僕の家は23区内の住宅街にあった。3歳の時に両親が離婚して、母が家を出て行った。父はパチンコ屋の店員をしていて、その給料で、僕と祖母を養っていた。祖母と父は新興宗教の信者で、月に1回、僕を道場に連れて行った。父方の叔母が近所に住んでいて、僕の家に時々遊びに来ていた。
小学校に入学した僕は、いじめに遭った。無視されたり、からかわれるのはしょっちゅうで、バイキン扱いされて、教科書を隠された。家庭科の時間では、僕が持っている裁縫箱をいじめっ子が奪い取り、僕の頭めがけて振り下ろした。バコンと大きい音がして、目がチカチカした。ズキズキと痛む頭を抱えたまま、保健室に行ったら大きなコブができていた。
中学校も小学校の生徒がそのまま進学したため、いじめが続いた。シャーペンの芯で腕や足を突いてきたり、僕が持っているシャーペンの芯をケースから出すと、一気にボキボキと折った。プールの授業の時は、すのこを足の上に落とされて、あざができた。
そんな状態だったので、僕は中学1年で学校に行くのをやめた。父も祖母も何も言わなかった。家族仲は悪く、ひとつの家で暮らしていても、それぞれが別々に生活している感じだった。
ある日、テレビをつけたら、子供の不登校が特集されていた。当事者である僕はかぶりつきながらテレビを見た。
「もし、不登校でお困りの方がいたら、こちらまでご連絡ください」
テレビのアナウンサーがそう言いながら「子供の人権110番」というフリップを手にして紹介する。僕はその番号を急いで手元のメモ帳に書きつけた。そして、勇気を出して電話した。
1977年生まれ。茨城県出身。短大を卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職。
その後、精神障害者手帳を取得。その後、生活保護を受給し、その経験を『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス2017)にて出版。各メディアで話題になる。
その後の作品には『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス2019)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社2019)、『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房2020)、『私がフェミニズムを知らなかった頃』(晶文社2021)『私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに』(幻冬舎2021)がある。
→エッセイ 地獄とのつきあい方
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