REDDY 多様性の経済学 Research on Economy, Disability and DiversitY

学校での経験から
 髙木弥生

2025年11月19日

学校での経験から

第1回

児童からのリベラルアーツ

いてみたらリベラルアーツの話になっていた。本当は、小学生になったばかりの頃のことを書くだけのつもりでいた。そうしたら小学生からリベラルアーツは必要だと考えている自分がいた。リベラルアーツとは、自由な思考や生き方をするための学問なのだそうだ。古くはギリシャ・ローマ時代からの自由七科のこと。そういう訳で、入学したばかりのときの経験を交えて書いていくことにする。
は、学校に通い始める前から勉強に憧れていた。本を読んでみたかった。知らないことばかりで、知るための手立てが欲しかった。数は十まで、文字はひらがなで名前が書けるだけだった。早く本を読んでみたかった。
学校で授業が始まり、驚いたのがさんすうだった。
科書に描かれている花壇、その中のチューリップやちょうちょを数えるという。私はびっくりした。窓の外には本物の花壇が見える。どうして絵の中の花を数えるのか、さっぱりワカラナイ。教えている先生は、花壇の花や、飛んでいるちょうちょを数えるのかしら。教科書を見ながら目をパチクリさせ、外を見て、まわりを見渡した。みんな、数えているみたい。この先生、なんか、へん。みんな、変だと思わないみたい。
校って、変なことさせるな。先生は、飛んでいるちょうちょなんて数えないだろう。だって、ちょうちょはアッという間に飛んでっちゃうもん。
れでも数字の方は知らないから、それなりにやっていた。それなりにである。
考えると、確かに校庭で学ぶと手っ取り早い事がある。文字は外では学びづらいが、校庭にはいろいろある。
の通った学校には、いろんな花があった。ダリヤや三色すみれ(パンジー)、サルビアやたんぽぽ、さくらの木も植えられていた。通学路にはカタバミやオオイヌフグリ、虫ならば間違いなく蟻がいる。石をどかせばだんご虫、土を掘ればミミズ、裏庭なら蜘蛛や蛾。もちろん、シジミチョウだっている。季節によっては糸トンボやバッタ、アブやミツバチ。鳥ならカラス、シジュウカラ、五月にはつばめが来る。
庭に出るだけで視界に様々な生き物が入ってくる。その同じ種類の生き物を数えさせるというのはどうだろう。同じ種類の花を、虫を、鳥を数える。当然、子どもにより数えるものも数も違う。それぞれの名前も憶えるだろう。鳥は一羽二羽と数え、虫なら一匹二匹と数える。
して種類の違う花の数の合計、数えた虫の合計、鳥の合計を考えさせる。すると足し算を理解する。
の上、虫の足の数を、花の花弁の数を数えさせる。ミミズには足がない。蟻なら六本、蜘蛛なら八本。すると、昆虫というものを知る。昆虫には幼虫の時期がある。だんご虫なら甲殻類、ムカデなどは多足類。足のないミミズが何故穴を掘れるのだろうと思うかもしれない。
を見ると形が違う。サルビアとたんぽぽ、ひまわりやさくら。それらで種のつき方が違うことを知る。
れらの一目瞭然なものの中に違いと共通点を見つけるだろう。これらは理科の分野である。
にここで、絵を描かせてもいい。よく見るようになる。図工の授業にもなる。
く見る、観察するという教育は、そんなに難しいことではない。普段から教室だけで学んでいると、夏休みの自由研究に困るようになる。途方に暮れたのは私だけの経験ではないだろう。
は自然から学んできた。自然を観察し、生活に応用してきた。リベラルアーツは子どもにこそ必要な教育だ。専門という概念に弱い大人より、子どもにこそ要る。
は大学に行ったことがないし、実際にリベラルアーツがどのようにとらえられているのかよく知らない。ただ学校教育で、同じことをバラバラに学んだという感触だけがある。
、部屋から鳥の鳴き声が聞こえている。それから感じたことを文学にしても絵にしてもいいし、空を飛ぶことに関心を持てば凧を作って飛ばしてもいい。いずれにしろ人はとらえた自然のごく一部(というより、一つの側面)しか表現することができない。専門分野はそれが単に時間の経過とともに大きくなっただけのことだ。
り方だの順番だのにこだわる必要はない。通信簿を付けたいのは大人の事情だ。私は座学を否定しているわけではない。フリースクールに通う子どもが多くなっている現状を思うと、小学生のうちからリベラルアーツを試してもいいだろうと思っている。

2026年01月14日

学校での経験から

第2回

転校

は小学校三年生のときに転校した。その時の忘れられない思い出を書いてみよう。
年の新学期に通い始めた学校では、方言が飛び交い、猛烈に子供が騒いでいた。前の地域では方言を聞いたことがなかった。何人もの野生児が暴れまわり雄叫びを上げていた。少なくとも私はそう感じた。何を言っているのかわからなかった。外国に来たのかと思った。
が太くて鼻筋が通っているカッコいい男の子がいた。足も速く服も個性的で似合っている。しかし話し出すと訛りが強かった。おれげんちはさぁ(俺の家では)、おめげんちはよぉ(お前の家では)、と始まる。他の子供も同様で、買ったばかりの物がちゃちでガッカリすると、うー、いしけぇと声を上げ、諦める時はしゃあねぇべぇとやる。~だっぺ、そうけぇ、とか、いわゆる茨城弁を初めて聞いた。そんなに遠い学校に来たわけでもないのにまるで分からなかった。
こでは毎日スカートめくりが行われた。昼休みのたびに、同じ女の子が狙われる。棒切れを持った男の子たちが楽しそうに追い回し、女の子がきゃーきゃー叫んでいる。ほとんど丸見え。他の女の子は気にも止めない。男の子たちの様子は猿の群れのようだった。
転校して数日はその勢いが怖かった。あまりに長く続くので助けなくていいの?と他の子に聞いた。声を上げている女の子に目を向け、ただそれだけだった。なんだろう、どうしてだろう、と思っていると理由が解ってきた。狙われる子は必ずスカートを履いてくる。必ずだ。きゃーきゃー叫びながらやめてーとやってるのにズボンで来ない。人は言ってることとやってることが違うことを学んだ。
二学期に入ってもわからない言葉があった。かんちょー!と、ようごだった。
先に意味が解ったのはかんちょー!だった。これには恥ずかしい思い出がある。
この言葉は、ふざけてじゃれてる時に男の子だけが使う。男の子が両手を組んで二本の人差し指を突き立てて、そんでもってかんちょー!と叫びながら他の男の子のお尻の真ん中に向かって突いていく。しょっちゅう見かける光景なんだが何がなんだかわからない。意味が知りたくて様子を見ていたけどやっぱりわからない。長い間様子を見ていて、誰かに聞いてみようと思った。
普段話さないけど答えてくれそうな野沢くんに聞いてみた。離れた席からワザワザ近寄っていく。
「ねえ、かんちょーってなあに」
野沢くんは、え? という顔になる。
「ねえ、かんちょーってどういう意味?」
野沢くんの顔が赤くなる。
「浣腸知んねえの?」
「うん」
わかる訳がない。わかる訳がないのだ。例え知っていたとしてもイントネーションが全く違うのだから。
赤くなった顔で恥ずかしそうに野沢くんが続ける。
「うんこづまったごとねえの?」
「ん?」
わかる訳がない。便秘になったことがないし、浣腸を見たことがない。
「つまるって、なに?」
「おめぇうんこつまったごとねぇのけよぉ、つまったことあっぺよぉ」
「あたし、ない」
「うんこってつまっときあんだよぉ、そん時浣腸つかっぺよぉ」
野沢くんの顔がどんどん赤くなるのでこっちも恥ずかしくなってくる。
「こまっぢったなあ、ホントに知んねぇのけぇ」
「知らない」
「ちくぬいてんじゃねぇの?」ウソをついているんじゃないのかという意味である。
「わかんない」
「見だごとねえの?」
「ない」
恥ずかしい事を聞いたんだと解ってきた。私の顔も赤くなっていく。
「いちじく浣腸って云うべよぉ」
「いちじくってなに?」
「いちじくも知んねぇの? いちじくってあっぺよぉ」
「知らない」
困り果てた野沢くんは思いっきたような顔をした。恥ずかしそうだが覚悟を決めた顔をしている。
「いちじくってさあ、(両手を合わせてふくらんだ形を作る)こんななの、そんで先がとがってんの」
「うん」
「浣腸もおんなじで、その先を尻の穴に入れんだよ」
「え? そんな事するの? なんで?」
「うんこつまってっ時すんだよ、そんで穴に入れて薬いれんだっぺよ」
全く分からなかった。しどろもどろになりながら説明してくれる野沢くんに、もうこれ以上聞いても自分には分からないと思った。自分も恥ずかしいし。
「ふーん、ありがとう」
沢くんと私は顔をまっかっかにして話し終えた。周りの人が気になったけど、そばに人はいなかった。おそらく話が聞こえない距離を取っていてくれていた。遠巻きに見ている人もいなかった。
んちょー!は、方言じゃなかった。当時の私は方言だと思っていた。分からないけど顔から火が出るほど恥ずかしかった。
年くらい分からなかったのはようごだった。
の言葉は囃し立てる時に使われていた。突然何人かの子どもたちがようごようごと囃し立て始める。さっぱりわからなかった。
んちょー!の一件で、不用意に聞くのはやめようと思っていた。だけど周りの子たちが、ようごようごおーと囃し立てるのを見ると、気になって仕方ない。三学期にはあまり聞かなくなっていた。
のある日、掃除の時間に、校庭で草むしりをしていた。そばの女の子がシッと言った。ようごだ、と小さく言う。この様子でやっと解った。
の小学校の隣は中学校で、その先に養護学校があった。ようごは養護学校のようごだった。
ッとその子が言ったのはジロジロ見たら良くないよ、という合図だった。ダウン症の子供だったのだ…………。

………………。

突だが、ここで筆を置くことにする。ここまで書いたところで、この続きを単純に書くと、自分の考えと違う受け取り方をされると思った。差別やイジメについてのよく聞く話として読んで欲しくないのだ。
し訳ないが、とりあえず、ここまでで終わりにしよう。次回を楽しみにしてもらいたい。

髙木弥生(たかぎやよい)プロフィール

1967年生まれ。国立茨城工業高等専門学校工業化学科中退。実家が予備校?塾?経営。学生時代、そこで働いていた。精神障害者手帳二級を持ち、生活保護受給中。