REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

ハルモニたちのことば
 金美子

2025年4月2日

ハルモニたちのことば

第1回

青春学校の活動を通して

1994年の5月、北九州市立穴生公民館の一室で、1つの教室が始まった。その名は「青春学校」、在日コリアンのハルモニたちが日本語のよみかきを学ぶ場だ。ハルモニとは、「おばあさん」という意味の韓国語である。「青春学校」という名は「私には青春がなかった」「学校に行きたかった」と言うあるハルモニのことばから「青春を取り戻す学校」という意味で名付けられた。
曜の夜7時になると、公民館には在日コリアンの女性たちが集ってくる。在日一世のハルモニには、自分の名前すら書けない人が多く、日本で生まれた二世は、小学校に入学しても貧しさや家庭の事情で卒業できなかったという人がほとんどだった。
は開校時から、有志とともに青春学校の運営に携わり、この間に数十人のハルモニたちと同じ時を過ごしてきた。以下、ハルモニたちとのエピソードを自分の体験も含めて紹介したい。

〇李さん、当時80代

わたしは八十すぎて がっこうにくるとは おもいもしませんでした。ここにきて いっしょに べんきょうすることは ゆめみたいです。ほんとうに たのしみです。ながいきしたかいが ありました」(※)

れは、在日一世である李さんの作文だ。植民地下の朝鮮半島で生まれた李さんは、韓国から出稼ぎに来ていた夫との結婚を機に渡日し、8人の子どもを産み育てた。子どもたちは皆、日本の学校を卒業している。
くの非識字者が多い一世のハルモニの中で、当時80代の女性にはめずらしく、李さんは韓国語のよみかきが堪能だった。しかし、日本語のよみかきは、ほとんどできなかった。会話はできるが、「韓国語なまり」と言おうか、すこし話をすると日本人ではないことが分かる。

る日、李さんの家を訪ねた時のことだ。李さんがこう言った。「このあいだ娘から言われたんよ。かあさん、私の働く店には絶対に来んでねって」。李さんは、娘さんがパートで働いている店へ買い物に行こうと思ったらしいが、来ないでと言われて寂しかったと言う。娘さんは、韓国人であることを周囲に隠して仕事をしている。李さんが母親だとわかると、韓国人であることが周囲に知られてしまう。李さんの娘さんは、それを嫌がっていたのだ。

60年ちかく日本で生活している李さんだが、大人になって覚えた日本語の発音は容易ではない。一方、日本で生まれた在日二世の娘さんは、自分から韓国人だと言わない限り、周囲の人は彼女を日本人だと思うだろう。彼女が韓国人であることを隠すことはたやすいことなのだ。

1923年の関東大震災時に、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語により、多くの朝鮮人が自警団から殺された。震災後の混乱時に、外見は日本人とほぼ変わらない朝鮮人を見分ける方法として「15円50銭」と言わせて識別した話は有名だ。一世の朝鮮人は15円50銭を、「ちゅうこえん、こちゅっせん」と発語する。なぜなら、朝鮮語の語頭には濁音がないからだ。

さんから娘さんの話を聞いたとき、私はすでに亡くなった自分の祖母(ハルモニ)のことを思い出していた。私には李さんの娘さんの気持ちが痛いほど分かる。なぜなら、私もかつて、同じようなことばを私の祖母に言っていたからだ。
生時代の私は、自分が在日コリアンであることを周囲に隠していた。「朝鮮人」だといって差別を受けることを恐れたからだ。

の祖母は近くの街に住んでいたが、外出する時には、よそ行きのチマチョゴリを着ることがあった。髪を結って、チマチョゴリを着て歩く姿は、まさに朝鮮の女性であった。50年近く日本で暮らしていても日本語は片言しか話せない。そのような祖母の来訪は私にとって、ちょっとした恐怖だった。友人が家に来たとき、私は祖母に「出てこないでね」と言った。人目が無いときは大好きな祖母だが、日本人の目を気にしたときは嫌いな存在に変わる。韓国なまりの祖母(ハルモニ)のことばを、当時の私はどれほど疎ましく思ったことか。孫に冷たくされて寂しそうな祖母の顔を、私は今も覚えている。

日三世の私は、日本社会に漂う朝鮮人に対する偏見を空気のように吸い込んで育った。私が在日コリアンとしての自尊感情を持つことができたのは、青春学校で学ぶハルモニたちのことばから、彼女たちの人生にふれ、在日コリアンの歴史を学んだからだ。ハルモニたちは、なぜ日本に来たのか。植民地下の朝鮮、そして終のすみかとなるであろう日本で、どのようにして生きてきたのか。
字もことばも分からない国で必死に子どもを育ててきたハルモニたち。異国での生活は並大抵の事ではない。命がけで家族を守り、差別のなかで歯を食いしばって生きてきた。
ルモニたちの歴史を知れば知るほど、そこには尊敬と感謝しか生まれてこなかった。過去の自分を思うとき、無知であることがいかに不幸なことかを思い知らされた。そして、亡くなった祖母に対する自分の行動を私は心から詫びた。

春学校で学ぶハルモニたちのことばは、時折私の胸をかきむしった。ハルモニたちのことばの裏から、社会の矛盾や差別の現実、さらには在日としての自分の立ち位置を思い知らされるからだ。「なぜ、ハルモニたちは学べなかったのか」そして、「なぜ、私は自分の祖母を疎ましく思ったのか、その原因はいったい何なのか」さらに「自分はいったい何者なのか」・・・。
ルモニたちの多くは、すでに鬼籍に入った。彼女たちから多くを学んだ私にできる恩返しは、ハルモニたちのことを伝えつづけることなのかもしれない。 (続)

  • (※)『青春学校から穴生・中学校「夜間学級」30年のあゆみ』(30周年記念誌編集委員会発行・2024年6月)より抜粋
金美子プロフィール

現在、自主夜間中学 穴生中学校夜間学級スタッフ
(公社)福岡県人権研究所特命研究員
北九州市立大学非常勤講師

自主夜間中学校「青春学校」「穴生・中学校夜間学級」の開設、運営に関わる。
北九州市在住の在日コリアン三世 
著書『多文化共生のまちづくり』(共著)他