僕は話をするのは苦手だけど、話を聞くのは好きだ。映画やテレビのディレクターをしていて、主にドキュメンタリーを作っている。撮影をしながら、いろんな土地に行きたくさんの人の声に耳を傾けてきた。言葉には人間そのものが映り込むから面白い。先日テレビ番組の取材で、能登半島の山里で70年間ずっと畑を耕してきたばあちゃんと出会った。ばあちゃんは里芋の皮を剥きながら、長細い変わった形の里芋を見つけ「人間って私は思うに誰一人みんな一緒やない。同じものが顔についとるだけでね。不思議やと思っておるわ。」と語った。素敵な言葉だと思った。他の人が同じようなことを言っても心には響かなかったかもしれない。ばあちゃんの人生から滲み出た言葉だから感動したのだ。もう少し正確にいうと言葉ではなく、ばあちゃんという人間に感動していたのだと思う。
自分自身はどうかというと、なかなか能登のばあちゃんのように自分の言葉で話すことがなかなかできない。映画の上映後の舞台挨拶のときなど、無理をして何か良いことを言おうと話し始め、自分の気持ちよりも“言葉”が先に走ってしまい後悔することがよくある。お客さんに自分の薄っぺらさがバレてしまったようで、すごく恥ずかしい。だから最近は上手く話すことを諦めた。お客さんには申し訳ないが、何を話していいかわからないときは黙ってしまう。消極的に聞こえるかもしれないけれど、その方が言葉が自分から離れていかない気がする。たぶん僕は“言葉”を怖がっている。
ドキュメンタリーの作り方は色々あると思うけれど、インタビューを含め言葉に頼っている部分は大きいと思う。物語には言葉が付いてまわる。言葉は強いし便利だし、伝わりやすい。だけどわかりやすくなり過ぎてしまうのは、いやだ。映画を観ている人が考えたり感じたりする余白がなくなってしまう気がする。個人的にはちょっとわからないくらいの方が面白いし、ちょうどいいと思う。そういう意味で音楽はいい。羨ましい。意味がわからなくても感動する。だからなるべく言葉に頼らず、物語に頼らず、音楽のように映画を作りたいと常々思っているのだけど、なかなか難しい。生きているうちに1本くらいそんな映画が作れたらうれしいです。
映画監督/テレビディレクター。東京都町田市出身。
NHK『新日本風土記』『映像記録 東京
2020 パラリンピック』やBS日テレ『小さな村の物語
イタリア』などのドキュメンタリー番組を制作。2016年頃からアール・ブリュット作家の映像記録を始め、NHKEテレの『ETV特集
人知れず表現し続ける者たち』を制作。現在はEテレで毎週日曜の朝8:55に放送している5分間のアート番組『no
art, no life』を制作している。
2024年4月に映画 初監督作品『日日芸術』公開。同年7月には2作目となる映画『かいじゅう』が公開。全国の映画館にて順次上映中。