時、第一回目の統計調査が完了して、そのデータを基にした一次的基礎分析結果を公開講座で報告したことがある。この時に僕は能宏先生とペアとなって報告を行った。報告では、障害者の労働供給と賃金プロファイルについての分析を報告したが、その内容は、一般雇用されている障害者の賃金プロファイルがフラットになっている実態を中心にしたものであった。障害と一口に言ってもその種類は多岐に及ぶ。種別によって直面する困難も多様だ。READで開催する公開講座では、どのような障害に直面していようとも、参加してくださった方々には報告が理解しやすいように手厚く配慮を提供する。例えば、視覚障害に直面されている方であれば、点字資料が準備されている。また、聴覚障害に直面されている方であれば、手話通訳や文字通訳などが準備される。このような配慮を提供する都合上、報告者はそれらに合わせた資料の作成とタイトな〆切制約がかけられる。僕と金子先生との報告に関していうと、内容は、僕が選択・準備などを担当して、能宏先生はチェックするという役割分担だった。
 当時の僕は、視覚障害に直面される方や聴覚障害に直面される方に配慮した報告を経験したことがなかったため、資料作成にはずいぶん苦労した。賃金プロファイルは、年齢層を横軸に取り、縦軸に各年齢層の平均賃金をとったものをプロットすることで得られる。日本の常用雇用者をサンプルとした賃金プロファイルは、通常右上がりの形状を取り、定年年齢層を上回ると右下がりになる。賃金プロファイルがフラットになっていることは、経済学者であれば、パートタイム労働者の賃金プロファイルの形状と類似したものであることは理解できるし、それが持ついくつかのインプリケーションも同時に理解できる。しかし、経済学者以外が対象になると、追加的な情報と解説が必要になる。さらに、READで開催する公開講座で提供される配慮を考慮する必要もある。この点を考えると図表を使用した解説はなるべく少なくすべきだ。どう説明したものかな…と悩んでいた。〆切が迫ってきている中で、夜中の2時頃に能宏先生から一通のメールが届いた。そこには、日本の賃金プロファイルを表すのに通常使用される賃金センサスの公表データを用いた一般労働者の賃金プロファイルの図が添付されていた。
 一般的に言えば、異なる調査による分析結果を比較することは危険だ。なぜかというと、調査によって標本の取り方が異なるからである。僕が読み取った、この図に込められた能宏先生のメッセージは次のようなものだ。「公開講座」という場において、最も重視すべきことはわかりやすさだ。厳密な議論は犠牲にしたとしても、READ調査で発見された事実を前面に打ち出して報告すべきだ。そのためには日本の平均的な常用雇用者の賃金プロファイルを使って、比較対象を明示的に示した方がよい。
 どのように説明すべきか悩んでいた丁度その時、まるで僕が横にいて先生に相談したかのようなベストなタイミングで、的を得た助言が届いたのである。一聴すると当たり前のように聞こえるかもしれないが、公開講座で何を、どのように伝えるべきか、といったことは案外難しい。木も森も同時に見えていなければ、判断できないことが多いのだ。日本の障害研究・障害統計の現状をよくご存じで、READ調査や公開講座の意味を理解していなければ上のような判断はできない。先生の助言は、僕にとってはコロンブスの卵的な助言であり、タイミングの良さも手伝って、舌を巻いたことを強く覚えている。
 この報告で、僕と能宏先生がメールで情報交換したのはこの一度だけである。この時、先生と連絡を取りたいこともあったが、全く取れない体験をした。この体験があって、先生の普通では考えられない忙しさを感じることができた。このころから徐々にわかってきたことであるが、能宏先生は、ご自分の抱えられている仕事にいつも全力で取り組まれていた。「当たり前」の全力ではなく、常に「そこまで?」と感じるくらいの全力である。普通と感じられることを普通にこなすことほど難しいことはない。多くの優秀な研究者は、このような特徴があると僕は思っている。多くの業務にまじめに、真摯に向き合っており、多忙であるからこそ、鋭い視点が保てると考えている。他人の評価や信頼などはそういったところから生まれてくるものだ。僕は先生に、どのような仕事に対しても、全力で取り組むことの大切さを教えていただいたと思っている。でも、僕らには残念ながら体の制約がある。この点については、後々先生とお話させていただいたことがある。健常な方であっても、過密スケジュールとなっている状況が継続するとどこかがおかしくなる。頭では仕事のことを考えられても、身体がついてこない。こういったときには往々にして無駄な作業をしていることも多くなる。自分の経験からも言えることだが、この状態で無理をすると、大きな犠牲を払うことになる。先生は「最近は僕も週に一日だけ休むようにしているよ。馬鹿みたいに寝てるの。」と話してくださった。この点も参考になっている。
 先生が国立社会保障・人口問題研究所をおやめになり、一橋大学、日本社会事業大学で働かれるようになってからはほとんどお会いする機会もなかった。職場を変わることが身体に与える影響も大きかったのではないかと思う。先生は週に一日休まれていたのだろうか。僕は先生にいただいたものを大切にして、先生の志の一端でも担えるように頑張りたいと思う。
 ご冥福をお祈りいたします。

  1. 丁度同時期に公刊され、障害者雇用施策に関する経済学研究を爆発的に増加させるきっかけとなったMITの経済学者によるADAが企業の障害者雇用に与える影響を検証した研究の情報を得るのはもう少し後である(Acemoglu, D. and Anglist J. D.(2001) "Consequences of Employment Protection? The Case of the Americans with Disabilities Act",Journal of Political Economy, Vol.109,pp.915‒957)。
  2. 国会が未だにバリアフリーとはなっていない現状を先生はどう思われたのだろうか。僕が知っている障害者施策を対象とした日本の経済学研究で、最も古いものは能宏先生のものだ(金子能宏 (2001) 「障害者雇用政策とバリアフリー施策の連携」『季刊・社会保障研究』 Vol.37.No.3)。だからこのような話は、内部事情を詳しくご存じの先生と議論したかった。日本がどれほど大きな宝を失ったかと思うと残念でならない。働いている障害者は多かれ少なかれ健常者よりも身体的負担が大きい。極論すれば、過労死しやすいのだ。働き方改革が、そんなところにも目を向けられるような施策として形になっていくことを、研究という形で世に問う必要はある。

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塔島ひろみ

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