2025年6月8日(日)から2025年6月14日(土)まで、フィンランド・ヘルシンキで開催されたICN Congress 2025(ICN 第30回大会、以下、ICN Congress 2025で統一)へ参加した。
渡航目的は、E-poster発表が採択されたためであった。
ICNやICN大会についての説明は2023年の連載を参照いただきたい→こちら
今回も2023年同様、諸般の事情により、最終日への参加は叶わなかったものの、自らの目でみてきたことをご覧いただいた皆さんと共有し、2027年のICN第31回大会へ備えたい。
2025年6月8日(日)の早朝便で、ヘルシンキへ向かった。世界情勢の課題から、北極圏周りとなっており、飛行時間は従来にプラスαであったが、体感的には一般的な欧州便とそう変わらなかった。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港への着陸態勢に入ったとのアナウンスからしばらくして雲間を抜け、フィンランドの大地が見えた途端に北海道の空港、強いていうなら新千歳空港または旭川空港へ着陸するのではないかと思われる緑の大地が見えた(図1)。渡航前から「北海道に似ている」との情報を複数頂戴していたものの、第1印象は先の通りであった。空港の周辺でみかけた木々も、白樺、松、モミの木のような針葉樹林が主で、北国へ降り立ったことを改めて感じた。

今回のICN大会は会場に比して現地参加者数が多く、開会式はメイン会場に加えて別会場(overflow
rooms)も設置されるとの事前連絡を受けた。メイン会場のチケットを入手するためには、早々の受付を行う必要があったものの、降機後の入国審査に1時間以上を要した(日勤と夜勤担当者の交替時間に該当したためと推測された)。EUメンバーのスムーズな入国を傍目に、「同日中の受付は間に合わないかもしれない。」と気を揉んでいたところ、大会専用アプリから受付時間の延長についての連絡が入り、安堵した。今回の大会にも専用アプリがあり、お知らせ、スケジュールの確認から翻訳(日本語通訳については次回以降に記載予定)、参加者間のチャット、基本属性から似ている参加者をマッチングする等の機能があった。前回(2023年)よりも、明らかに機能は向上していた。
入国後、空港から会場(図2)へ向かい、無事、受付を済ませることができた。この時期、フィンランドは白夜の季節で23時近くまで明るく、人々も遅い時間まで活動されていたことに助けられた。


受付の際、担当のボランティアさんに「開会式へ参加するか?」と真顔できかれて、同じ調子で「はい。楽しみにしてます!」と答えたところ、「OK!」とメイン会場のチケット(以後、開会式シール)を名札(図3)に「ポン!」と貼付いただいた。後から見返したところ、シールの向きは揃っていなかったものの、これはこれで記憶に残る形となった。また、今回は、名札(図3)と大会オリジナルバッグ、市内の公共交通機関フリーパス(市民も利用する交通機関のアプリにビジターとして設定する形)を頂戴した。
同日はStudent
Assemblyが開催されており、日本から参加した3名の看護学生にも、ご挨拶をさせていただいた。日本人看護学生の参加があったこと、それらは、日本の看護界における大きな希望と思われてならなかった。次回、即ち2027年の同大会への継続参加が叶うことを。
今回のICN Congress 2025は30回目、テーマは「Nursing Power to Change the
World」であった。参加国は100以上、事前に7,000名程の登録へと達し、2025年5月29日に参加申込が締め切られた。事前の参加申込締切は、初めての経験であった。なお、今回の大会も開会式・閉会式、プレナリーセッションはLIVE配信による参加が可能であり、この流れは、世界各国のより多くの看護職や看護学生の参加の実現を叶える方法の1つと思われた。
前項の繰り返しとなるが、今回の開会式はメイン会場に加えて別会場(overflow
rooms:以後、Room1)が設けられた。また、参加者の名札(図3)に貼付された開会式シールは「Lower」と「Upper」、「Room1」に分かれていたが、詳細は開場後に判明した。まず、
「Lower」と「Upper」で会場の上層と下層が明確に分けられ、ステージに近い前方席は「Lower」、後方席は「Upper」、そして、両者は往来できないよう仕切りがなされていた。会場への入場は、各入口にいるボランティアさんの手により、名札(図3)のQRコードスキャンと開会式シールの確認がなされ、管理されていた。日本からの参加者でまとまって座すことについて、渡航前から話し合っていたものの、この「Lower」と「Upper」の詳細が判明した時点で、「Lowerの最後列とUpperの最前列の周辺へ着席することで、1つにみえるのでは?」との意見があり、採用した。その結果、前回(2023年)に比して、日本としてまとまり、多くの声援を送ることができたように思う。ちなみに「Room1」にはサブ司会者が配置され、時折、メイン会場と接続して状況を共有し合う場面(図4)もあり、新たなスタイルが拓かれた瞬間に立ち会うことができた。
開会式のメイン会場は4,000名以上の収容規模で、ステージには3面鏡のような巨大な画面があり、様々な情報の投影がなされた。ステージ上には、「#ICN2025」のハッシュタグが3Dオブジェとして配置され、SNS(Social
Networking
Service)には、ICN公式や参加者等から多数の投稿がなされた。一連のSNS投稿を目にし、次回のICN大会への参加を決意する方もあるのではないかと思われ、よい動機付けの一例と見受けた。2021‐2025年のICNのキーワードは「Influence」であり、前回(2023年)と今回の大会は、その言葉が通底しているように感じた。

当日の天候は雨。予定の16時から15分遅れての開場となった。その後、あっという間に開会式開始時間の18時を迎えたが、既に会場内は熱気に溢れていた。ICN
Congress 2025は、司会(ICN事務局長:ハワード・カットン氏)(図5)の一声で開始された。
はじめに、ICN大会のヘルシンキ開催は1925年以来100年ぶりであり、当時の写真(図6)を交えつつ、時を越えた再会を喜んだ(図7)。1917年のフィンランド独立から10年を経ていないにも関わらず、多数の看護職の参加をみたことが手に取るようにわかった。なお、同国は1906年に当時のヨーロッパで初の女性参政権を認めており、女性の占める割合の高い看護職も当時から積極的な社会参加を成しえていたのではないであろうか。どちらにせよ、
1世紀ぶりのヘルシンキ開催は、フィンランド看護協会や同国の看護職等に大きな力を与えたように思われてならなかった。続けて、今回の参加者に向けたメッセージも複数流れた(図8、図9)。





その後、会長挨拶、各国入場と続いた。各国の入場時はナショナルコスチューム(民族衣装)を装用する国も多く、加えて、お国柄を活かした様々な工夫も加わり、盛り上がりをみせた。そのうちには、ショートパフォーマンスをされ、言葉を使わずとも、自然とリズミカルな拍手や歓声を沸き起こした国もあった。あの人々を巻き込むノリの方法は、毎回、勉強になる(お国柄もあるのか、なかなか身につかない)。なお、イスラエルとパレスチナの参加もあり、両国ともに歓声があがる場面を目にした。今回の各国入場は、前回(2023年)同様、アルファベット順(大会毎に異なる)で、日本の前後はジャマイカ(Jamaica)とヨルダン(Jordan)。また、ヨルダンのムナ王母のご臨席を賜り、あたたかなメッセージを頂戴した(図10)。さらに、ローマ法王(レオ14世)のレターも紹介され(図11)、両者から看護職への応援や期待、平和の実現に向けた願い等を受け、身の引き締まる思いであった。


開会式では厳しい世界情勢を鑑み、前回(2023年)に続き、献灯の場もあった。前回(2023年)は新型コロナウイルス対応の経験が胸にこみ上げてきて仕方なかったものの、今回は不安定な世界情勢の中で命を失った人々や看護職・医療従事者を想う面が大きくなっていることを覚えた。ICN会長、ムナ王母やローマ法王からのお言葉とともに、「日本人としてできることは何か」を、改めて自問する場となった。その後、フィンランドの音楽や舞台芸術を鑑賞し、最後に以下4つの授賞式が催された1)。
そのうち、「The ICN/FNIF International Achievement
Award」は、東京大学名誉教授の真田弘美先生が受賞され、ビデオレターでご挨拶をいただいた(図12)。The ICN/FNIF International Achievement
Awardの日本人受賞者は初であり、大変、誇らしかった。
ふと2001年の同大会にて、国連難民高等弁務官を務められた故 緒方貞子氏がICN Health and Human Rights
Awardを受賞されたことを思い起こした(詳しくは、こちら)。今回、この受賞の場に同席した看護学生や若手看護職の奮起につながるのではないかと密かな期待を抱いた。
世界の看護は「すごい」と思う面も多い、けれど、日本の看護も同程度の取り組みや実践を積み重ねてきたということが証明された場となったことと同時に、更なる日本人看護職の活躍と行動の結実を願った。

開会式終了後、エキシビジョン会場のオープニングが催されたものの、筆者らは会場ロビー前にて各国の参加者と写真撮影や交流を深めた。「一緒に写真撮って!」の一言からはじまり、「どこからきたの?」、「みんな素敵ね!」と、その場を最大限楽しむ会話が交わされる。「一期一会」という言葉で表すことが相応しいながらも、「世界(グローバルと表現した方がよいかもしれない)の風」を最大瞬間レベルと言って差し支えない程、一身に感じられる場であることはいうまでもないことであろうか。あの場を経験するのみでも、ICN大会へ参加する意義は大いに有といえる。今回も筆者は着物で参加し、着物の柄はフィンランドの国花であるスズラン、帯は平安絵巻、帯飾りに富士山を用いた(図13)。


開会式は20時過ぎに終了したものの、帰路(図14)もまだ明るさの残る中、トラムに乗車し、滞在先へ戻ることができた。様々な情報等が一気に入ってきたこともあるのか、当日は遅い時間まで頭が冴えていた。
次回(第2回)は、ICN Congress 2025期間中の模様について報告する。
主に、受付(図15)、メイン、エキシビジョン、休憩ゾーン、口演発表とポスター会場等で構成されていた。そのうち、受付からメインとエキシビジョン会場の間は市街地でいうメインストリートのよう(図16)であり、常に、多数の参加者が往来していた。


メイン会場の講演、特に連日朝開催されるプレナリー(図17)は、グローバルな視点で捉えるべき内容が多かった。例えば、看護のヴィジョンや行動、就労環境改善や経済格差、先住民族へのケアをはじめ、どの国においても課題となっている件が等しく取り上げられていた。そのうちには、日本国内で取り上げられにくいMigration(国家間移動、頭脳流出とも称される)についても、説明されていた。Migrationとは発展途上国や中堅国でレベルの高い看護職養成教育を受けた、つまり、自国の母語に加えて欧米諸国の公用語、殊に英語、仏語、西語を操ることができ、その国の未来のリーダーまたは先導者、先駆者、改革者として期待される看護職が、よりよい就労環境や待遇を求めて先進国へ移住し、結果、同国の看護の質諸々が改善しない状況を示す。私感ではあるが、ここ四半世紀程、看護の世界の片隅へ身を置きつつ見えたこととして、Migrationについて、世界レベルの課題有と列挙される国と比較して目立たないながら、日本においても生じていると思われてならない(日本から様々な条件のよい主に欧米諸国へ移動)。しかし、我が国では発展途上国や中堅国のように看護の質や労働力への著明な影響を生じていない(状況把握未または非公開と思われる)ためか、国内で課題として取り上げられることは限定されるのではないであろうか。今回、参加した若い世代が、これらの件に触れ、日本も当事者の国の1つと考える契機になることを願っている(もちろん、個人の行動を制限することは難しいことを前提とする)。
さらに、WHO(World Health
Organization)等の国際機関から発出されている白書の解説もあった。今回、興味深く感じた点として、プレナリーでは概要を説明し、詳細は後から白書を読んでみてくださいと紹介されることであった。時間制限の面からの対応とも考えられたが、各自、持ち帰り(Take
Home
Message)をして、自国の現状に即しながら考えて動くこと。つまり、ICN大会へ参加して終わりではなく、帰国後も自国内で思考を巡らせ、検討を継続し、自発的な行動を求められたようにも感じた。そして、プレナリーは前回の2023年同様、ビデオ出演(図18、図19)の方も多くあり、世界各地のより多様な背景や経験を積まれてこられた方々が、同じ場をともに過ごせるよう配慮がなされていた。そのうち、個人的には字幕の設置に感激した。



エキシビジョン会場はICNとフィンランド看護協会のブース(図20)をはじめ、世界各国の医療・看護に関する企業や各国看護協会等、様々な展示がなされていた。その一角には情報交換用のネットワーキングラウンジ(図21)やカフェタイムのスペースや寄せ書き、看護学生のための場(図22)も設けられていた。この場は、日本の言葉に直すと、「一丁目一番地」の情報が濃縮して提供され、かつ参加者間で自由に共有することができると感じた。



口演会場入口は向き合う形となっており、共用の入口前では定時に展開される休憩ゾーンが設けられていた。口演会場(図23)では各種発表が行われ、医学研究と相違ないレベルのプロトコール(研究実施計画書)に基づき実施された研究発表も拝聴した。看護職主体で実施する抗がん剤治療の副作用に関する研究は、非常に質の高いアウトカムが導出されうるとの発表の際は、会場が拍手でわいた場面もあった。1つの発表について多くの質問が続き、時間超過する場も散見されたが、終了後、演者へ質問に行く形は、日本国内の看護系学会の形式とそう変わらなかった。休憩ゾーンでは1日のうちに何度か、コーヒーと紅茶のティータイム+果実(図24、図25)、さらにビュッフェ形式の日替わりランチ(図26)も提供された。フィンランドの新鮮な野菜を中心とした素材の味が活かされ、かつ、さっぱりした味付けの料理が多かった。連日のランチは、個人的には大満足であった。




フィンランドは、SDGsや環境に配慮した取り組みで国際的な認知度が高い。それらの取り組みは、今回の会場内においても見受けられた。まず、ゴミ箱は4つの分別とし、紙類は大きなゴミ箱へ捨てることが可能(図27)であった。4つの分類について、日本人の参加者は抵抗なく対応できたのではないであろうか。そして、休憩ゾーン内には蛇口とシンクが配置され、飲水または手持ちのボトルへ給水することができた(図28)。エキシビジョンのICNブースでサステナブルなボトルの販売有との記載も見受けた。今回の渡航時、エコボトルは持参しなかったものの、現地で購入したミネラルウォーターの容器を洗浄の上、何度か、活用させていただいた。フィンランドの水は、そのまま飲水可であった。


ICN大会へ参加すると、大会後のアンケート回答に続き、「ANCC」または「ICNEC」の教育クレジット(education credits)が取得可能である。ANCCは「The American Nurses Credentialing Center」1)、ICNECは、ICNのContinuing Nursing Education Certificate(ICNの定めた国際看護継続教育クレジット)であり、前者は米国の看護職資格取得者向け、後者はICN会員向けであった。これらは、ICN大会参加のみならず、ICNの主催するオンラインモジュール2)の受講や、特定の疾患に関する国際的な継続教育プログラム3)等においても、取得可能であることを把握した。現行、日本国内独自の継続教育プログラム受講でICNECを取得するに至れる場は乏しい(該当する継続教育プログラムをご存じの方は、是非、ご教示願いたい)。今後、既存の日本人看護職向けの継続教育プログラムとICNECがタッグを組むことが叶えば、総じて、ICN大会参加経験も日本の看護職のキャリアの一環として、付加価値を発揮できるように思われてならない。既存の日本人看護職向けの継続教育プログラムは日本看護協会をはじめとして、様々な出版社や教育団体が主催しており、それらはICT技術の進化に伴い、年々、臨床に即した高品質なものも増えている。日本国内で就労しながら、世界レベルの看護を身近に学ぶことができる、または日本の優れた継続教育プログラムを世界へ発信できる機会のあることを願う。
ICN本部から、今大会のダイジェスト動画が公開された。これらの動画のうち、Day1からDay5は大会期間中の翌日にSNS(X、Facebok)で公開された。後日、総集編のDay1 to 5が公開され、これらは今大会における貴重な資料の1つである。次回のICN大会参加希望者は、必ず、ご覧いただきたい。
日本国内では、日本看護協会出版会刊行の「看護」誌、2025年8月号
4)、2025年9月号 5),6),7),8),9)10)に、今大会の模様が取り上げられた。同誌における特集の形で掲載されるのは2021年の同大会11)以来であった。また、照林社刊行の「エキスパートナース」誌、2025年9月号12)へは、今回、ともに参加したメンバーとともに、医療機関勤務、つまり、臨床で活躍している看護職かつ参加者の声を複数掲載いただいた。次回以降のICN大会参加を希望・計画されている方は、是非、お目通しいただけると嬉しい。また、同記事執筆に際し、窪田和巳氏、Evakhalifa
Takezawa氏、参加経験の声を寄せていただいた臨床看護職各位、照林社エキスパートナース誌編集部に深謝申し上げる。
当方の目から見た限りではあるが、各国参加者の教員(研究者)と臨床看護職のウェイトについて、日本は教員(研究者)、日本以外は臨床看護職の多い印象を受けた。日本の参加者の最大の障壁は教員(研究者)と臨床看護職で休暇の取りやすさが異なること、次いで、参加費用と思われてならない。教員(研究者)は給与に加え、所属機関から研究費支給または競争的資金を獲得して補うことが可能である。しかし、臨床看護職の多くは自費と思われ、大会登録料のみで10万円程度の支払いは、厳しいといわざるを得ない。しかしながら、臨床看護職の就労環境は年々改善されている印象もあり、次回のICN大会へは看護学生や若い世代、また、臨床で活躍中の看護職の多数参加を叶えられるようアプローチを継続したい。同時に、参加費用の課題についても、何らかの手立てを講じられるよう行動していく。
次回(第3回)は、ICN Congress 2025会場と市内及びヘルシンキ・ヴァンター国際空港のバリアフリー等、主に障害と経済の視点からみえた事柄等について報告する。
筆者の諸般の事情から、第3回の公開までにお時間を頂戴したことをお詫びする。先に述べた通り、当エッセイは第4回までの予定としており、もうしばらくの間、ご一緒願いたい。
今回、Low-income-country(15カ国)は参加費用の減免があった。看護学生(看護基礎教育課程の学生に限る)も、従来通り、専用の廉価の登録料が設定されていた。国や身分による登録料の設定は前回(2023年)迄とほぼ同様であったものの、特筆すべき事項として、参加登録の時点で心身障害に関する配慮事項を申し出ることが可能なフォームが設置されていることを確認した。しかも、全ての登録者の目に必ず触れるよう設計されていたのである。そこには「Any
special assistance that we need to make note to make the congress more comfortable for
you?(筆者訳:ICN大会を快適に過ごすために、運営側が留意すべき特別な支援はありますか?)」との記載と入力欄があり、その下に「We will try to meet your requirement, but we
cannot
guarantee it.(筆者訳:私達[ICN]は、あなたの要望に応えられるよう努めますが、保障はできません)」との注意書きを確認した。早速、ここ数年、活用させていただいている音声認識アプリ(YY
System1))の使用希望、さらに、アプリとモバイル機器は筆者側で準備をするため、新たにICN側でご準備いただくことはない旨を申し出た。さらに、YY
Systemのご担当者様へフィンランドにおける使用を連絡し、ご承諾いただいた。その際、諸事情により使用できない可能性についても情報共有をいただき、万一の際の覚悟もできた。期間通して、翻訳機能付きで音声認識を活用し、朗らかにテンポよく交わされた発言もほぼ全て拾われていたことに感動した。これまで、会場前に表示されたスライドから多くの情報を得ていたことに気付かされた。なお、今大会は日本看護協会による日英通訳の設置無であったため、次回以降、日英通訳無かつ英語でのやり取りに不安のある日本人参加者は、音声認識アプリによる翻訳機能の活用も検討できようか。
2024年末のICN大会参加登録の時点で、全参加者と同じフォームを用いた心身障害に関する配慮事項の申出可能な欄を、従前、日本国内の看護系学会で目にしたことはなかった。2016年の障害者差別解消法と改正障害者雇用促進法施行後、障害をもつ看護学生や看護職に関する調査研究の発表は増加している様子ながら、所謂、健常の看護職や研究者(以後、この段落では健常者)主体のものが圧倒的多数と思われる。その場に居合わせると、会場内では「まさか、当事者の参加や発表があるのか」というある種の疑いのようなまなざしや、逆に「当事者?、いるかもね」という想像の世界を漂う存在であるかの如く見なされる印象を受けることもあった。しかし、障害をもつ看護学生や看護職に関する調査研究がなされている時点で当事者は存在し、筆者も例外ではなく、当エッセイへのお目通しからも、実在を認識いただけたのではないであろうか。まとめると、当事者は実在かつ認識されつつも、健常者同様に学会参加や発表を成しうる存在と見られにくいことを痛感している。一連の件、すなわち、学会参加や発表をはじめ、広く研修や講習受講等を含めると、その障壁は過去20年以上、当事者とともに歩む中で悩みあぐねたものの1つで、「合理的配慮」という単語よりも長い歴史を有する。ただし、それ以前に、健常者同様のキャリア構築を実現するための適切な修学・就労環境を得られないことが、より巨大な障壁としてあり、それらを解決する(ここで「こえる」、「のりこえる」は用いない)術を有するに至れなかった故の現状とも考えている。
ここで、当事者の学会参加・発表の一般的と思われる過程を主観的な視点から顧みたい。まず、全ての参加者同様に抄録投稿や参加登録を行う。その後、学会事務局へ問い合わせて、配慮事項を申し出る行動や対話、調整を行う(一連の行動等は妨げられないと思われつつも、妨げた時点で、障害者差別解消法[国際学会の場合は、障害者権利条約]に準じていないとみなされうると推測)。さらに、事前または当日の配慮や調整の状況を確認かつモニタリング、学会終了後は学会事務局へのお礼や当日のフィードバック等を行う。手話や文字通訳の配慮を受ける場合は、専門用語をどのように表現するか等、通訳者との細かな調整も必要となる。どのように見ようとも、所謂、健常の参加・発表者に増して労力や時間を要するため、これらを覚えている者であればある程、また、問い合わせた学会事務局側の対応や反応が乏しい場合は当事者自らが配慮提供者との調整等を行うケースもあり、結果、「難しい」と諦めるレベルの心身の消耗や時として徒労も発生しうる。発表者として参加登録をした場合は、前述の内容に加え、発表準備から当日の質疑応答への対応を考えなければならない。
現行、日本国内における看護系学会への当事者の参加・発表には様々な障壁が聳えているものの、前半部分にて述べた通り、グローバル発で非常に大きな1歩が踏み出されたことを、ここに記録しておく。
会場は完全なバリアフリーではなかったものの、プレナリー会場入口の階段にはリフトと車いす用のスロープが既設されていた(図29)。口演会場では、障害のある方専用席も見受けた(図30)。


さらに、口演会場奥には「Quiet Zone」もあり、飲食せず、電子機器類からも離れて静かに過ごしたい参加者のための場が設けられていた(図31)。そこでは、エキシビション会場に出展していたSoundEar A/S社2)の機器による環境音のモニタリングがなされていた(図32)。同機器は環境音を触知して数字と視覚的に周知する機能を有していた。出展されている機器が具体的にどのような形で用いられ、どういった利点を有するのかをユーザー視点で試すことのできる好機と思われた。参加者のうちには、車椅子の方も見受け、国や人種のみならず、障害や疾患をもつ看護職の参加もあることを心強く感じた。同時に、参加登録時に申出可能であった心身障害に関する配慮事項への対応がなされていることを確認できた。

課題名:The role of communication skills of Japanese nurses with hearing
disabilities in the working
environment
聴覚障害をもつ看護職20名について、特定の就労場面におけるコミュニケーション方法と場面毎の分析結果(相関の有無)を発表した。聴覚障害をもつ看護職の多くは補聴器を装用し、きこえる看護職や医療従事者と共に就労し、患者さんとは音声聴覚でコミュニケーションする場面が多いといえた。しかし、聴覚障害をもつ看護職は読話や筆談、手話、音声認識等の多様なコミュニケーション方法や補聴支援機器の使用方法を身に着けていた。そのため、相手のコミュニケーション方法やニーズをアセスメントして、最適な方法を速やかに適応可能といえた。これは、聴覚障害をもつ看護職独自のスキルともいえ、聴覚障害者のみならず、聴力低下のみられる高齢者等のコミュニケーションニーズを有する者へも適応可能であると考えられることを示した。
ヘルシンキ中央駅周辺は石畳やタイルが主の路面で坂もあり、必ずしもバリアフリーではなかった(図33)、(図34)、(図35)。



路面電車は数両の編成で複数のドアがあり、乗降はどの扉からも可能であった(乗車賃は専用アプリで管理)。車椅子乗降可能な扉には車椅子マークが貼付されていた(図36)。滞在中、車椅子ユーザーはみかけなかったものの、手押し車ユーザーの路面電車乗降時は、車内と停留所で待っていた複数の方が、自然に助力していたのを隣車両から見受けた。市内の移動は、電車、路面電車、バス、レンタル自転車等の様々な手段があり、そのうちから必要な方法を選ぶことができた。路面電車のどんなに小さな停留所にも複数言語の電子掲示があり(図37)、助けられた。点字ブロックも設置されていた(図38)。



ヘルシンキ中央駅近くのヘルシンキ大聖堂は急な石の階段を乗降する必要があったものの、大きなスロープも設置されており(図39)、(図40)、車椅子に留まらず高齢者や子どもの使用も可と思われた。市内の建物には1800年代に建築されたものもあり、車椅子ユーザー用の入口は建物案内図とともに明示されていた(図41)。



ICN大会会場までの路面電車に乗車中、様々な人や場面の描かれた工事現場のフラットパネル(仮囲い)が目に留まった。参加後の帰路に降車して、詳細を確認した(図42)。耳鼻科医の診察や理学療法士によるリハビリと思われる場面、たくさんの荷物の入ったカバンを背側にかけた車椅子ユーザーやサイクリング、フィットネスをしている方等、日本では見かけない描かれ方であった(図43)。さらに調べたところ、日本でいう福祉施設の建築現場であったものの、看板には「Health and Well-Being Centre」と記載されており(図44)、全ての人が使うことのできる施設と理解した。



ヘルシンキ市内から空港までは、電車やタクシー(複数社が導入されていたものの、ほぼ同額となるよう設定されていた)等で移動できた。ここでは、電車を用いた経験を記す。ヘルシンキ市内からの電車は、ヘルシンキ中央駅始発、北欧に特徴的な一般車両と自転車・車椅子等向けの車両(座席のないもの)で構成され、車両には車椅子と自転車が描かれており、すぐにわかった(図45)。車内に掲示されていた留意すべき行動(マナー)の掲示は、イラストから類推する限りながら、日本とほぼ変わらないことに密かな共通点を見出したように思えた(図46)。


ヘルシンキ空港駅(フィンランド語:Lentoasema)に到着すると、車いす用の移動経路もきちんと表示され、さらにエレベーターも複数台設けられており、待つことはほぼ皆無と見受けた(図47)、(図48)、(図49)、(図50)、(図51)。





ヘルシンキ・ヴァンター国際空港内では、支援を必要とする方向けのカウンターがあったものの不在であった(図52)。近くに「Assistance service call point」があり、必要時、担当者を呼ぶスタイルであると理解した(図53)、(図54)。Assistance service call pointは、3つの言語の文字と点字で記載されていた。



支援を必要とする方向けのカウンターの近くには、貸出用の車椅子(図55)やAED(図56)もみかけた。AEDのカバーに説明文はなく、全て図示であった。日本のAEDは赤または橙色だが、フィンランドは緑色であった。トイレは障害者用の設置もみられたが、スーツケースをもつ旅行者を想定してか、全ての個室が広めに設定されていた。手洗い場は、2種類の高さの設定があり、低い方は子供と車椅子使用者を想定しているものと思われた(図57)。



第1回でフィンランドと北海道の類似性について述べた(詳しくは、こちら)。滞在先はセントラルヒーティング(図58)や二重窓(図59)、タオルヒーター(図60)、街中にはスパイクタイヤ禁止と思われる標識(図61)、訪問先の建物の玄関にはスノーダンプ(北海道では「ママさんダンプ」とも称される)等もあり、北国仕様であった。




滞在中の最高気温は6月ながらも11-15度程度であり(図62)、東京の2月下旬-3月頃、北海道では4月-5月頃の気候と思われた。

図62 とある日の最高気温
つまり、季節は「春」であったこともあるのか、市内は様々な花、それも、北国に特徴的なハマナス、ライラック、松、桐等が、一気に咲き乱れていた(図63)、(図64)、(図65)、(図66)、(図67)。





さらに、滞在時は白夜の季節であったためか、遅い時間(21時から22時頃)まで、たくさんの市民が外でレクリエーション(卓球やピクニック)を楽しむ姿も目にした(図68)。長くて暗い厳冬を経て、多様な植物が圧倒的なエネルギーで一斉に芽吹きや開花をし、人々は春へと移り変わったことの喜びに溢れる季節であることを覚えた。同時に、その空間は、木々や花々、土のかおりで満たされていた。この散策は1時間弱であったと記憶しているものの、「その場」へ身を置くことにより、普段は認識していない感覚や感情が、 (良い意味で)どっと迫ってきたように思われた。

ヘルシンキ中央駅は、常に多くの人々が行き交っていた。滞在期間中のとある日、駅正面にある4人の巨人像が、ユニフォームらしき青いシャツを着ていた(図69)。調べたところ、サッカーワールドカップ予選の日に合致しており、おそらく、そのPRと思われた。ちなみに、予選日以降は、元々の姿へと戻っていた。そして、ヘルシンキ中央駅正面入口の上方には、ウクライナ国旗がはためいていた(図70)。同駅は、日本でいう東京駅に相応すると思われ、本来、フィンランド国旗が掲揚される場所であると思われた。しかし、はためいていたのはウクライナ国旗であり、国を挙げての連帯がなされていると理解した。ICN大会期間中にはウクライナの看護職による講演や2025年6月11日には、紛争地における国際人道法の遵守を含むヘルシンキ共同声明が発出4)、5)された。


看護師、保健師。医療機関、障害者の就労支援施設、訪問看護ステーション等にて20年以上の臨床経験有。小学校3年次に軽度聴覚障害の診断を受け、現在は両耳重度。同障者複数の家系であったためか、補聴や療育は受けず。看護学部進学後、初めての臨床実習前に補聴機器を装用開始。同時期、国際看護の領域へ飛び込み、気付くと25年以上の時が経過していた。
詳細は、以下をご参照願いたい。
保健師助産師看護師法における相対的欠格事由と障害をもつ看護職
四半世紀にわたるICN(International Council
of
Nurses:国際看護師協会)大会参加の歴史と次世代への襷
今回は、2025年6月8日(日)から2025年6月14日(土)まで、フィンランド・ヘルシンキで開催されたICN Congress 2025(ICN 第30回大会、以下、ICN Congress
2025で統一)へ参加した。前回の2023年同様、諸般の事情により、最終日への参加は叶わなかったものの、自らの目でみてきたことをご覧いただいた皆さんと共有し、2027年のICN第31回大会に備えたい。
→REDDYメンバープロフィール