2025年6月8日(日)から2025年6月14日(土)まで、フィンランド・ヘルシンキで開催されたICN Congress 2025(ICN 第30回大会、以下、ICN Congress 2025で統一)へ参加した。
渡航目的は、E-poster発表が採択されたためであった。
ICNやICN大会についての説明は2023年の連載を参照いただきたい→こちら
今回も2023年同様、諸般の事情により、最終日への参加は叶わなかったものの、自らの目でみてきたことをご覧いただいた皆さんと共有し、2027年のICN第31回大会へ備えたい。
2025年6月8日(日)の早朝便で、ヘルシンキへ向かった。世界情勢の課題から、北極圏周りとなっており、飛行時間は従来にプラスαであったが、体感的には一般的な欧州便とそう変わらなかった。ヘルシンキ・ヴァンター国際空港への着陸態勢に入ったとのアナウンスからしばらくして雲間を抜け、フィンランドの大地が見えた途端に北海道の空港、強いていうなら新千歳空港または旭川空港へ着陸するのではないかと思われる緑の大地が見えた(図1)。渡航前から「北海道に似ている」との情報を複数頂戴していたものの、第1印象は先の通りであった。空港の周辺でみかけた木々も、白樺、松、モミの木のような針葉樹林が主で、北国へ降り立ったことを改めて感じた。

今回のICN大会は会場に比して現地参加者数が多く、開会式はメイン会場に加えて別会場(overflow
rooms)も設置されるとの事前連絡を受けた。メイン会場のチケットを入手するためには、早々の受付を行う必要があったものの、降機後の入国審査に1時間以上を要した(日勤と夜勤担当者の交替時間に該当したためと推測された)。EUメンバーのスムーズな入国を傍目に、「同日中の受付は間に合わないかもしれない。」と気を揉んでいたところ、大会専用アプリから受付時間の延長についての連絡が入り、安堵した。今回の大会にも専用アプリがあり、お知らせ、スケジュールの確認から翻訳(日本語通訳については次回以降に記載予定)、参加者間のチャット、基本属性から似ている参加者をマッチングする等の機能があった。前回(2023年)よりも、明らかに機能は向上していた。
入国後、空港から会場(図2)へ向かい、無事、受付を済ませることができた。この時期、フィンランドは白夜の季節で23時近くまで明るく、人々も遅い時間まで活動されていたことに助けられた。


受付の際、担当のボランティアさんに「開会式へ参加するか?」と真顔できかれて、同じ調子で「はい。楽しみにしてます!」と答えたところ、「OK!」とメイン会場のチケット(以後、開会式シール)を名札(図3)に「ポン!」と貼付いただいた。後から見返したところ、シールの向きは揃っていなかったものの、これはこれで記憶に残る形となった。また、今回は、名札(図3)と大会オリジナルバッグ、市内の公共交通機関フリーパス(市民も利用する交通機関のアプリにビジターとして設定する形)を頂戴した。
同日はStudent
Assemblyが開催されており、日本から参加した3名の看護学生にも、ご挨拶をさせていただいた。日本人看護学生の参加があったこと、それらは、日本の看護界における大きな希望と思われてならなかった。次回、即ち2027年の同大会への継続参加が叶うことを。
今回のICN Congress 2025は30回目、テーマは「Nursing Power to Change the
World」であった。参加国は100以上、事前に7,000名程の登録へと達し、2025年5月29日に参加申込が締め切られた。事前の参加申込締切は、初めての経験であった。なお、今回の大会も開会式・閉会式、プレナリーセッションはLIVE配信による参加が可能であり、この流れは、世界各国のより多くの看護職や看護学生の参加の実現を叶える方法の1つと思われた。
前項の繰り返しとなるが、今回の開会式はメイン会場に加えて別会場(overflow
rooms:以後、Room1)が設けられた。また、参加者の名札(図3)に貼付された開会式シールは「Lower」と「Upper」、「Room1」に分かれていたが、詳細は開場後に判明した。まず、
「Lower」と「Upper」で会場の上層と下層が明確に分けられ、ステージに近い前方席は「Lower」、後方席は「Upper」、そして、両者は往来できないよう仕切りがなされていた。会場への入場は、各入口にいるボランティアさんの手により、名札(図3)のQRコードスキャンと開会式シールの確認がなされ、管理されていた。日本からの参加者でまとまって座すことについて、渡航前から話し合っていたものの、この「Lower」と「Upper」の詳細が判明した時点で、「Lowerの最後列とUpperの最前列の周辺へ着席することで、1つにみえるのでは?」との意見があり、採用した。その結果、前回(2023年)に比して、日本としてまとまり、多くの声援を送ることができたように思う。ちなみに「Room1」にはサブ司会者が配置され、時折、メイン会場と接続して状況を共有し合う場面(図4)もあり、新たなスタイルが拓かれた瞬間に立ち会うことができた。
開会式のメイン会場は4,000名以上の収容規模で、ステージには3面鏡のような巨大な画面があり、様々な情報の投影がなされた。ステージ上には、「#ICN2025」のハッシュタグが3Dオブジェとして配置され、SNS(Social
Networking
Service)には、ICN公式や参加者等から多数の投稿がなされた。一連のSNS投稿を目にし、次回のICN大会への参加を決意する方もあるのではないかと思われ、よい動機付けの一例と見受けた。2021‐2025年のICNのキーワードは「Influence」であり、前回(2023年)と今回の大会は、その言葉が通底しているように感じた。

当日の天候は雨。予定の16時から15分遅れての開場となった。その後、あっという間に開会式開始時間の18時を迎えたが、既に会場内は熱気に溢れていた。ICN
Congress 2025は、司会(ICN事務局長:ハワード・カットン氏)(図5)の一声で開始された。
はじめに、ICN大会のヘルシンキ開催は1925年以来100年ぶりであり、当時の写真(図6)を交えつつ、時を越えた再会を喜んだ(図7)。1917年のフィンランド独立から10年を経ていないにも関わらず、多数の看護職の参加をみたことが手に取るようにわかった。なお、同国は1906年に当時のヨーロッパで初の女性参政権を認めており、女性の占める割合の高い看護職も当時から積極的な社会参加を成しえていたのではないであろうか。どちらにせよ、
1世紀ぶりのヘルシンキ開催は、フィンランド看護協会や同国の看護職等に大きな力を与えたように思われてならなかった。続けて、今回の参加者に向けたメッセージも複数流れた(図8、図9)。





その後、会長挨拶、各国入場と続いた。各国の入場時はナショナルコスチューム(民族衣装)を装用する国も多く、加えて、お国柄を活かした様々な工夫も加わり、盛り上がりをみせた。そのうちには、ショートパフォーマンスをされ、言葉を使わずとも、自然とリズミカルな拍手や歓声を沸き起こした国もあった。あの人々を巻き込むノリの方法は、毎回、勉強になる(お国柄もあるのか、なかなか身につかない)。なお、イスラエルとパレスチナの参加もあり、両国ともに歓声があがる場面を目にした。今回の各国入場は、前回(2023年)同様、アルファベット順(大会毎に異なる)で、日本の前後はジャマイカ(Jamaica)とヨルダン(Jordan)。また、ヨルダンのムナ王母のご臨席を賜り、あたたかなメッセージを頂戴した(図10)。さらに、ローマ法王(レオ14世)のレターも紹介され(図11)、両者から看護職への応援や期待、平和の実現に向けた願い等を受け、身の引き締まる思いであった。


開会式では厳しい世界情勢を鑑み、前回(2023年)に続き、献灯の場もあった。前回(2023年)は新型コロナウイルス対応の経験が胸にこみ上げてきて仕方なかったものの、今回は不安定な世界情勢の中で命を失った人々や看護職・医療従事者を想う面が大きくなっていることを覚えた。ICN会長、ムナ王母やローマ法王からのお言葉とともに、「日本人としてできることは何か」を、改めて自問する場となった。その後、フィンランドの音楽や舞台芸術を鑑賞し、最後に以下4つの授賞式が催された1)。
そのうち、「The ICN/FNIF International Achievement
Award」は、東京大学名誉教授の真田弘美先生が受賞され、ビデオレターでご挨拶をいただいた(図12)。The ICN/FNIF International Achievement
Awardの日本人受賞者は初であり、大変、誇らしかった。
ふと2001年の同大会にて、国連難民高等弁務官を務められた故 緒方貞子氏がICN Health and Human Rights
Awardを受賞されたことを思い起こした(詳しくは、こちら)。今回、この受賞の場に同席した看護学生や若手看護職の奮起につながるのではないかと密かな期待を抱いた。
世界の看護は「すごい」と思う面も多い、けれど、日本の看護も同程度の取り組みや実践を積み重ねてきたということが証明された場となったことと同時に、更なる日本人看護職の活躍と行動の結実を願った。

開会式終了後、エキシビジョン会場のオープニングが催されたものの、筆者らは会場ロビー前にて各国の参加者と写真撮影や交流を深めた。「一緒に写真撮って!」の一言からはじまり、「どこからきたの?」、「みんな素敵ね!」と、その場を最大限楽しむ会話が交わされる。「一期一会」という言葉で表すことが相応しいながらも、「世界(グローバルと表現した方がよいかもしれない)の風」を最大瞬間レベルと言って差し支えない程、一身に感じられる場であることはいうまでもないことであろうか。あの場を経験するのみでも、ICN大会へ参加する意義は大いに有といえる。今回も筆者は着物で参加し、着物の柄はフィンランドの国花であるスズラン、帯は平安絵巻、帯飾りに富士山を用いた(図13)。


開会式は20時過ぎに終了したものの、帰路(図14)もまだ明るさの残る中、トラムに乗車し、滞在先へ戻ることができた。様々な情報等が一気に入ってきたこともあるのか、当日は遅い時間まで頭が冴えていた。
次回(第2回)は、ICN Congress 2025期間中の模様について報告する。
主に、受付(図15)、メイン、エキシビジョン、休憩ゾーン、口演発表とポスター会場等で構成されていた。そのうち、受付からメインとエキシビジョン会場の間は市街地でいうメインストリートのよう(図16)であり、常に、多数の参加者が往来していた。


メイン会場の講演、特に連日朝開催されるプレナリー(図17)は、グローバルな視点で捉えるべき内容が多かった。例えば、看護のヴィジョンや行動、就労環境改善や経済格差、先住民族へのケアをはじめ、どの国においても課題となっている件が等しく取り上げられていた。そのうちには、日本国内で取り上げられにくいMigration(国家間移動、頭脳流出とも称される)についても、説明されていた。Migrationとは発展途上国や中堅国でレベルの高い看護職養成教育を受けた、つまり、自国の母語に加えて欧米諸国の公用語、殊に英語、仏語、西語を操ることができ、その国の未来のリーダーまたは先導者、先駆者、改革者として期待される看護職が、よりよい就労環境や待遇を求めて先進国へ移住し、結果、同国の看護の質諸々が改善しない状況を示す。私感ではあるが、ここ四半世紀程、看護の世界の片隅へ身を置きつつ見えたこととして、Migrationについて、世界レベルの課題有と列挙される国と比較して目立たないながら、日本においても生じていると思われてならない(日本から様々な条件のよい主に欧米諸国へ移動)。しかし、我が国では発展途上国や中堅国のように看護の質や労働力への著明な影響を生じていない(状況把握未または非公開と思われる)ためか、国内で課題として取り上げられることは限定されるのではないであろうか。今回、参加した若い世代が、これらの件に触れ、日本も当事者の国の1つと考える契機になることを願っている(もちろん、個人の行動を制限することは難しいことを前提とする)。
さらに、WHO(World Health
Organization)等の国際機関から発出されている白書の解説もあった。今回、興味深く感じた点として、プレナリーでは概要を説明し、詳細は後から白書を読んでみてくださいと紹介されることであった。時間制限の面からの対応とも考えられたが、各自、持ち帰り(Take
Home
Message)をして、自国の現状に即しながら考えて動くこと。つまり、ICN大会へ参加して終わりではなく、帰国後も自国内で思考を巡らせ、検討を継続し、自発的な行動を求められたようにも感じた。そして、プレナリーは前回の2023年同様、ビデオ出演(図18、図19)の方も多くあり、世界各地のより多様な背景や経験を積まれてこられた方々が、同じ場をともに過ごせるよう配慮がなされていた。そのうち、個人的には字幕の設置に感激した。



エキシビジョン会場はICNとフィンランド看護協会のブース(図20)をはじめ、世界各国の医療・看護に関する企業や各国看護協会等、様々な展示がなされていた。その一角には情報交換用のネットワーキングラウンジ(図21)やカフェタイムのスペースや寄せ書き、看護学生のための場(図22)も設けられていた。この場は、日本の言葉に直すと、「一丁目一番地」の情報が濃縮して提供され、かつ参加者間で自由に共有することができると感じた。



口演会場入口は向き合う形となっており、共用の入口前では定時に展開される休憩ゾーンが設けられていた。口演会場(図23)では各種発表が行われ、医学研究と相違ないレベルのプロトコール(研究実施計画書)に基づき実施された研究発表も拝聴した。看護職主体で実施する抗がん剤治療の副作用に関する研究は、非常に質の高いアウトカムが導出されうるとの発表の際は、会場が拍手でわいた場面もあった。1つの発表について多くの質問が続き、時間超過する場も散見されたが、終了後、演者へ質問に行く形は、日本国内の看護系学会の形式とそう変わらなかった。休憩ゾーンでは1日のうちに何度か、コーヒーと紅茶のティータイム+果実(図24、図25)、さらにビュッフェ形式の日替わりランチ(図26)も提供された。フィンランドの新鮮な野菜を中心とした素材の味が活かされ、かつ、さっぱりした味付けの料理が多かった。連日のランチは、個人的には大満足であった。




フィンランドは、SDGsや環境に配慮した取り組みで国際的な認知度が高い。それらの取り組みは、今回の会場内においても見受けられた。まず、ゴミ箱は4つの分別とし、紙類は大きなゴミ箱へ捨てることが可能(図27)であった。4つの分類について、日本人の参加者は抵抗なく対応できたのではないであろうか。そして、休憩ゾーン内には蛇口とシンクが配置され、飲水または手持ちのボトルへ給水することができた(図28)。エキシビジョンのICNブースでサステナブルなボトルの販売有との記載も見受けた。今回の渡航時、エコボトルは持参しなかったものの、現地で購入したミネラルウォーターの容器を洗浄の上、何度か、活用させていただいた。フィンランドの水は、そのまま飲水可であった。


ICN大会へ参加すると、大会後のアンケート回答に続き、「ANCC」または「ICNEC」の教育クレジット(education credits)が取得可能である。ANCCは「The American Nurses Credentialing Center」1)、ICNECは、ICNのContinuing Nursing Education Certificate(ICNの定めた国際看護継続教育クレジット)であり、前者は米国の看護職資格取得者向け、後者はICN会員向けであった。これらは、ICN大会参加のみならず、ICNの主催するオンラインモジュール2)の受講や、特定の疾患に関する国際的な継続教育プログラム3)等においても、取得可能であることを把握した。現行、日本国内独自の継続教育プログラム受講でICNECを取得するに至れる場は乏しい(該当する継続教育プログラムをご存じの方は、是非、ご教示願いたい)。今後、既存の日本人看護職向けの継続教育プログラムとICNECがタッグを組むことが叶えば、総じて、ICN大会参加経験も日本の看護職のキャリアの一環として、付加価値を発揮できるように思われてならない。既存の日本人看護職向けの継続教育プログラムは日本看護協会をはじめとして、様々な出版社や教育団体が主催しており、それらはICT技術の進化に伴い、年々、臨床に即した高品質なものも増えている。日本国内で就労しながら、世界レベルの看護を身近に学ぶことができる、または日本の優れた継続教育プログラムを世界へ発信できる機会のあることを願う。
ICN本部から、今大会のダイジェスト動画が公開された。これらの動画のうち、Day1からDay5は大会期間中の翌日にSNS(X、Facebok)で公開された。後日、総集編のDay1 to 5が公開され、これらは今大会における貴重な資料の1つである。次回のICN大会参加希望者は、必ず、ご覧いただきたい。
日本国内では、日本看護協会出版会刊行の「看護」誌、2025年8月号
4)、2025年9月号 5),6),7),8),9)10)に、今大会の模様が取り上げられた。同誌における特集の形で掲載されるのは2021年の同大会11)以来であった。また、照林社刊行の「エキスパートナース」誌、2025年9月号12)へは、今回、ともに参加したメンバーとともに、医療機関勤務、つまり、臨床で活躍している看護職かつ参加者の声を複数掲載いただいた。次回以降のICN大会参加を希望・計画されている方は、是非、お目通しいただけると嬉しい。また、同記事執筆に際し、窪田和巳氏、Evakhalifa
Takezawa氏、参加経験の声を寄せていただいた臨床看護職各位、照林社エキスパートナース誌編集部に深謝申し上げる。
当方の目から見た限りではあるが、各国参加者の教員(研究者)と臨床看護職のウェイトについて、日本は教員(研究者)、日本以外は臨床看護職の多い印象を受けた。日本の参加者の最大の障壁は教員(研究者)と臨床看護職で休暇の取りやすさが異なること、次いで、参加費用と思われてならない。教員(研究者)は給与に加え、所属機関から研究費支給または競争的資金を獲得して補うことが可能である。しかし、臨床看護職の多くは自費と思われ、大会登録料のみで10万円程度の支払いは、厳しいといわざるを得ない。しかしながら、臨床看護職の就労環境は年々改善されている印象もあり、次回のICN大会へは看護学生や若い世代、また、臨床で活躍中の看護職の多数参加を叶えられるようアプローチを継続したい。同時に、参加費用の課題についても、何らかの手立てを講じられるよう行動していく。
次回(第3回)は、ICN Congress 2025会場と市内及びヘルシンキ・ヴァンター国際空港のバリアフリー等、主に障害と経済の視点からみえた事柄等について報告する。
看護師、保健師。医療機関、障害者の就労支援施設、訪問看護ステーション等にて20年以上の臨床経験有。小学校3年次に軽度聴覚障害の診断を受け、現在は両耳重度。同障者複数の家系であったためか、補聴や療育は受けず。看護学部進学後、初めての臨床実習前に補聴機器を装用開始。同時期、国際看護の領域へ飛び込み、気付くと25年以上の時が経過していた。
詳細は、以下をご参照願いたい。
保健師助産師看護師法における相対的欠格事由と障害をもつ看護職
四半世紀にわたるICN(International Council
of
Nurses:国際看護師協会)大会参加の歴史と次世代への襷
今回は、2025年6月8日(日)から2025年6月14日(土)まで、フィンランド・ヘルシンキで開催されたICN Congress 2025(ICN 第30回大会、以下、ICN Congress
2025で統一)へ参加した。前回の2023年同様、諸般の事情により、最終日への参加は叶わなかったものの、自らの目でみてきたことをご覧いただいた皆さんと共有し、2027年のICN第31回大会に備えたい。
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