REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

介護施設の現場から
  三本義治

2020年5月13日

介護施設の現場から

第1回

〜高齢者施設スタッフとして〜

 40代半ばでアルバイトをしながらマンガを描いていた。

 自分は『ガロ』の流れをくむ『アックス』という雑誌で主にマンガを描いており、そこは原稿料が出ない(それは作家にとっては大きな問題なのだけれど、正確にいうと単行本を出してもらえれば印税が入るし、作家になるための道場的意味合いや、実験の場といった要素もあるので、感謝と誇りを持ってそこに関わらせて頂いている)。
 結婚をすることになり、これまでよりも安定した収入が必要になった。
 「最後の賭け!」と思い原稿を描いて、出版社へ投稿したり持ち込んでみたりもしたけれど掲載してもらえる事はなかった。

 何かしら仕事(出来れば正社員)に就かなければならない。
 少しでもマンガ等、出版に関係のある所を、と思い、ハローワークで編集や校正等の仕事を探したけれどそもそも年齢制限で面接さえ受けさせてもらえなかった。
 どうにか受けられた数少ない会社も(そのために印刷会社が主催するインデザインの講習を受けてみたりもしたけれど)実際、実技試験になると課題を前にして何も出来ず、ただ画面を見て笑っているしかなかったりしたため、それもことごとく落ちていた。

 そんな時テレビで若者への街頭インタビューを見た。
 「将来どんな職に就きたいですか?」というその問いに男は「介護だけはやりたくない」と言っていた。
 「人が嫌がる所ならば逆に行ってやろうじゃねぇか」とひねくれ者の自分は思った。もともとみんなが行きたがる場所や、売れている物には興味がない。
 ならば、普通の人が嫌がる所の方が自分には向いているかもしれない。もしかしたらそこに宝があるかもしれない(もちろん全く未経験で入れる所がそこしか無かったという事もあったけれど)そういう理由で介護の仕事を選ぶことにした。

 入ってみた感想は...たしかに何かあった。

 自分がいるのは、介護老人保健施設で、病院と自宅の中間施設の様な所である。
 比較的人の入れ替わりはあるものの、身体介護が主なだけにコミュニケーションは密だ。そんな所に、高齢者と一緒に暮らした事もない、どっちかっていうと1週間でも10日でも部屋にこもってマンガを描いているのが平気な人付き合いの下手な人間が入ったのである。しかも相手には認知症がある。

 最初の1年位は何も考えず1から学ぼうと思ってはいたものの「ここはどこ?」「これから何するの?」1日何十回も同じ質問を繰り返したり、帰宅願望、収集癖、急に立ち上がったり、職員へ暴力をふるったりする人達にどうしていいか分からず戸惑う毎日...職場でのコミュニケーションがあまりにも濃密なため、休みの日には誰とも口を利きたくなくなり1人競艇場の水を見てたたずんでいたりした。
 ただ、両親はもちろん家族や自分自身にも将来関わる問題として介護の知識を得られた事は良かったし、周りが高齢者ばかりなので他の仕事ならオッサン扱いされるであろう自分もここでは「お兄ちゃん」扱いされる利点もあった。
 勤めていくうちに、個々の症状も何となく理解していき、その人の生い立ちや背景も様々で、その時によってまた対応も違う、正解はないという事も分かってきた。 

 幸い施設では利用者にも職員にもまだコロナ感染者は出ていない。けれど職員やその家族が発熱して出勤停止になる人等もいて、身近な問題として実感はましている。職員は自宅と会社で仕事前に2度検温(37.5℃以上の熱があれば出勤停止)利用者と家族との面会は禁止中(最近予約制でのオンライン面会が始まった)サクラの花の咲く頃、屋上でその花をバックにした利用者の写真をご家族に送った所、涙を流して喜ばれたご家族もいたという。 
 TVが付いているので利用者さんも大体の事をニュース等で見て知ってはいると思うのだけれど、落ち着いている。ただ、ある利用者さんに「外が大変な事になっている」と伝えた途端、落ち着かなくなった事もあるので、こちらからは何も言わない事にしている。

 もし利用者にコロナ疑いの熱発があった場合、Drの許可が出るまで個室隔離。(本人はもちろん、食堂での同席者も感染疑いとしてグレーゾーン対応)個室に入る時は袖付きガウン、帽子、マスク、手袋を付け、食事で出た食器は使い捨て、排泄等で出るゴミも指定の場所に入れ、次亜塩素酸消毒液で浸したクロスで居室内を消毒してから退室する。 高齢者施設である。もし院内感染が起こったら大変なことになる。現状施設で出来る事は全て行っている。

毎年行われている介護福祉士の国家試験。けれど現在、その前段階として多くの人が受けなきゃいけない実務者研修の講座もまだ休止中だという・・・来年、試験は開催されるのだろうか?自分は今年取ったからいいけど・・・

2020年7月15日

介護施設の現場から

第2回

〜攪乱(かくらん)〜

 介護施設に入ってすぐ、新人研修を受けた。「認知症高齢者との関わり方」(超基礎編)という、認知症ってこうだよ、といった物。それまでTVや街中等で見て得た知識では、(昔は痴呆症って言ってたと思うけれど)ご飯食べたばっかりなのに「食べてない!」って言ったり、自分が誰だか何をしてるんだかも分からずにあてもなくさまよったり(徘徊というやつですね)もしそうなってしまったらもう終わりという印象だったのだけれど。その時学んだのは、それにも対応策があるという事だった。

 例えば、利用者が朝8時にごはんを食べたのに10時頃「食べてない!」と怒り出した時。1.すりおろしたリンゴ等軽食程度の物を出す。2.朝食を遅めにして段々10時に近付けて行く。3.食べ終わったお皿やお椀を見てもらう。4.本当にお腹がすいたのか?(それであれば1.の様な簡単な物を出す)あるいは別の事(体調不良、他の不満)をうまく表現出来ずに「食べてない!」と怒っているのか?原因をを聞く中で見極めてその解決策を探る。等々...もちろん必ずしもそれで解決するという訳ではない。リンゴを差し出しても「みそ汁もないし、こんな物朝ご飯じゃない!」と反抗されるかもしれないし、食べ終わったお皿を見せても「こんなの俺の物じゃない!」とさらに興奮するかもしれない。
 でも結論として、何が正解かは分からないけれど、とにかく相手に納得してもらう事が大事という内容だったと思う。

 その後の認知症の利用者との対応の中で、繰り返し教わることになった事もある。それは受け入れるという事だ。とにかく否定しない。例えば「会社に行く」とか言われても、いきなりダメというんじゃなくて、昔の話を聞くとか、とりあえずカバンを渡して一緒に散歩して気を紛らわすとか(そのうち忘れてしまう事もある)その日の業務に差しさわりがなければ自分のこだわりを捨てて受け入れればいいのだ(繰り返し「会社に行く」と言われる事もあるけれど)その人にとってそれが確かな物であれば、現実よりもそちらの方がより本当の世界なのかもしれない。
 また認知症の医学的な原因から、例えば前頭側頭型認知症であれば、前頭葉、側頭葉限定の疾患で、ここは脳の中でも感情をコントロールするところなので、社会のルールを守れないとか、万引きをするとか、同じものばかり食べる等の症状があるという事でそれを予期した対応をとるという事も出来る(その通り症状が現れるとは限らないけれど)これをやっておけば安心っていう事は無い。でも、対応策はある。そういう事が分った気がする。

 現在自分は、実の両親も義理の両親も健在で、認知症の症状もない。でもたまに帰省すると、78歳の実の母親は「認知症にはなりたくない」と言う。誰にも迷惑をかけたくないという理由で(遠くない所に兄一家がいて折に触れて様子を見てくれているおかげで、自分は何もしていないのでそんな事を言うのは何なんだけれど...)
 でもそんな事は言わないでいいと思う。どうなっても対応策はある。
 確かに理性を失うというのは怖い事だと思う。でもいわゆる一般の人が認知している常識的な世界だって絶対じゃないのだ。だから何が正解かはあまり考えずに、誰もが納得いく方法を探っていくしかないんだと思う。
 今の常識と比べて正しいとか間違ってるとか関係なく相手の認知している世界に入り込む。向こうがどうしたら有難いのか?やりやすいのか?交渉によってそれを考えて、今迄にないやり方かもしれないけれど形を作る。それは介護に関わらずこれからも必要になる事の様な気がする。

 新型コロナウィルス感染症に対する現在の施設の状況は...
 これ迄と変わらず利用者、職員共、感染者は出ていません。体温測定、体調不良の際の速やかな対応等も引き続き行っています。居室、食堂、その他利用する部屋、手に触れる場所は日に何度も拭きチェックしています(今後もこれは変わらないでしょう)
 ほんの少し変化している事や、部分的に以前の状態に戻りつつある事もある。
・面会は変わらず制限中。例外としてターミナル(看取り)利用者の個室での短時間の面会は行われている。オンライン面会は継続中。
・利用者の外出は中止のまま。Dr.の許可が出た一部の利用者に限っての、家族との施設周りの外出のみ認められている。
・デイサービスは、5月まで受け入れを定員の半分位に制限していたけれど現在は2/3程に(縮小してはいるものの)回復している。

 七夕に合わせた夏祭りも、例年はハッピを着回して写真撮影をしたりしているけれど、それも出来ずに、今回は浴衣等の絵を描いてそれで顔ハメ等をする事になりそう。9月の敬老祭も、昨年来てくれた南京玉すだれが今年はボランティア自体呼ぶ事が出来なくなり、記念品を渡すだけに...ご家族とも会えず、外出も出来ない利用者さんはつらいと思いますが変わらず元気にされています。

くつのヒモがほどけているので「結びましょう」というと「結んでるよ今!!」という利用者さん(それ俺のくつだから・・・)

2020年9月16日

介護施設の現場から

第3回

〜コロナうず〜

 昔、デビッド・クローネンバーグの映画で、臓物みたいな異物が、意志を持ち出し、人の体を突き破って暴れまくるのがあって、心をゆさぶられていたんだけれども、それは人の側に立っていたんではなく、臓物の側、そっちに感情移入して、現状をブッ壊したいというか、自分を解放したいといった、気持ちがあったんだと思う。
 細菌やウイルス、ガン細胞だって、人の側からは悪かもしれないけれど、生きていたい。繁殖を目指す。でも、社会でよそ者意識というか、自分がガン細胞みたいな意識がないと、そっちに肩入れする、共感するって出来ない事だと思う。
 高校の時、試験が嫌で何も考えずに近くの工業高校に推薦で入ったら肌に合わず、毎日暗い気持ちで過ごしていた。そのはけ口が、RCやスターリン等の音楽(ラジオを含む)を聴く事や、『ガロ』(現在その流れをくむのは『アックス』)等のマンガを読む事で、それに自分は救われた。学校なんかに行くのがどうでもよくなって、共働きの両親が朝早く出掛けた後もずっと家にいて、大幅に遅刻して学校行ったり、サボりまくっていた(よく卒業出来たと思う)。自分にとって価値のある物がこっちにあるのに、何で自分よりバカな人間に教わらなくちゃいけないんだと思っていた。こういう奴が世の中をダメにするんだと思う。
 自分は今、介護の仕事をしている。自分から入った職場。である以上、そこに従わないと自分が納得出来ない。幸いな事に、現在の所、働いている施設で、利用者や職員に新型コロナの感染者は出ていない。でも、もし集団感染が起こったら...病院ですぐ全員受け入れてくれれば良いのだけれど、実際にあった他施設等の事例をみると、そうはいかないみたいだ。発熱があった時点で本当は個室隔離なのだけれど、それも足りなくなるだろう。最悪、多床室(4人床等)でもベッドは2m以上離れていてカーテンで仕切られているので、そこにいてもらうとしても、食堂には来られない。すると食事の介助をする人が足りない。もしその時、職員も感染していて欠員していたら...フロア内で感染している人達、感染疑いの人達と、それ以外の人達を転室して分ける必要もある。自分達の施設は、デイサービス、入所(宿泊)、リハビリ等がありそれぞれ階が分かれている。利用者が宿泊しているフロアも階をまたがっているけれど、場合によっては、例えば1つの階をコロナ専門にして、階の行き来が出来ないようにしなければいけないかもしれない。利用者は、半年程、面会も外出も制限されている。当然ストレスもたまっているだろう。センサー(自分で呼び出しボタンを押せない利用者の動きを感知して、音楽等が鳴り出す仕組み)が付いているとはいえ認知症の利用者。「隔離なので寝ていて下さい」といっても必ずしも大人しくしてくれる訳でもない。その他にも、入浴はどうするのか?清拭(ホットタオルで体を拭く)だけで皮膚状態を保てるか。あと、今手袋1つとっても備品が足りない。インフルエンザでもノロウィルスでも排泄物の処理、陰部洗浄等の際に着ける袖付きエプロン等は利用者ごとに使い捨て。防護服など豊富にあるのだろうか?ただでさえ基礎疾患を抱えた高齢の利用者が多い。その時になってみないと分からない事だらけだ。戦場の様な状態になる事は間違いない。一般の家庭や会社等でも、自分ではなくても、身近に感染した人がいて、外出や出勤を制限された人や、体調不良でPCR検査を受ける人等が(特に都市部では)珍しくなくなってると思う。特にこれから冬場を迎えて、ますます感染の確率は高くなっていく。先の事は全く分からない。施設では変わらず消毒などを徹底し、職員も(神経質になりすぎない程度に)公私共に感染に気を遣い続けている。  

 細菌やウイルス、ガン細胞の方が人間を滅ぼし、生き残るならそれが自然界の選択。こっちが選ばれなかっただけの事。そんな事を思っていた時期もあった。でも今は、何年かに一回、内視鏡検査を受けて、ポリープをとる。矛盾している。
 他の物を淘汰してきた人間。様々な物を犠牲にして生き延びている。1度きりしかない人生、なんていうけれど、じゃその人1人生きるのに、どれだけ他の生物の命を奪って来ているか?!トビッコやしらすなんか、これまで何億匹殺して来ているのだろう?野菜だけ食べてればいい人なんて理屈が通らない。いい人ぶるな。悪い。でも、だからこそ生きなければならないのだ。

なんかこういう感じだったと思う

2020年11月11日

介護施設の現場から

第4回

〜自分の為〜

 みちのくプロレスの新崎人生が「この運動をすれば介護いらずになる」とスクワット等のトレーニングを中心とした『じんせい体操』なる健康法を広めて話題をよんでいる。
 “高齢者体力作り支援士”という資格もとり、公的施設での指導、DVD販売、スタジオも開設しているという。

 不祥事を起こした芸人さん等が、罪滅ぼしの意味で、介護業界入りを決意される事がある。
 もちろん仕事がなく、生活出来ないから、というのもあるかもしれないけれど、芸人さんとして大成するって、なかなかない事だと思う。少なくともその職種では才能があるっていう事だ。
 昔からおばあちゃん好きだったという様なよりどころがあるとか、何か下地があるなら別だけれど...
 介護福祉士3年。ケアマネ5年。よく言われている様に、資格をとるにも長い年月がかかる。それでもし向いてなかったとしたら、とてももったいない。
 世の中のために何か役立つ事を、っていう、本当に真面目な気持ちで、全く経験のない業界に入るのは、逆にものすごく賭けだと思う。

 本来、何の業界にせよ、本当に才能のある人達っていうのは、やるなといわれてもやり、やれと言われなくてもやってしまう様な人達だと思う。
 かつてTVでモーニング娘が踊っている所を見ていて脳からドーパミン的な快楽物質が出ている、と思った事がある。
 松井秀喜だって気持ちいいからホームランを打っていたのだと思う。
 人生(新崎)だってそう。元々、自分の為の事をしていたら、たまたま社会貢献だなんて称えられる様になっちゃったんじゃないだろうか(でも興行が難しいこの時期にやっていた、そういう事が土台となっていつか大きな興行がもっと行える様になったら素晴らしいけれど...)自分の為の事だけを考えていてもいいんじゃないんだろうか?

 介護施設の現場では、利用者さんに事故が起こると、その発見者が事故報告書に発生時の状況を書き、それを元に様々な役職の参加者が集まりその原因を探り、再発防止の為の対策を立てる、カンファレンスなる会議を行う事になっている。
 発見者がその進行をするのだけれど、あせって思い付きで対策を口走ってしまったりすると、先輩の看護師等に「考えて言え」と言われたり、逆にちょっと考えて言い淀んだりすると、先に意見を言われて「人に言われて書くんじゃなくて、ちゃんと自分で対策を立てないと」と言われたりする。就業4年でこれである。世の為人の為に尽くすとだけ思って介護の仕事をやっていたら、その理想と現実のしょぼさのギャップにいたたまれなくなっているんじゃないだろうか。
 いい悪いじゃなく、人間は例え監獄にいたとしても、好きなおかずの日を待つとか、年一回の映画の日とか、何かしら楽しみを見い出してそれらをつないでいるからこそ生きていられるものだと思う。
 自分は漫画を描いている(そんなに大成してないけれど...)普通に真面目にやっていたら悔しい事も、同じ失敗をしない様、それを漫画の職業の方で応用すればいいのだと思えればこそ何とかやっていけてるのだと思う。

 ますますウイルスに感染しやすい季節がやって来る。
 冬真っ只中のコロナの対応は初の事なのでどうなるか...

 最近、利用者さんの看取りが続いた。
 先日も長く施設にいた利用者さんが、夜のうちに亡くなっていた。朝出勤した時に“あと5分でお見送り”という知らせがあって、職場の人に「ひと目だけでも顔を見て来てあげたら」と言われ、紙で窓が覆われた部屋をノックし、1人で入った。
 でも、ご家族を前に、一応「ご愁傷様です」とは言ったのだけれど、その後に何と言葉をかけて良いのか分からない。「はぁ」とか「えぇでも良いお顔ですね」とかあいまいな事を言ってしどろもどろになって、ただ出て来ただけであった。単に迷惑なだけである...
 職場の中には、看取りが続くと「寂しいから連れて行くんだよね」と言う人もいる。
 利用者さんの中には、突然夜起きて「何か夢の中で「一緒に行こう」って言われた」と訴えかけて来る繊細な方もいたりする。
 そんな時は「大丈夫」となだめはするけれど、こちらが一番ざわざわしていたりします。
 自分では日々の業務の中でマヒしてしまい、悲しいという感情が無くなってきているのではないか(そう思わないとやっていけない部分もあるけれど)と思っていた所もあるのだけれど、やっぱりそういうムードが職場全体に漂うと何か気分が暗くなります...
 虚無?かな。

じゃ終わったら呼出ボタン押して下さいね そのまま出てくる

2021年1月13日

介護施設の現場から

第5回

〜介護保険法の要約〜

介護保険法とは?... 1997年成立。2000年から施行。(ご存知の様に保険料は会社勤めの人なら毎月給与から天引きされている)  

少子高齢化、核家族化、共働き家庭の増加...等によって、それまでの様に(その前からも問題は多かっただろうけれど)長男が父母の、あるいは同居したお嫁さんが義理の父母の面倒をみる、世話をするといった事が限界にきていたという状況を受け、社会全体で認知症や寝たきりになった人の介護を支えようという制度。  

給付は、行政が利用者にサービスを提供する措置制度から、利用者が対等な関係に基づきサービスを選択する利用者契約制度に転換している。

--------------------------------------------------
第一章 総則
〈目的〉としては...

  齢を重ねるに従って、心身が変化してくる為の病気等により、誰かの世話を受けなければ生きていくのが難しくなった状態となり、入浴、排泄、食事等の介助、リハビリや看護、医療が必要になった人が、個人として尊重され、その人の能力に応じて自らの意志決定で※(以降※自立した)日常生活を送れる様、必要な医療、福祉サービスの給付をする為、国民皆なで連帯してルールをつくってやっていこう!というもの...

  〈介護保険〉
第二条

  保険は...被保険者(給付を受ける側)の、要介護(日常生活の基本的動作(入浴、排泄、食事等)に介護を必要とする)、または要支援(日常生活の基本的動作に介護を必要とするけれども、その軽減、悪化の防止の為に特に支援が有効だと見込まれる)、それぞれの状態に対し、必要な給付を行うもの。

2 給付は医療との連携にも充分気を配って行わなければならない。  

3 適切な保健医療サービス、福祉サービスがいろんな業者または施設から、幅広く効率よく提供されなければならない。

4 介護が必要になっても、なるべくその人の住み慣れた我が家近辺で、そのもってる力を最大限発揮して自立した日常生活が行える様、してあげなくてはならない。 

〈保険者〉
第三条

  運営する側は市町村及び特別区(主に東京23区)

2 運営側は介護保険の収入とか支出に対し、法令により(メジャーな福祉、教育、消防等と違う)特別会計っていう物をつくってまかなう。 

〈国民の努力及び義務〉
第四条

  国民は自分が介護をしてもらう様な状態になる事をさける為、齢をとって心や体が変わっていくのを覚悟して、常に健康でいられる様努力して、もしそれでもそうなっちゃったらリハビリしたり、保険や医療のサービスを正しく利用してその能力を維持して下さい!

2 その費用は、皆なで連帯して平等に負担する。

〈国民及び地方公共団体の責務〉
第五条

  国は、サービスを提供する体制の確保の為、政策を立てたり、実際に行ったり※(以降※施策)、その他必要な事をやらなければならない。

2 都道府県は、介護事業の運営がクリーンかつスムーズに行われる様に、必要なアドバイス及びいい具合の援助をしなければならない。

3 国、地方の政府は、給付を受ける側、いわゆる利用者がなるべく住み慣れた我が家近辺でそのもってる力を最大限発揮して、自立した日常生活を行える様、給付に関する保険医療サービス及び福祉サービスの為の施策、介護をしてもらう様な状態にならぬ様、その予防、またはその軽減、悪化防止の為の施策、地域における自立した日常生活の支援の為の施策を、医療とか住まいに関する施策ともうまくお互いもろもろつなげて、すべてひっくるめて前にすすんでいくよう、しなくてはならない。

4 国、地方の政府はそういう事を全てひっくるめて前にすすんで行く様するにあたって、障害者とかその他の福祉に関する施策とも密接に、連携してやっていくよ。 

〈認知症に関する施策の総合的な推進等〉
第五条の二

  国と地方の政府は認知症(アルツハイマー型、血管性(脳出血、脳梗塞等)等によって脳が変化し、日常生活が送りづらくなるくらい、記憶等あらゆる物事を的確に認知しにくくなった状態)に対する国民の関心と理解を深め、ちゃんと認知症の人達へ支援が行われる様“認知症”っていう物の事を知らしめて、細かい事に気付いてもらわなきゃいけない。

2 国と地方の政府は、給付を受ける側、いわゆる利用者に対して、それぞれの認知症にぴったり当てはまる医療保険サービスや福祉サービスを提供する為、認知症の予防、診断、治療、認知症その人のタイプに合わせたリハビリ、介護方法に関して調査研究をすすめ、その成果を利用すると共に、介護する人の支援やそれに関わる人を失わない様しっかり保ち、その質の向上の為に必要な事をしっかりやる事(そうなんですよ!!)

その他認知症に関して何かあれば施策をもろもろすすめていかなくてはならない。

3 国と地方の政府は、そういった施策を前にすすめていくにあたっては、認知症のその本人や、家族の気持ちを大事にする様にし、気を配ってやっていかなくちゃダメ。

・以下続く......(いずれまた要約するかどうかは分かりません)

資格を取るための研修の体験学習でホームヘルパーとして、初めて行った先が下肢のない人だった
(例)下肢のない人=要介護/つえをついて歩く人=要支援
今回この法律を読んでみて(さわりだけだけれども) 言いにくい事、言ったら身もフタもない様をわざとわかりにくく書いているとしか思えない・・・と思った
介護保険法第2条の1の例(編者注)

2021年3月3日

介護施設の現場から

第6回

“国家の辞書にスピ―ドという文字はない”

 コロナ禍において、今自分が勤めている介護施設がどうなっているか。状況を書きたいと思います。コロナ陽性となった利用者や職員はまだいません。
 しかし、近隣の施設でコロナ陽性者の報告もあり、それが近付いてきているという実感は(これ迄も、特に1月初旬はそうだったのですが)高まっていて、依然安心できません。

 職員の近親者が陽性となり(その前から準備はされていたのでしょうが)食堂にアクリル板のパーテーションを設置。食事の前にテーブル上に出し、終了後消毒して片付ける様になりました。
 階を越えての利用者の接触を制限。入浴もその階の利用者が完全に退出してから別の階の利用者を誘導する(しかも密を避けて行う)為、時間がかかります。

 新たに入所した利用者は1週間食席隔離。8日目に医師のOKの指示があれば隔離が解除される事になっています。
 利用者は全員マスク装着。職員が毎日交換しています。

 1月中旬、新型コロナの感染拡大で医療崩壊ともいえる状況が起き、自分たちの施設が、とは言わないけれど、仮の話ではなく政府からの要請で、介護施設でも高齢のコロナ回復患者を受け入れる事になりました。
 しかし一般の利用者と(症状が落ち着いたとはいえ)感染症患者は扱いが違います。例えば夜間帯。職員2人で1人が休憩中。危険認識が薄く認知症があるかもしれないその患者が寝てくれない場合。
 患者を1人にはできない。かといってむやみにステーションや他の利用者や職員と一緒のゾーンに連れてくるわけにもいかない。
 もちろんその間他利用者の対応もしなくちゃいけない。それをどうするというのでしょう(しかもそれは患者が1人の場合で、実際何人になるのか分かりません)
 現実1人での対応は難しいでしょうから、会社内で応援を頼むでしょうし、その点では頼りになるとは思いますが、そんな事になるのなら、もっと前から、例えば都道府県に1か所(東京等大都市なら区等に一か所)コロナ専門の新たな医療施設を建設して(それが難しければ今ある病院を指定して)、何かあったらそこに行けばよい。もしそこがダメでも隣りの場所にという様な分かりやすいシステムを作っておけばもう少し現状が良くなったのでは...とか思ってしまいます。
 どこも大変だ、もっと大変な所もある。ガマンしろ、っていう人もいるかもしれない...でも、人の金使っていらないマスク送りつけて来たり、アプリ1つ開発するのにも巨額な費用つぎ込んでオリンピックやろうとしたり、そこに住んでる人間がいらないって言ってるのにムリヤリ基地作ろうとしたり...1部の人間の経済優先でやって来た事により、多くの人達の生活がダメになっていっている事を見ると、もうそろそろ皆なが声を上げてもいい頃だと心から思います。

 都の高齢者施設の従事者に対する検査の集中的実施という方針に基づき、PCR検査が2月〜3月末までに行われるとの事でしたが、現時点ではまだ行われていません。

 ワクチンは、従業者も施設入所者と同時期に接種が可能との事で、2月中旬に希望を出しましたが、まだ受けてはいません。

 相変わらず面会は制限中(オンライン面会のみ)外出も中止。ご家族とも会えず、外出も出来ない利用者のストレスは解消されないまま。
 前述の様に、居室等の消毒等、コロナ禍においての職員の作業負担も増えており、大掛かりな行事はもちろん、充実したレクリエーションは行えておらず、このままでは、日常生活の意欲や機能の低下にもつながる可能性も。備品(エプロン、ディスポ(手袋)、オムツ、尿取りパッド等)の不足と、その不安、それによるコスト増(コロナと関係なく慢性的なものでもあるのですが)も問題となっています。
 引き続き職員も手洗いうがいはもちろん、各自体調面含め自己管理に努めています。
 ただ、長年働いていた人たちが職場を去るというのに慰労会的な職員同士の会食も今は無く、少し寂しい気がしている人たちも多いのではないかと思います...

 先日、ひな祭りに合わせて利用者さんに紙でひな人形を作ってもらおうと、パーツを作ったのですが、難しすぎたのかどなたも出来ず、ほとんど自分が折って、仕方ないので顔だけ書いてもらったという事がありました。
 今度は、この季節という事もあり、さくらの装飾を作ろう、という事になったのですが、この前の教訓を生かして、少し簡単に..
 小さめの紙でさくらの土台を作り(1)、それに花びらを貼ってもらう事にして(2)最後に大きな紙に貼ってさくらの木にしたいと思っています(3)が、どうなりますか...

小さめの紙でさくらの土台を作り(1)、それに花びらを貼ってもらう事にして(2)最後に大きな紙に貼ってさくらの木にしたいと思っています(3)が、どうなりますか...

2021年5月19日

介護施設の現場から

第7回

〜38°0′〜

 自分は都内にある高齢者施設の従事者です。自分達の働く施設では利用者、スタッフ共、新型コロナウィルス感染症の陽性者はまだ出ていません。
 政府は2021年4月25日から東京など4都府県に3回目の緊急事態宣言を発令しました。それでも新型コロナの感染拡大が続いています。病床がひっぱくし、危機的状況にあり、医療崩壊とも言える大阪の現状が連日TVのニュース等で報道されています。
 自分達の働く施設でも、今の状態で、あるいは今後、利用者がコロナを発症したら、簡単に病院に入院出来なくなるかもしれません。そうなったら増える業務やそのためにさかなければならない人員はそれまで以上。ただでさえギリギリ。その上もしスタッフの感染や集団感染が起こったら..当事者として1番困る事。それは人が機能しなくなる事です。

 自分達の高齢者施設では、利用者が発熱し、38°0′以上あった場合は、抗原検査(施設内で短時間で行える)を行い、コロナウイルスの確定診断を行います。
 スタッフも(自分は)現在まで2回PCR検査を受けています。1回目は陰性。2回目は先日受けたばかりなのでまだ結果が出ていません(2〜3日で結果が出ます)今後も数回、継続的に受けていく模様です。でも1年遅い。本当はもっと早くPCR検査をしても良かったと思います。

 ワクチン(1回目)もうちました。10数名位ずつに分けて1週間位に渡って接種。その日、注射を受ける人が施設の会議室に集められ(その前にも測っていますが)体温を測定。まず、うった後の注意等、医師から説明があり、きき腕と逆の方に注射をうってもらい、しばらく座っています。
 「目のかゆみ等がなければ大丈夫」と医師。うってしばらくした後、アレルギー反応等がある人は、何かしら症状が出るけれど、そうでなければそんな大きな問題はありません(当日はお酒はダメだけれど、お風呂もOK)
 うって6時間。痛みが来る。
 物を持てないほどではないけれど、腕(特にうった部分)が痛い。夜寝る時もきき腕と逆の方(自分は左)にねがえりをうてない。でもこの日も仕事して、次の日も普通に仕事は出来ました。
 でもこれだけでも当初予定されていたワクチンが回って来なくて(そしたらその日の出勤に合わせて組んでいた)スケジュールを1から組み直さなきゃいけなかったり、管理職の方は大変な様でした。
 これを何千何万もの人を相手に予定を組んだりしている自治体の人の大変さは、はかりしれないものだと思います。

 今聖火ランナーをうれしそうにやられたりして「いやー成功を祈ってます!」とオリンピックの盛り上げに協力されている人もいます。もしオリンピックが中止になったら「俺だって。本当はどうなのかなと思ってたよ。でも皆ないいっていってたでしょ。あの時の状況でやるしかなかったでしょ!やらされてたんだ‼」と言うのでしょう...戦時中の戦争賛美。それだって、戦後は「いや言わされてた」と多くの人が言っていたのではないでしょうか。自分の意見を主張してきぜんとした態度をとる事が出来ない日本人。長い物に巻かれろ的な事なかれ主義!! では、自分は体制に対して一体どういう態度をとっているのか?!...

 先日確定申告に行って来ました。今回に限らず、本当にこれでいいのかヒヤヒヤで、やっと申請の書類が通って、それを出した後、最後に窓口の職員さんに「今度からマイナンバーカードの番号入れて下さいね」って言われた自分は...情報流出の恐れがある、管理する側の都合が良いだけのシステムに対する自己主張なんかどこへやら「ハイッ ハイッ」って絶対服従して言っていました(ただ単にかんぷ金がほしいためだけに)反逆なんかしねぇ。俺絶対。
 自分に出来る事は見る事だけだ。だからしっかりと見る。そしてヘナヘナでもしたがわない。どっかの誰かの力にならない。自分のために生きていく。そのほうさくをさぐる。

 今他に大変な苦境に立たされている職業が沢山ある中で、自分が何とかこうして仕事を出来ている事は有難いと思っています。
 自分が続けられているのは介護という業種の特殊性もあると思います。男ばっかりで暗かった工業高校時代の事を想うと、今働く施設は従業員100人位のちゃんとした所でありながら(現在の一般の会社が本当の所どういう状況なのかは分かりませんが)女性がメインの職場。性差別して入試をする医大とか、国会の様な、いまだに男社会的な所だったら続けられなかったと思います。
 人がやりたがらない、昔でいう3K、前近代的と思われがちな介護業界だけれども、ある意味最先端の職場でもあります。

車椅子で華麗に跳馬する老人 (1)「オリンピックについて」(2)「アスリートが反対すべきだ、との意見」「頑張ってるアスリートに失礼、との意見」(3)「お互いのはげしいぶつかり合いがおこっております」←ネットで情報をひろってニュースに上げてる人(4)そして、その間に着々とオリンピックは進行しております

2021年7月7日

介護施設の現場から

第8回

「認知症について」

 介護施設に勤めている自分は、コロナ予防のワクチン接種を2回終えました。施設に入所している利用者さんも、接種を2回終えています。
 副反応については、いつにも増してそわそわしたり、急に声を荒げて激高したり、車イスから何度も立ち上がったりする利用者さんもいましたが、それがワクチンのせいかどうかは分かりません。高齢になる程、体の中に何かが起こった時に感じる反応が鈍くなってくる(実際そのせいか高齢者は病気になっても症状が出にくい事もある)との事で、高い発熱等、大きな問題は起こりませんでした。

 オリンピックは本当に開催に向かっている様です。  変異株に対する懸念が叫ばれ、ワクチンの接種が進んだからといって国外から人の流入があると感染が拡大し、とりかえしのつかない事になる可能性が高い。そのため多くの国民が反対しているにもかかわらず...「選手の活躍が希望をもたらす」等と言っている関係者もいるけれど...オリンピック反対してる人も「スポーツはすばらしい物じゃない」「人々に希望を与える物じゃない」なんて一言も言ってない。「今じゃない」って言ってるだけ。答えとしても全く的が外れてる。延期したらもう出来ないって事なんだろうけれど、人の命より優先してやるべき事なんてない。第一そうやって民間のイベントの多くが中止させられて来たではないか。
 あとはアスリートを特別視する姿勢に対する疑問。スポーツで良い成績をおさめたら優遇して良いのだろうか?!だったらもし一般の人がクレー射撃でも、あん馬でも、オリンピックの選考基準点をとんでもなく越えたら、ワクチンを先にうってもらえるのだろうか?(山松ゆうきちさんのマンガみたいになってくるけれど)
 オリンピックなんて、金メダル確実と言われる位とんでもない才能を持った選手が、それこそ、その前のオリンピックが終わったすぐ後から、死に物狂いでトレーニンングを4年間やって、万全の状態で臨んだとしても、その時の調子や相手との兼ね合い運等で、メダルが獲れるかどうか分からない様な、常人には想像もつかないすさまじい世界だと思う。だからこそ、早期に中止せず、こんな状況でいたたまれなくなっているアスリートもいるだろうに、政府が、今行う理由がみつからないイベントに、アスリートを巻き込んで出場させている事は余程罪だし失礼だと思います。

 自分のいる高齢者施設には、身体的に介助を必要とするけれども認知症でない人、日常生活(食事、排泄、入浴等)動作はほぼ自立しているけれども認知症の人、身体的に介助を必要とし認知症でもある人等様々な人がいます。いわゆる4大認知症と言われる、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、等の様々なタイプはもちろん、利用者本来の性格、職業、家族構成、知識等々によって症状、そのあらわれ方も様々です。
 施設で感染が拡大した場合、認知症の利用者の行動が予測が出来ないのも難しい点だと思います。
 新規に入所された利用者さんに対してまずは[長谷川式スケール]という、質問に対する回答から算出した数値を見て認知症の目安にします(30点中20点以下だとその疑い有り)また[MMSE]という図形模写がある検査方法もあります(最近読んだ『認知症の人の心の中はどうなっているのか』(佐藤眞一)という本によると[CANDy]という、評価される抵抗感がない様、会話の中から情報を得る判断方法もある様です)
 でも時々自分は、認知症が社会の常識やルールを認知できない、そこに適応できない事で判断されるのだとしたら、我々が認知している事は一体何なのだろう?本当にそれが正しいのか?それに適応している事がそんなに偉いのだろうか?と思う事があります。
 決まった時間にご飯を食べようとしなかったり、トイレ以外の場所で排泄をしたり、みんなの迷惑になる位の大声で「おなかすいた!」等あからさまな欲望を口にしたり...確かに認知症の人はみんながこうしようという様な社会的なとり決めや共通ルールの様な物は認知出来ない、守れないかもしれない。でも、とりかえしのつかない様な所に至る被害を人に与えたりはしない。
 オリンピックの開催は間違っています。でもこのまま突き進んで行く事を容認し、自分はもう何となくそれを受け入れそうなムードです。仕事が全く出来ない政治家に自分達は全てを任せちゃっている。そしてそれを常識的な事、社会的なルールとして受け入れている、認知している。そんな我々は本当に正しいのか?時間を経ればちっとも社会の常識なんかではなくなる明らかに間違っている常識を今は受け入れている。そう考えると我々の方がよっぽど認知症かもしれないと思うのです。  

選手が見ている前で走高跳びで綺麗にバーを飛び越える労働者

2021年9月29日

介護施設の現場から

第9回

~介護研究~

Ⅰ.はじめに
 世の中には、ヒット作もなく、収入の安定しない、自称マンガ家が存在する。そしてそのまま歳を経て、人生の岐路に立っている。
 そこで、今回はそういった人間を、一定期間(5年)介護職に就けてみた。過去にも様々バイトはしているものの、元々家でジッと何かをしているのが好きなタイプで接客業には向いておらず、清掃等人の嫌がる仕事の方が比較的"居心地が良い"という事と、そういう仕事にこそ"何かあるんじゃないか?"あわよくば"面白いネタが探せるかも"という心算だったのだけれど、果たしてどうなったのか?検証してみたい。

Ⅱ.研究方法
1.研究対象
 筆者 52歳(現在) 男性(生活の安定を求めて、介護職に就いたマンガ家)
2.研究期間 
 2016年5月~2021年8月(47歳~52歳)
3.研究内容
 生活の安定しない自称マンガ家を、期間中、介護の職(施設サービス)に就けてみる。
4.評価方法
 調査が終了次第、主に以下の観点で評価を行う。
 ①介護職への適応:適正、姿勢、能力等。
 ②マンガへの還元:ネタを探し生かせるか?

Ⅲ.結果
 結論から言って、皆さんご存知の様に、適当にやって5年続く仕事では無いので、それなりに適応出来ていたのではと思う。身体介護等、濃密なコミュニケーションが必須であった事は誤算だったけれど”何かあるんじゃないか?”っていう興味、”ネタ探し”その程度の理由で入った介護の仕事でこんなに長続きするとは本人も思っていなかったのでは?
 マンガへの還元、という点でみれば現在、隔月刊の漫画誌『アックス』(青林工藝舎)で「認知なき戦い」という介護マンガを、面白い物が出来た時だけ、という形で掲載中ではあるけれど(136号(2020年8月31日発売)~最新刊、142号(2021年8月31日発売)迄、現在7回掲載)全く話題になっていない。

Ⅳ.考察
 介護職への適応:適正、姿勢、能力等。については”介護”と一言で言っても、観点が様々でまだまだ調査の余地がある。例えば、筆者が仕事に就いた施設サービスはともかく、訪問介護(ホームヘルプサービス)や、通所介護(デイサービス)等の居宅サービスは(介護の初歩の初歩の資格である、初任者研修を受けた時に一日体験はしたけれど)実際の現場を知らずどう対応出来るのかも疑問である(最初はそれらの違いもごっちゃであった)。
 また仕事に就いた事業所(施設サービス)の前に幾つか受けた面接の中には、一軒家に何人も利用者がいる様なインディーズの事業所もあって(だからといって怪しい所だったかどうかは分からない)そういった所でも本当に適性があるのかは不明である(ネタ探しという観点ではそういう所の方が面白そうだけれど)。
 マンガへの還元:ネタを探し作品に生かす。という点では、描いているマンガは確かにこの仕事に就いていなければ描けない物ではあるけれど、他に介護マンガが混在する今、いかに差別化をはかり、注目してもらえるか等、まだまだこれから課題が多い。

V.結論
 今回の研究は多くの皆様の協力が無ければ成立しなかったであろう。年齢を制限せず、長期的な育成システムにより、知識と経験を授けた事業所(ボディメカニクス等、科学的な介助法の活用は、肉体労働の概念を一変させる物だった)“その物に関わる全ての人を良く”という、本当の意味で仕事の出来る編集の方々等がいなければ筆者が介護の現場に慣れ仕事を覚え生活を安定させ、何よりマンガを描き続ける事は出来なかった(それどころかどっかで野垂れ死に)。深く感謝したい。
 介護の世界においては特に筆者にしか出来ない事は無いとみられる(だからといって適当にやって良いという訳では無い)これ迄して来た事や受けた恩恵を考えるとマンガでしか返す術が無い。けれどそうであるならば、20年以上前に認知症をきっかけとした母娘の人間関係を描かれた、近藤ようこさんの『アカシアの道』(註1)や高齢者の心象風景や人物描写が深く巧みな、齋藤なずなさんの『夕暮れへ』(註2)等の、人のやらない事をやっていくという意志を見習って、作品の完成度をもっと高め、力を尽くさねばならない。

 

     *    *    *

 新型コロナの感染拡大は一向に収まる気配がありません。
 ワクチンを2回受けても陽性となる。
 施設で集団感染が起こったら大変なのは言うまでもないけれど、もし職員に1人でも陽性者が出たら(併設している)1日100人近くが利用するデイサービスも閉鎖になるでしょう。そしたら当然、利用者さんや職員の生活にも関わって来る。職員は毎週PCR検査を行っています(もう計十何回)。
 入院が必要な中等症でも自宅療養。一般の人々が税金払ってるのに病院にも入れない。
 経済経済って、経済第一主義には全く共感できないけれど、仮に百歩譲って経済第一に考えたとしても、一定期間のきちんとした緊急事態宣言と充分な補償をした他の国が感染を抑えているのを見れば、政府の今のやり方が間違ってるは明らかでしょう(でももう何も今の政府には権限を与えたくない)現状は、新しい体制に代わる為、時代の必然としてあるのではないか。そう思わないとやっていけない。  

 

(1)のどかな背景、オリンピックのビラを持って命令するひげの上役警察官、それを受けて敬礼するめがねの中年警察官「こんな田舎の警察官の私にも警備の出動要請が来ました。」(2)拡声器を持つオリンピック反対デモ隊員「オリンピックはんたーい」(3)その人を先頭にするデモ隊を制止する警察官たち「世界中の人が注目する大イベント。何としても成功させなければならない」(4)テレビの大相撲中継が点いている居間で、寿司を囲むこの警察官の2世帯家族(警察官の夫にお酌する妻。息子、娘、祖父母が和気あいあいと寿司を食べる)「日本のため、家族のため。それが私のなすべきこと」

2021年11月24日

介護施設の現場から

第10回 最終回

北海道へ
 

(1)実家のベッドに腰掛け、車イスに乗り移ろうとする年老いた父。上からの視点で、父はベッド左端の外向きに座り、父の正面左に車イスがある。左足を軸に余分な反時計回りで車イスに座る。「父がベッドから車イスに一人で移る時。こんな風にわざわざ一回周って座っていた」(2)寝室で車イスに座っている父。彼に詰め寄る息子(メガネを掛けた中年)。車イスの乗り方について言い合いをする。息子「そうでないって、何でそんな一回周る!?」父「いいんだ!! オラこうでないと周れないんだ」息子「こうやったら簡単だから」(3)「そこで、こんなレクチャーをしたのだけれど。帰京してから気付いた・・・・」一人思い悩む息子。プロレスリングサッポロのロゴがプリントされたTシャツを着ている。(4)車イスの父の正面に立ち、腰を落として介助する息子。父の右足には痛みがある。「右太もも痛いのに右足軸にして座ったら、そりゃ痛かったはず」父のベッドの正面右に車イスを置けば、左足を軸に最小限の反時計回りで車イスに座れる。「それかベッドの位置を変えるべき」

 先日北海道の苫小牧へ帰郷しました。兄から「父が前立腺がんとなり骨に転移し歩けなくなった。(骨盤をつなぐ所の骨が無く右太ももも骨がん)本人の希望で今度一回家に帰る事になった」との連絡が。兄によると「一か月位前から入院していたのだけれど、コロナで面会出来ないので連絡していなかった。4日前やっと(15分だけ)面会の許可が出てその時会ったが元気だった」との事。
 それでも「回復していないのに一時帰宅する」というと、介護施設で働いている自分には“終末期を充実したものにする”というターミナル(ケア)という言葉が頭に浮かびます。しかも85の父と81の母。完全に高齢者が高齢者を介護する老老介護。幸い2人共認知症の症状は無いものの、家で母が1人で面倒をみるのであれば、トイレに行けない場合オムツの交換もあるだろうし、風呂の事はどうするのか等、色々課題は多いはず。折に触れ何かと札幌の兄一家が両親の様子を見に行ってくれているし、17年間帰っていなかった事もある自分が行ってどうなるものでもないのだけれど、バタバタしている退院の日を避けて、その前日に実家に行く事にした。

 ここ最近は2~3年に一回は帰郷しています。けれどコロナの感染拡大後はもちろん初。夜勤明けで飛行機に乗る。小型機という事もあり平日ながらほぼ満席。でも千歳空港の到着口はまだ閑散としていた。

 母が一人で待つ家に着く。話を聞くと「父は急に股関節が痛み出し、病院のベッドに寝たきりになったのだ」という。「おしっこは今、管が入っていてバルーンから捨てている。(心配していた)風呂は週一回施設から送迎があって、今後はそこで入る事になった」との事。ついさっきまでいたというケアマネージャーが置いていった書類を見る。「ちんぷんかんぷんで何も分かんない」という母に代わり、介護施設で5年働く自分が「どれどれ」とその書類を見る。
 「居宅介護支援契約書」「居宅介護支援事業所重要事項説明書」「訪問介護契約書」…。何も分かんない…。介護職員とはいえ自分は現場での介助が多く(介護度の認定調査や、利用者の新たな施設の面談等に立ち会う事等はあるけれど)契約等は事務の方やそれこそケアマネさんが全部やってくれているのだ。「うーん」と言いながらページを閉じて「こんなのは分かんなくていいんだよ」とアドバイスしうやむやにしておきました。事務やケアマネさんに感謝するとともに、利用者やその家族は、こういう事を経てみんな入って来ているのだという事を当事者になって初めて実感しました。

 退院の日。(乗車制限等の関係もあり)午前中、母親が一人で先に病院へ行って一緒に父と帰って来る事になりました。それまで自分は実家で待っている。朝から雨模様。
 家を出る前「アンタ来てる事、父さんには内緒にしてるんだ。ケアマネさんや付き添いの病院の人にも「言わないで」って言ってあるから。驚くよ~」と母は自分が仕掛けたサプライズに満足げ。車が到着。父が帽子を目深に被りスロープをつたって車イスで降りて来る。そして玄関で顔を見上げて自分と目が合うと「おう。」との一言。「息子さん来てくれたんだ。安心だ~良かったわね~」とケアマネさんも盛り上げてくれようとはするけれど元々父も自分も感情をあらわにするタイプではない。「何だ来てたのか」と言った位でその後も淡々と事はすすんでいった。
 病院の男性ドライバーさんが車イスを押し父を家の中へ。濡れたタイヤを拭き、段差やドアの間隔に注意し(この辺もケアマネさんがちゃんと測ってくれていた)寝室へ。父も特に痛がる様子もなく自分で車イスから介護用電動ベッドへ移る。病院からも今後、看護師さんが週に一回様子を見に来てくれて薬の手配や浣腸をしてくれるのだという。ケアマネさん、病院の方も帰って行った。

 その後も2日泊まったけれど、自分は父の隣のベッドで日中ただ本を読んでいただけだった。本人が「足が細くなった」とはいうものの、歩けないだけで全然元気。都内のマンションだったら絶対「うるせー!!」って苦情が来る位父のラジオの音は大きいし、母もドスドス歩く。そういう意味では都会の感覚に慣れて自由を奪われているのは自分の方かもしれない。
 帰京の日。父がベッドから車イスに乗り換え茶の間まで見送りに来た。パジャマのすそからむき出しになった足は確かにちょっと細くなっていた。

 滞在中、父は車イス介助でトイレに座ってもいたのだけれど、ベッドから車イスに移る際、わざわざ逆方向に大周りしていたので介護士ぶって移り方のレクチャーをした。でも、右太ももが痛いのに右足軸にしたらそりゃ痛かったはず…と帰京してから気付いた。
 施設の現場でも、良かれと思ってやっている事が、実は利用者の役に立っていない事がある。今後も利用者の事を考えて一人一人に合ったケアをせねば、と思う。
 この連載は今回で終了。漫画『アックス』の「認知なき戦い」も宜しくです。

三本義治(みつもと・よしはる)
三本義治

 
 
1969年北海道生まれ。マンガ描き。
単行本に『マンガの本』『順風』(青林工藝舎ホームページhttp://seirinkogeisha.com/「アックスストア」で買えます)『テロル』『ガンジス河で平泳ぎ』がある。
漫画『アックス』(青林工藝舎)にて「認知なき戦い」掲載中。
"紙芝居No,1決定戦"『紙-1グランプリ』https://kami1gp.jimdofree.com/主催。
現在、高齢者施設スタッフとしても就業中。

エッセイのご感想がありましたらフォームより送信ください。

このエッセイに関連する法律など