※本稿にはDV、暴力についての記述があります。
長いこと「教員」と呼ばれる仕事をしています。中高一貫校や大学など教える場所は変わりましたが、学生時代の塾講師アルバイトから数えれば教員生活はもう30年近くになります。ある時期から私には、一種の自信がありました。多少騒がしいクラスでも、静かにさせることができる。時々怖い表情を見せたり、ぎろりと睨みつけたりすれば、「あ、ヤバい」と生徒は私語をやめて教科書を見る。必要な時には大声で怒鳴りつけることもできる。10年間勤めていた中高一貫校は男子ばかり1クラス55人という大所帯でしたが、思いのままにとはいかなくとも、50分間は授業に集中させられる。自分はわりと「指導力」のある教員だ――そんな風に感じていました。
と同時に、何だか自分の中から「これ、ちょっとおかしいぞ」という声が聞こえてくるような気もしました。エネルギーにあふれた(というと紋切り型の表現になってしまいますが、三十路四十路の私から見ると段違いに気力体力を持て余している)男子高校生が55人、狭い空間に閉じ込められて、黙々と黒板の文字を写している。あれ?
何かこれ、気持ち悪い空間じゃないか?
管理的な一斉教授の教室、異様に「揃っている」クラスへの違和感を抱いたことがある人は多いでしょう。その教室の支配者のようにふるまっている、教員である私自身がモヤモヤしているのだから、生徒からしたらいい迷惑です。「全体主義的で嫌だけど、でも授業を成立させるためには仕方ない」と自分に言い聞かせたり、グループワーク形式の時間を時々挟んでお茶を濁したりして、それなりに折り合いをつけてきたわけです。
自分が抱えるモヤモヤの正体に気づくことができたのは、DV(ドメスティック・バイオレンス)に関する本を読んでいた時です。殴る蹴るなどの身体的な暴力がなくても、配偶者や恋人を睨みつけたり怒鳴ったりして恐怖を感じさせるのは、精神的な暴力である。DV研究などが明らかにしてきたこの知見は、教員と生徒の関係にも言えるのではないか。生徒をじろりと睨みつけて静かにさせる、怒鳴って言うことを聞かせるといった、学校にありふれた教員の行為は、恐怖心によって生徒を支配しコントロールしようとする精神的な暴力なのではないか。つまり「自分はわりと指導力がある教員だ」とうぬぼれていた私が実際に行使していたのは、「指導力」ではなく「暴力」なのではないか。
さらに調べていくと、こうした教員の「暴力」を「指導力」と読み替えることで、学校における男性支配が維持されている構造が明らかになってきました。女性差別が根強く残る日本社会において、学校は比較的男女平等な場だと考えられがちですが、実際には管理職の大半を男性が占めているなど、男性優位な空間です。この背景の一つに暴力をはじめとする男性性の問題があり、「暴力」を「指導力」と呼び変えることで生徒や他の教員の合意を取り付けながら、学校における男性支配が維持されてきたと私は考えています(この辺りの論理は少し込み入っているので、関心のある方は今夏に刊行した共編著『学校の「男性性」を問う:教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践』旬報社をぜひお読みください)。
気づけて良かったな、と思います。気づいていなかったら、私は生徒を睨み、怒鳴り、様々な暴力をふるいながら、「これは指導だ、生徒の成長のためには仕方ないのだ」と自分を納得させるだけの教員で終わってしまっていたでしょう。とはいえ講義形式の授業で、私語を続ける学生がいると周囲が迷惑するでしょうから、教員は何らかの対応をしなくてはいけません。暴力的な手段を用いず、全ての学生や生徒が心理的安全性を保ったまま、学びの最大化をどのように行うか、工夫が必要です。骨が折れますしまだまだ手探りではありますが、暴力的な手段をできる限り排除した一斉授業をどう創造していくかは、頭の使いどころでもあり、やりがいがあります。
教員がコントロールすべきなのは、目の前の生徒や学生ではなく、「生徒や学生を思いのままに動かしたい」という自分自身の欲望である。そんな風に今の私は考えています。
1977年、兵庫県生まれ。灘高校3年在学時に阪神・淡路大震災で被災。
灘中学校・高等学校教諭(地歴・公民科)在職時に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の後、勤務校の生徒とともに福島・宮城の被災地域を訪れる「東北訪問合宿」をくりかえし実施。2014年3月に担任学年の卒業にあわせ同校を退職し、4月より福島県福島市に転居。
東京大学大学院特任研究員となるとともに、非営利の学習支援団体「一般社団法人ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げ、理事・事務局長を務める。2018年4月より福島大学教員。
研究上の専門は、教育学・社会学(ジェンダー/セクシュアリティ)。
著書に『〈男性同性愛者〉の社会史:アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』(作品社)、『男の絆:明治の学生からボーイズラブまで』(筑摩書房)、『基礎ゼミ
ジェンダースタディーズ』(共編著、世界思想社)、『学校の「男性性」を問う:教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践』(共編著、旬報社)などがある。