私は脳性まひの障害者である。年齢は71。50歳のときの頸椎症で歩けなくなり、電動車いすを利用するようになったが、手足はそれなりに動かすことができている。この原稿も、最近、指の動きが悪くなり、キーボードの誤打がやたらと多くなったが、パソコンを使って自分で書いている。
現状では、障害の中で私が最も困難を感じているのは言語障害である。私の言語障害は脳性まひに伴う構音障害であるが、その厄介なところは、自分では正しく発音しているつもりであり、自分の耳には正しく聞こえていることである。子供のころには口からわからない発音の言葉を無意識に垂れ流しにしていた。初めてオープンリールのテープレコーダーで自分の声を聴いたときには、普通の発音よりもゆっくりで、メロディーが理解の助けになる歌以外では、言っていることがほとんどわからなかった。そのことをきっかけとして、自分の発音がおかしいということを意識するようになった。それでも、どこかに私の言葉を理解してくれる人はいるもので、小学校のクラスの中にも、教員や他の友達に通訳をしてくれた人が、幼いころから一緒に遊んでいた人を中心として何人かいた。それでも一番理解してくれていたのは母親であった。
中学生になると筆談を併用するようになったが、その中で私は心の交流ができるようにユーモアを最大限意識するようにしていた。そして、筆談を併用することは、高校、大学を経て、60歳で会社を定年退職するまで、店での買い物などの生活に不可欠な部分や趣味関係のグループでの活動なども含めて続いていた。ただ、話題が共通している人や商売関係の人には、筆談の必要はそれほどなかったように思う。書く文字については、それほど読みにくくはなかったと思っている。筆記具の持ち方は、一般人と異なっていた。単純に握っているように見えるらしいが、実際には、掌と指の間に筆記具を挟んで、細かい調整ができるようにしていた。仲の良かった従兄は、その持ち方で書いてみて、結構書きやすいと言ってくれていた。それでも、疲れやすく、きちんとした長文を書くことは苦手であった。JISキーボードのワープロには1983年ごろのかなり早い時期に飛びついた(シャープのWD-500)。使い勝手は、私のゆっくりの発音と、文字を打つことのできる速さがほぼ同じで、快適に感じられ、また推敲した長文がきちんと印字されることもありがたかった。
定年退職の少し前、私は虫歯を何本か抜いた。抜いた部分はインプラントにする腹積もりであったが、担当の歯科技工士から「インプラントは不具合が生じたときに根元から取り換えなければならなくなるので、やめたほうがいい」と言われた。その代わり、入れ歯を作ったが.つけているのが苦しく、外したままになってしまった。
そうなると、従来よりも格段に話がしにくくなり、発音も不明瞭になった。そこで、私は話をするために発音することをあきらめ、ほとんどを筆談によるコミュニケーションに頼ることにした。そのように割り切ってしまうと、緊張して発音するときの顔のゆがみがなくなり、表情が自然になり、また、精神的にも余裕ができ、筆談でのユーモアにも磨きがかかったように思う。そして、このことは、定年退職後の翻訳家・文筆家としてのカネにならない仕事にも大いに役立っていると思う。
3年前、私は、筋力の低下と痛みで、手すりさえ使えずに自宅の廊下に倒れ込み、2か月半入院した。便秘がひどく、体重も60キロ台から20キロ程度激減していたので、悪性疾患を覚悟したが、精密検査では内臓関係に異常はなかった。しかし、入院中のリハビリによっても筋力は回復せず、以前にできていたつかまり歩きができないことは同じであった。また、悪化した機能もあり、手を動かすときに痛みが伴うようになり、字が書きにくくなった。どうしたものかと思っていると、主治医が、おそらく言語療法士と相談して、「あいうえお」の文字盤を作ってくださった。はじめのうちは、漢字を交えることができないので、少し幼稚に感じられ、使うことに抵抗があったが、思ったことを即座に伝えることができるので、意外なほど実用性が高く、退院してからも、自宅を訪問していただいている医療関係者、介護者、そして耳の遠くなった96歳の母親とのコミュニケーションに便利に使っている。それでも将来的には、キーボードの誤打がもう少し少なくなれば、パソコンの画面の文字を特大にして、私からの一方的なチャットのような形式で、多少複雑なコミュニケーションのために使うことができるのではないかと思っている。
母親も含めて、電話が使えないことは、いろいろと不便ではあるが、すべてメールでの連絡対応をお願いしている。どうしても緊急で困ったときには、パソコンの読み上げソフトで何とかしたいと思っている。
近年、新型コロナへの感染を避けるために、私は外出を極端に減らしてきている。最近は少しずつ増やしているが、それでも、3年前の退院以来での外出は10回程度にとどまっている。また、コロナ以前には年何回か行っていた一泊程度の旅行は、身体的な状況という面からも、まだ難しいと思っている。
外出のとき、私はできるだけ介護者を付けないようにしている。電動車いすの操作は上手いつもりである。今のところ、ほとんどが金銭がらみの用事での外出なので、あまり内容を知られたくないということも理由に含まれるが、それ以上に大きな理由として、金融機関等の担当者が私ではなく、介護者のほうにまず声をかけがちなことがある。私としては、車いすに乗っている私の文字通り頭越しに話をされるので、あまり気持ちの良いものではない。相手としては、「ひょっとこ爺さん」に見える私に言語障害ばかりでなく、知的障害もあるのではないかという不安もあるのであろう。まあ、その後、私が、ペンを取り出して筆談を始め、初対面の印象とは異なる「立派な」顧客に変身することでの担当者の態度の変化を観察することも、私の密かで意地悪な楽しみであると言えないこともない。ただ、調子に乗って、わかってもらえることをうれしく思いすぎると、相手に悪意があった場合に詐欺などに引っかかる恐れがあるので、少しの用心は欠かせないと思っている。結局のところ、脳性まひという障害は、容姿、風貌、見かけによる異質性が大きな部分を占めていると私は思っている。このことに関連して、私は興味深い体験をしたことがある。ある障害者福祉関係の集会で視覚障害の人と初対面であったにもかかわらず、全く普通の形で完璧なコミュニケーションができたことである。私としては、筆談ができないので、そのとき言葉を発したのはあきらめ半分で、アセトーゼ型脳性まひ特有の緊張が少なかったこともあるが、それ以上に、相手の人が私の容姿、風貌を知ることがなく、また視覚障害ゆえの研ぎ澄まされた聴覚を有していたということが理由であろうと思っている。
一九五三年二月生。都立武蔵丘高等学校から一浪後、早稲田大学政治経済学部経済学科入学・卒業。金融機関の在宅嘱託として三十四年間実務系の翻訳に携わる。退職後、フリー研究者(バリアフリー旅行、障害学)。翻訳家。
→エッセイ ひょっとこ爺さん徒然の記