REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

経済余話
  松井彰彦

2020年3月11日

経済余話

第一回

ドイツのトイレ

 海外で困ることの一つがトイレだ。これは開発途上国だけでなく、先進国でも同じだ。背の高い人が多いことで有名なドイツ。その田舎町へ行ったときのこと。トイレに入ると、小便器が高い(あ、もちろん男性トイレのことである)。これは屈辱的だ。つま先立ちにならないと用が足せない(あるいは、ひょいと持ち上げる方法もある)。郷に入ったら郷に従えというが、背の高さはいかんともし難い。
 社会の建物やきまりは(便器も)人のために造られてきた。しかし、すべての人に等しく配慮するように作られてきたわけではない。人はそれぞれ異なっているから、すべての人に便利な建物やきまりというものはなかなか存在しない。いきおい、なるべく「ふつうの人」に便利な建物やきまりを作ろう、ということになる。
 ひとはみな「平均」から多かれ少なかれ、ずれている。このずれがそれほど大きくない場合には、何とか自分を建物やきまりに合わせていくことができるだろう。
 しかし、このずれが大き過ぎると、もはや社会生活を営むことが困難になってしまう。何せ公衆トイレで用も足せないのだ。
 日本人男性はどうして日本の公衆トイレで用が足せるのか。それは平均的な日本人男性に合わせてトイレが作られているからである。「ふつうの人」は社会で配慮されているけれども、それに気づかない。一方、「ふつう」からはずれている人への配慮は不十分なのだ。
 ドイツのトイレで見回すと、一つだけ子供用の小便器があった。しかし、これを使うのも何だかだなあという感じだったことは記しておこう。

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